べっぴんさん

今、「べっぴん」という言葉は、“美しい女性”をあらわす意味で使われていますが、
江お戸時代には「別品」と記し、“特別によい品物”を表す言葉でした。

ファミリアの創業者のひとり、坂野惇子(ばんのあつこ)さんがヒロインモデルの
NHKの朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」はご覧になったことありますか。
戦後の焼け跡の中、娘のため、女性のため、子供服作りに邁進し、
日本中を元気に駆けぬけていく、ヒロインとその家族、そして、彼女の仲間たちが夢へと向かう物語です。

すみれ。それがこの物語のヒロインの名前です。
昭和のはじめ、神戸の山の手で生まれたすみれは、早くに亡くなった母から教えられた刺繍や手芸が大好きな女の子でした。
会社を経営していた父、醇風万班に思われた人生でしたが、戦争ですべてが変わります。
夫は出征し、家は焼け、戦争が終わると財産は没収。

すみれたちが戦争で失ったものの大きさは計り知れません。
戦後、生地の調達も難しい時代に、お母さんがあかちゃんの為に肌着だけは、肌さわりいいものを着せてあげたい。
そんな、気持ちを一針ひとはりに思いを込めて、一枚づつ作っていた。
そんな、すみれの周りには、様々な事情を抱えた女性たちが集まってきます。
働いたことのない女同士で、「ああでもない、こうでもない」と言い合いながら、
気が着いたら、1950年に会社を起業することとなりました。
「あかちゃんと子供のために」を一番に考え「愛情品質」をコンセプトに、
より良い“丁寧なものづくり”をするという妥協のない姿勢で商品を作り続けています。それが「別品=特別によい品物」であり、今まで受け継がれている精神そのものです。
その姿勢と考え方が、多くの人たちの喜びと幸せにつながったのだそうです。
やがて、宮内庁御用達と認められ、念願だった「子供のモノなら何でもそろう」日本初の総合子供用品店をオープンさせることになるという物語です。

このドラマのヒロインはお母さんです。
戦後の焼け跡の中、幼い娘を抱えながら、日々を生き抜くためにと始めた子供服作りが、
やがて周りの人々を巻き込んで、やがて日本中にその子供服をはじめ子供用品が広まっていく・・・。
そのエピソードだけを聞くと、がむしゃらな女性を想像しますが、ヒロインはそうではありません。
おっとりとした、どこにでもいるような女性です。
しかし、戦後という強くならざるを得なかった時代に、
自分たちの価値観を曲げずにしなやかに生きたヒロインたちに、なんだか感慨深い思いになります。

2011年3月11日の東日本大震災は、戦争と震災という違いはありますが、
私たちが震災で失ったものの大きさも計り知れません。
当時、お母さんが子供を抱きかかえ思う気持ち、不安と絶望感しかありませんでした。しかし、このような状況にあっても、子供の顔を見れば、一瞬にして強くなれた。
自分をを励まし、助け合った人々がいたことを忘れてはなりません。
そして、改めて思い起こし、後世に伝えなければならないことです。
6年経ち復興もだいぶ進んだように見えますが、
まだ71000人 33000世帯以上の家族が仮設住宅の生活を強いられています。その人たちもいつかは一歩踏み出さなければなりません。
われわれは「一針ひとはりあかちゃんの肌着を縫うように、」寄り添うことに心がけたいものです。
あせらず「別品=特別によい家」を造りつづけましょう。

このドラマには、レナウンんの創業者・坂野惇子さんの父 佐々木八十八(ささき やそはち)さんや、
日本にアイビーのファッションブームを巻き起こしたVAN・KENTの創業者石津謙介さんも登場します。

2017.03.15:m-kuma:[熊谷 昌則/レポート集]

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