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棚が一部イタリアになりました。

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山形市七日町でイタリア食材店を開いているピウボーノさんから、食材を少し分けて貰いました。
お値段は少し高めですが、本物の味を味わうことができます。
4種の商品を紹介します。

◎エキストラヴァージン オリーブオイル テッレ ディ グラツィア
(縦長の細い黒い瓶)
250ml 1820円

シチリアの西部パレルモの丘で作られたオリーブオイルです。トマトに似た香りがあり、後味にアーモンドに似たニュアンスを残します。パンに付けたりサラダなどにお使いいただけます。

◎エキストラヴァージンオリーブオイル テッレ ディ サビーナ
平べったいタグ穴付きの瓶
250ml 1750円

ラツィオ州、サビーナの古木から作られたオリーブオイルです。あっさりとしていますが深みがあります。

◎オリーブェ ヴェルディ
グリーンオリーブ
300g 990円

アプルッツォ産の大きなオリーブをワインビネガー随分に漬けたシンプルなオリーブ。保存料が入っていないので薬臭くありません。

◎モスタルデル
250ml 1880円

赤ワインビネガーをりんごや桃と一緒に樽熟成させたピエモンテ州の名産品。ニュアンスはバルサミコ酢に似ていますが、さっぱりしています。お肉のカルバッチョやジェラート、チーズに付けて。




2014.06.08:mameichi:コメント(0):[食いしん坊万歳]

捜査はこの一行から始まった、、、

  • 捜査はこの一行から始まった、、、
  • 捜査はこの一行から始まった、、、
  • 捜査はこの一行から始まった、、、

ということで、昨日の上杉家伝来絵図の続きなのだが。

うちの親父が平成6年に纏めた「石塚家代々名」という手書きの文書がある。多分寺の過去帳などから書き写したもので、一部間柄なども書いてある。一応元禄元年(1688年)に亡くなった石塚与兵ヱから現代まで25人の法号と没年、そしてその人の名前が書いてある。そして最後に

「文化八年(1811年)の地図で石塚家は現在地」

という一行で閉じられている。私はこの一行を疑いもせず、そういうことなんだと思い込んでいた。そしてその地図を見て吃驚である。今回公益財団法人 上杉文化振興財団が発行した地図には今の石塚家の土地のところには

石坂己子蔵

となっているのだ。丁度紙の折り目のところがその地図の我が家なので、かなり薄くなっている。見ようによっては「石塚」と見えないこともない。但し代々名によればその時代は武七郎が当主であり、己子蔵という名前は石塚家とは関係のない名前のように思える。

そこから35年下って弘化3年の御城下并原々屋敷割帳人命検索には

御扶持方 石塚武七郎 とともに

会所番  石坂そう次 という人が小国町にいる。

また文化8年から42年遡って明和6年の原方屋敷絵図には小国町でも今の場所から随分下の方(松川寄り)に石塚与右ヱ門がいる。代々名によればこの頃は利左ヱ門が当代であり、中々ぴったりとはいかぬ、我が家の歴史である。

「宝の地図」ではなく「宝物の地図」を見てきた

  • 「宝の地図」ではなく「宝物の地図」を見てきた

6月8日(日)まで伝国の杜の米沢市上杉博物館で「上杉家伝来絵図」という特別展が開催されている。メインは何と言っても安土桃山時代に製作された2枚の越後の絵図だ。

一枚は瀬波郡絵図で243×693cm、もう一枚は頸城郡絵図で340×580cmという大きなもので、会場のライトはかなり抑えられ、平壇の多分特注であろうアクリルケースに納められていた。

それらの二つの地図は越後、会津、米沢と移動しその後百年以上忘れ去られてきた。宝永4年(1707年)御小納戸にあった古い箱の中から発見、虫食いがひどく継ぎ目もはがれていたことから、それを見た五代藩主上杉吉憲が修復を命じたため平成の世まで持ちこたえたのだろう。

大きさが圧倒的迫力をもって自分の領地であることを訴えてくるのだが、五代藩主はまた越後に帰ることが出来るなどということを夢見ていたのだろうか。

他に享保10年の米沢城下絵図なども展示されていたが、今回は文化8年(1811年)の城下絵図が復刻発刊されたので、パンフとともに購入した。実は亡くなった父の情報で、この地図には石塚家が現在地にいることが分かるものだと知っていたのだ。早速見てみると、、、、、、この続きはまた明日書きます。

興味のある方は日曜日までなので是非!!

根曲がり筍の想い出

  • 根曲がり筍の想い出

先輩から吾妻筍を貰った。この筍は山によって名称が異なり、一番有名なのは月山で採れる月山筍だろう。
月山ではその季節になると、小屋を作り泊りがけで筍を採り、それを宿坊に下ろすというのが最近まで続いていたらしい。

私が高校一年か二年のころ山岳部の国体予選で月山に入った時は、休憩している最中にどこからかひょっこりと筍を背中いっぱいに背負った爺さまが現れ、何を云うでもなくずっと道をひょいひょい下っていった。
自分たちがやっとの想いで登ってきた道を、杖一本で飛ぶように降りて行く老人を、なにかスーパーマンにでも出会ったような気持ちで見送ったものだ。

その時の筍は見たこともないほど太くて、当時よく形容していたのが、ジュースの250ml缶を少し細くしたようなブツだった。

 

筍についてはもう一つ思い出がある。30前半までは山登りを続けていたのだが、この季節に滑川温泉から薬師森を抜けて潜り滝コースで名月荘にて一泊した。
丁度滑川鉱山跡から薬師森の登り口にかけては吾妻筍が道の傍に生えており、一緒にいった先輩と筍を採りながら名月荘を急いだ。名月荘は二階建ての無人小屋で、庄内の方から来たというベテランの単独行の方のみであった。

私達はその人もいた二階に陣取り、採って来た筍をアルミホイルに包んで焼き、味噌をつけて酒の肴にした。その時単独行の方にもおすそ分けをしたのだが、その方は相済まなそうに御礼を言い食べ終わったからだったか、次の朝だったか飴玉を二つ差し出した。

夕食の後、一階にやって来たグループが結構な宴会を始めた。私達はもうシュラフにもぐりこんでいたので、うるさいなぁと思いながら目を閉じていた。するとさっきから薄くラジオの音をかけていた単独行の人が、少しづつボリウムを上げて、下の騒ぐ音を威嚇するではないか。

一階の宴会たちが気付いて声を小さくすると、その人はボリウムを下げて聞こえるか聞こえないような音に戻す。落語の宿屋の仇討ち同様、また少しづつ盛り上がって声が大きくなるとラジオのボリウムも大きくなる。それが数回続いた頃私は眠りに落ちてしまった。その時の美空ひばりのリンゴ追分を子守唄にして。

2014.06.04:mameichi:コメント(2):[動植物奇想天外]

6月1日は「豆の市」です!!

  • 6月1日は「豆の市」です!!

明日の豆の市は下記三品が20%オフになります。

アイスコーヒー 100g @507円⇒406円

夏珈琲      100g @561円⇒449円

バリハニー   100g @627円⇒502円

1品種200gより

ご飯茶わんも新物入荷しております。

皆様のお越しをお待ちしております。

 

2014.05.31:mameichi:コメント(0):[嗚呼うましコーヒー]