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旧新宿コマ界隈は今、、、

  • 旧新宿コマ界隈は今、、、
久々に夜の歌舞伎町を歩いた。
相変わらず引きも切らない客引きに辟易しながら、何度か入場した新宿コマスタジアムを思い出していた。

多分昭和30年代に開館した新宿コマは、終わりごろは演歌歌手の牙城となっており、私も細川たかし、坂本冬美、北島三郎などのショウを見せて貰った。先輩がそれらの楽団に在席していたからだ。

何故コマなのか?といえば、それは三重の回り舞台がコマのようにクルクル回るからで、もう一つ大阪にも梅田コマというのがあったが、それも今はない。

楽屋での思い出なども懐かしく、故淡島千景先生や北島三郎夫人などをお見送りしたり、ちょっと芸能界の空気を吸わせて貰った場所なのだ。

その頃はまだグランドキャバレー
やダンスホールも僅かながら残っており、ハイツ、ムーランドール、ステレオホールなど楽屋口から現場をチョロチョロ見せて頂いた。

その後東京を離れたために、力尽き倒れていくそれら大箱の最期を見届けることは出来なかったが、また新しいビルや店で埋まっていく歌舞伎町は、まだまだ魅力的な街なのかもしれない。

写真はコマスタジアム後に出来たTOHOシネマズ
2015.09.08:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

大人も子供も夏祭り

  • 大人も子供も夏祭り

私が少年時代を過ごした東部地区の夏祭りと言えば、佐藤清水か常信庵が大きい祭りだったように思う。忘れられないのは常信庵で初めてタコ焼きなるものを食べた時のことだ。

香具師はヒトのよさそうな親父とおばちゃん。そのタコ焼きはドーム型のではなくて、球形のものだった。中には紅ショウガやネギ、天かすなども入っていたのだろうか。上には青のり、鰹節、そしてソースが掛かっていたのだろう。初めてのタコ焼き、食べてみるとまあ、旨かった。が、何でこれがタコ焼きなんだろうか?

実は全部の玉にタコが入っていなかったのだ(;一_一)
本当のタコ焼きは米沢大沼が開店した時に「タコ焼き」の正体が判明したのだ。

それはともかく、町場に越してきてからは、やはり粡町の西宮戎神社と立町の皇太神社のお祭りが大きい。
粡町は7月10日、立町は15日、毎年どちらかが雨になるという言い伝えがある。で、今年は立町が雨に当たってしまい、大人の神輿は巡行したが、息子が楽しみにしていた子供神輿は中止になった。

その代わり息子は高い水飴やクレープなど怪しげなものにむしゃぶりついている。但しタコ焼きにはちゃんと大きめのタコが入っている。

もう一度食べてみたいな、プロが作るタコ無しのタコ焼き!

2015.07.16:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

80年前の自販機発見(^_^)v

  • 80年前の自販機発見(^_^)v
  • 80年前の自販機発見(^_^)v
  • 80年前の自販機発見(^_^)v
  • 80年前の自販機発見(^_^)v
  • 80年前の自販機発見(^_^)v
息子が珍しく4時半に起きて、サイクリングに行こう\(^o^)/
と言い出した。
まず松川堤防を南へ南へ、万里橋から福田町をまた南へ南へ。米坂線を越えて橋場の槐壇でお参りして新大橋の袂の信号を西へ西へ。
杉の目のセブンイレブンで小休止。そねまま白布街道を交差して西へ西へ。途中堀立川を渡り今度は田園の真ん中の農道を北へ北へ。
古志田に行く街道から米坂線を渡り、鷹山公お手植えの籍田の碑を左に見て北へ。御廟交差点から東へ東へ。またセブンイレブン城西店で一休み。その角から一ノ町に入り北へ北へ。番匠町に出て法泉寺のお文殊様に着いた。

久しぶりに来たのは、最近随分大掛かりに木を伐採していたのが気になったからだ。
何十本切ったのか分からないほどすっきりしてござる。
私は卯年なので元日参りというとここもお参りしていた。飴屋が何軒が出ていた筈だ。
お文殊様の裏側に辰巳普賢がある。祖母が巳年なので、こちらもお参りしていた。今日改めて見て見ると、ナンと昭和5年に鈴木益五郎が据え付けた御神籤の自販機があるじゃあないか。
残念ながら現在は使われていないが、是非直して御神籤引いて見たいものだ、と思いつつ家路を急いだ。
2015.06.19:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

円空風の仏様を彫る

  • 円空風の仏様を彫る
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  • 円空風の仏様を彫る

いつもお店に来ていただいている田沢寺の荒澤和尚より、book book の催しで仏様を彫るのをやるから来てみないか、と言われたのは5月の終わりだったか、6月の初めだったか。丁度火曜定休の昼下がりだったので友達と参加することにした。

行く前に腹ごしらえということで、最近気に入っている東家さんのバラチラシ。年配のご婦人を中心に随分賑わっていた。小鉢、味噌汁、漬物が付いて750円はお値打ちだ。
食後珈琲が呑みたくなり、御廟に移転した珈琲家さんに久々に伺った。天井が高く、中二階のようなところに焙煎機がある不思議な作りのお店。じっくりとネルドリップで淹れたブレンドをしっかり味わう。旨い。

そして会場の田沢寺へ。続々と車が入って来ている。全部で13,4名ほどか。講師の先生は会津若松で仏師をされている新井田慈英先生。先生はお話しが上手で、ぐいぐい引き込まれて特に掘らなくともこの漫談(失礼!講話です)だけでも十分楽しめる内容だった。

さてさて、大荒澤不動から切り出してきた御神木の杉を削るというか、彫るわけだが、先生はスパスパ10分位でお話ししながら完成させる。いきなり木片を見て、下絵なども書かずに彫り上げる。うむ、見事見事!しかもかっこよく優しいお顔がこちらを向いている。

見本を見て彫り進めてみたが、これが面白い。簡単に言えば、ハマってしまった。1作目を彫り切2作目の途中でタイムアウト。お寺のお隣の方が作った木イチゴのジュースの色が目にも鮮やかで優しい味に癒される。

帰りは雨が降って来て、山大生のお嬢さん2人を工学部まで送って行った。

2体目は今も少しづつ削っており、今は木を切り出した大荒澤不動のお札の前に鎮座されているのだ。

2015.06.18:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

越中富山を旅する‐其の5

  • 越中富山を旅する‐其の5
  • 越中富山を旅する‐其の5
  • 越中富山を旅する‐其の5
  • 越中富山を旅する‐其の5
  • 越中富山を旅する‐其の5

魚津は蜃気楼の町、4万人の規模にしては随分大きな観覧車のある遊園地が海岸べりにある。もう少し行くと「海の駅蜃気楼」というところでお魚を仕入れる。クーラーボックスを持参して来たので、何品かをチョイス。

その後もう少し新潟寄りの入善町のジャズ喫茶「TIME」にてコーヒーを頂く。ここは街でも一等地の角1階にあるというジャズ喫茶にしては珍しい立地条件、窓からも光が入り中の観葉植物やコーヒーの木も生き生きと茂っていた。ホテルでコーヒーを飲まなかったので、今回の旅で最初の珈琲、キリマンジャロを淹れていただく。透き通るような感じは水が美味しいせいだろうか。豆もクリアな感じがした。

そのマスターのお勧めで近くにある「かおり食堂」で飯を食べる。この食堂が表向きも中もおばちゃんも娘さんも見事に昭和テイストがしみ込んでいる。メニューも豊富でしかも安い。私はかなり久しぶりに「カツ丼」、K君は流石に若い。「ラーメンと炒飯」他にもそば、うどん(300円代より)各種定食、この辺では考えられない「焼そば定食」というのもあった。

頼んだものが来るまでの間、テレビの緊急速報が入った。高倉健さんが亡くなったというテロップがテレビの下に流れた。昭和が終わったという言葉が頭に浮かんだが、自分が今いる空間がまさに昭和だし、健さんが「幸せの黄色いハンカチ」でム所から出てきたときに食べたのは「カツ丼とラーメン」だったそうだ。

飯を御馳走になって、別れの時が来た。彼が米沢に来るといつも「この瞬間がくるから厭なんですよ。」ということを私も実感せずにはいられなかった。車に乗るときに握手、高速に乗るときにまた握手。

さて、次はいつ会いに行こうか、いやいつこっちに呼ぼうか。。。。

 

おわり

2014.11.23:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]