10月10日朝6時フラワー長井線あやめ公園駅、上りの一番列車がやってきた。
向かった先は遠州浜松、赤湯から東京と新幹線を乗り継いで最速でも6時間の長旅である。
してその目的はというのが浜松市博物館で開催中の「ライラックの軌跡展」&「第40回ライラックの集い」。
今はなき丸正自動車が製造した名車ライラック号を愛して止まないマニアの会である「ライラック友の会」が発足して今年で40年。
この節目の年を記念して9月19日~10月18日までの一月間、ライラックの主要モデル40台余りを一同に集め当時の資料と共に展示しているという次第。
恐らくこのような企画は後にも先にも最初で最後ではという事なので、悔いを残してはならぬとばかりに一路浜松の地へと。
世界のホンダの創始者皆様ご存じの本田総一郎の出発点、アート商会時代の二番弟子、「まさにぃ」事、伊藤 正(いとう まさし)が立ち上げた丸正自動車が世に送り出したオートバイは一貫してシャフトドライブが特長。
おやじに負けておれるかとばかりにチェーンのないバイクでホンダの向こうを行ったのである。
千波に中央は第一回浅間火山レースにおいて市販車ベースのレーサーでホンダの工場レーサー群に挑み見事ライラックに勝利の栄冠をもたらした天才ライダー伊藤史朗(いとうふみお)。
この日は友の会にとっても特別な日という事もあり丸正で腕を振るった社員の方々も多数お出でになり、当時の貴重なお話しを聴けたのは幸運であった。
30代で立ち上げた友の会も今は70代ですと笑って話される会長さん(右)ではあるが一口に40年とはいっても長い間には大変なご苦労があったはずで頭の下がる思いがしたのは言うまでもない。
メイン会場に続く通路にはベビーライラックとランサーマークVが並ぶ心憎い演出。
3つのホールを使用しての展示となったこちらはメインホール。
最後はオブザーバー参加させて頂いた記念祝賀会での一枚。
伊藤社長の右腕として丸正を支えた当時の製造部最高責任者で設計主任の溝渕 定(みぞぶち さだむ)氏と感激のツーショット。
貴重な行事に参加させて頂き有意義な一時を共有させて頂いたライラック友の会のメンバー各位に感謝申し上げます。
ライラックの軌跡展紹介ブログ
http://ydsclub.exblog.jp/24500840/
ライラックの軌跡展YouTubeの動画
https://www.youtube.com/watch?v=Kw19ftm_TAI
ライラック友の会【公式サイト】
http://lilac-tomonokai.com/