HOME > 熊谷 昌則/レポート集

ソーラーサーキットのお家のTVCM

ご案内が遅れてしまいましたが,

GW期間中に宮城の民放各局において、「ソーラーサーキットのお家」のCMがオンエアされております。

CMの女優として、起用されているのは、元ミスユニバースジャパンで、国際的にも活躍なされている知花くららさんで、清楚で知的なイメージは、ソーラーサーキットの家にピッタリだと思います。

県内の視聴者の皆さんよろしくお願いいたします。

CMの内容は ↓↓↓ のサイトでご覧いただけます。

http://www.kaneka.co.jp/sumai/cm/



GWはモデルハウスへ

  • GWはモデルハウスへ
いよいよ明日から、GWですが、お休みの合間にモデルハウスの見学はいかがでしょうか。

ソーラーサーキットの家は、間もなく5月を迎え、暖かい家から爽やかな家へと衣替えの時期を迎えます。

断熱性と通気性を両立し、四季を通じて省エネで快適・そしてご家族と住まいの健康をいつまでも守るのがソーラーサーキットの住まいです。

利府ハウジングギャラリーと名取ジアスのモデルハウスでは、床下から小屋裏まで、家の構造を出来るだけオープンにして、衣替えの仕組みと快適さの秘密を実際に肌で感じていただける体感展示場になっております。

いよいよガーデニングの季節到来ということで、GW期間中に、ご来場いただきアンケートにご協力いただいたお客様には、土に混ぜるだけで、お花も野菜も生き生き育つ宮城県産杉樹皮100%の土壌改良材「イデアルグリーン」もしくは、雑草を抑え、お庭を引き立てるマルチング資材「イデアルファイバー」をプレゼントさせていただきますので、是非、モデルハウスへお越しください。

スタッフ一同心よりお待ち申し上げます。

お引き渡し式・・・沖野T様

  • お引き渡し式・・・沖野T様
3月19日沖野に新築工事をさせていただいていましたT様邸が完成し無事お引き渡しをさせていただきました。

おめでとうございます。

T様は奥様のご両親が平成16年に大崎市に外断熱の家を新築いただき、

10年以上経っても変わらない性能と住み心地をご理解いただき、自宅を建てていただくこととなりました。

息子さんと娘さんも希望通りの高校・中学校への進学が決まり、重ねつおめでとうございます。

今後も、お住まいになって困りごと、疑問な点がありましたら何なりと、ご連絡ください。

べっぴんさん

今、「べっぴん」という言葉は、“美しい女性”をあらわす意味で使われていますが、
江お戸時代には「別品」と記し、“特別によい品物”を表す言葉でした。

ファミリアの創業者のひとり、坂野惇子(ばんのあつこ)さんがヒロインモデルの
NHKの朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」はご覧になったことありますか。
戦後の焼け跡の中、娘のため、女性のため、子供服作りに邁進し、
日本中を元気に駆けぬけていく、ヒロインとその家族、そして、彼女の仲間たちが夢へと向かう物語です。

すみれ。それがこの物語のヒロインの名前です。
昭和のはじめ、神戸の山の手で生まれたすみれは、早くに亡くなった母から教えられた刺繍や手芸が大好きな女の子でした。
会社を経営していた父、醇風万班に思われた人生でしたが、戦争ですべてが変わります。
夫は出征し、家は焼け、戦争が終わると財産は没収。

すみれたちが戦争で失ったものの大きさは計り知れません。
戦後、生地の調達も難しい時代に、お母さんがあかちゃんの為に肌着だけは、肌さわりいいものを着せてあげたい。
そんな、気持ちを一針ひとはりに思いを込めて、一枚づつ作っていた。
そんな、すみれの周りには、様々な事情を抱えた女性たちが集まってきます。
働いたことのない女同士で、「ああでもない、こうでもない」と言い合いながら、
気が着いたら、1950年に会社を起業することとなりました。
「あかちゃんと子供のために」を一番に考え「愛情品質」をコンセプトに、
より良い“丁寧なものづくり”をするという妥協のない姿勢で商品を作り続けています。それが「別品=特別によい品物」であり、今まで受け継がれている精神そのものです。
その姿勢と考え方が、多くの人たちの喜びと幸せにつながったのだそうです。
やがて、宮内庁御用達と認められ、念願だった「子供のモノなら何でもそろう」日本初の総合子供用品店をオープンさせることになるという物語です。

このドラマのヒロインはお母さんです。
戦後の焼け跡の中、幼い娘を抱えながら、日々を生き抜くためにと始めた子供服作りが、
やがて周りの人々を巻き込んで、やがて日本中にその子供服をはじめ子供用品が広まっていく・・・。
そのエピソードだけを聞くと、がむしゃらな女性を想像しますが、ヒロインはそうではありません。
おっとりとした、どこにでもいるような女性です。
しかし、戦後という強くならざるを得なかった時代に、
自分たちの価値観を曲げずにしなやかに生きたヒロインたちに、なんだか感慨深い思いになります。

2011年3月11日の東日本大震災は、戦争と震災という違いはありますが、
私たちが震災で失ったものの大きさも計り知れません。
当時、お母さんが子供を抱きかかえ思う気持ち、不安と絶望感しかありませんでした。しかし、このような状況にあっても、子供の顔を見れば、一瞬にして強くなれた。
自分をを励まし、助け合った人々がいたことを忘れてはなりません。
そして、改めて思い起こし、後世に伝えなければならないことです。
6年経ち復興もだいぶ進んだように見えますが、
まだ71000人 33000世帯以上の家族が仮設住宅の生活を強いられています。その人たちもいつかは一歩踏み出さなければなりません。
われわれは「一針ひとはりあかちゃんの肌着を縫うように、」寄り添うことに心がけたいものです。
あせらず「別品=特別によい家」を造りつづけましょう。

このドラマには、レナウンんの創業者・坂野惇子さんの父 佐々木八十八(ささき やそはち)さんや、
日本にアイビーのファッションブームを巻き起こしたVAN・KENTの創業者石津謙介さんも登場します。

COねこ歩き・・・中学校生活に感謝します。

  • COねこ歩き・・・中学校生活に感謝します。
中学校に入学し幼稚園から習ってきた音楽を、さらに高いレベルで音楽をしたいと吹奏楽部に入部しました。


1・2年生では地区大会 銅賞と結果を残すことができませんでした。


しかし、その悔しい思いが3年生の心に火をつけ、


息子が3年生の時、1・2年生を引っ張り、「今年は必ず東北大会に行くぞ。」と決意表明をしました。


根拠のない自信。顧問の先生と父兄以外は誰も信じていなかったでしょう。


そして、部員の気持ちがひとつにまとまり、顧問の先生の指導に素直に従い、


その結果、東北大会銀賞というM中学校吹奏楽部創部以来はじめての快挙に繋がりました。


中学3年生で「自分のやりたいこと。自分の好きなことができること。」は素晴らしい、幸せなことと思います。


目的が明確になり、達成するために努力は出来る。時間が有れば、自分達の演奏した曲や他の上手い演奏を聴いていました。


高校に入学し、吹奏楽部で目標を明確にし、努力を惜しまず目標達成に向かってもらいたいと思います。


中学校生活を支えてくれた先生方、吹奏楽部・クラスの仲間たちにに感謝します。