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山形百名山(大平山)

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9月28日に山形百名山の”大平山:おおひらやま”に行ってきた、この山は、コニーデ型の秀麗な山容を有する山です。山頂付近には「御上人様の忘れもの」とも呼ばれる「獅子岩」と「烏帽子岩」、また山頂には明治12年に測量された三角点、そして「万年堂」と呼ばれる岩堂があります。山頂からの眺めは素晴らしく、甑岳や御所山、朝日連峰が一望できる大パノラマが楽しめますとありましたが、あいにくの小雨から曇り、下った時には雨となり、どろどろ、途中の林道も道が悪く、車はランクルとか軽トラがいいような道でしたね、細野地区を過ぎた直後のY字路、大平山を示す標識がある地点を右折し大平林道に入りますが、その道は狭く、雨でえぐれたところで車体が傾くと腹を擦りそうで怖かったですね、15分程度で駐車スペースのある中の平に到着、登山道入口になります。急な登りは、補助ロープが張ってありますので注意しながら登りましょう。曇りそして雨でなんも見えず写真は登頂記念の一枚のみでした

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鳴子温泉”大江戸温泉物語ますや”

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あっという間に今日から10月です・・・一日一日が早いこと、歳になるとまた早く感じますね、つい先日9月の28日29日は山形百名山巡りとして山形の北方面に行く、そのついでに、温泉ということで鳴子温泉へ出かけました。鳴子温泉郷は、鳴子温泉や中山平温泉、鬼首温泉などの5カ所の温泉地からなる東北有数の温泉名所。 国内にある11種類の泉質のうちの9種類が楽しめるとあって、温泉好きは見逃せないスポットです、湯色も白濁、緑白、青色、茶褐色、黒色、無色などさまざまで、天候によって日ごとに変化する時もありますとのこと。ゆこゆこ大江戸温泉物語ますやさんへ宿泊しました。最上階の湯舟から外景色みながらのんびり湯につかりました、施設内に卓球台があり、久しぶりに卓球してみた・・昔は宿に泊まると必ず卓球してましたね・・

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大石田温泉「あったまりランド深堀」

  • 大石田温泉「あったまりランド深堀」
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昨日山形百名山巡りで金山町”薬師山”行った帰り、大石田の”あったまりランド深堀”温泉館によってきました。広めの大浴場はと季節の流れを肌で満喫できる露天風呂や、サウナ、ジェットバス、大広間に・個室休憩室・食堂など、売店と充実した施設がいっぱいでした。サウナはバスタオルを巻く必要があります、持ってない人は100円とのこと、隣接している宿泊施設、[ 虹の館 ] に泊まる事も出来るようですね。温泉は400円お安い設定で、売店のブドウが人房100円桃が一個130円これも安かったので、つい買ってしましました、ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉は、やわらかで、ぬるぬる感があります、茶色に色づく温泉でありました。

2023.09.30:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

薬師山(山形百名山)

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9月29日、久しぶりに山形百名山の巡りで金山町の薬師山へと行きました、国道13号線沿い、飛森(とびのもり)集落付近にある、2つの赤い鳥居が登山口、鳥居の右横に一台分の駐車スペースがある、または鳥居の前に一台とめることができるが鳥居入口ふさぐので駄目ですね・・・基本的には駐車スペースがないため、登山口まで徒歩10分程度の金山町中央公民館の無料駐車場を利用するようです。低山ながら、いきなりの急斜面で岩場、滑りやすい箇所に幅が狭く左下はすぎ急斜面であるので、注意は必要ですね。ところどころに、ロープが設置されているところもあります。山頂まで40分程度、薬師神社裏手のところが山頂ですが百名山の表示もなく殺風景です、神社のとこから、金山町中心部に神室連峰の山々を一望することができます。金山町を代表する山、中の森、熊鷹森と共に金山三峰と呼ばれており、1878年(明治11年)に金山町を訪れたイギリス人旅行家イザベラ・バードは、日本奥地紀行の中で金山三峰を「日本のピラミッド」と記しています。

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上杉砲術隊

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9月23日.『なせばなる秋祭り』で上杉砲術隊の砲術演舞の披露があった。棒杭市に参加しているから、搬入してからブラブラして、今年も見学です。昨年は、その砲術隊を人形で作ってみた、今年も、参考に話しを聞いたりしている。その鉄砲を製造したと伝わる白布温泉には、その鋳造跡の碑が建つ。演舞に使われているのは、そこで作られたものと伺いました。兼続の整備した鉄砲が威力を発揮したのは、慶長 19 年(1614)の大坂冬の陣のことだから409年もたったわけですね~、その後も幕末に至るまで米沢藩の藩士たちは鉄砲訓練に励み、正月に藩主の前で披露する鉄砲上覧は藩士にとって重要な晴れ舞台で あったと言われてます、じつにいろんな人が手に持ってたわけですね~、考え深いっす、藩の主流砲術となったのは種子島流と稲富流であったといい、 幕末まで伝承されている。明治維新後には鉄砲訓練も次第に途絶えたが、明治 38 年(1905)の旅順陥落祝勝 会での甲冑行列と川中島模擬戦において砲術披露が行われたことをきっかけに、旧藩 士を中心に米沢藩の砲術を伝承する会が結成され以後、上杉神社例大 祭などで発砲演武が行われるようになり、大正 14 年から継続。その後、第二次大戦での一時中断を挟み、昭和 30 年(1955)に米沢尚武要鑑会昭和 36 年(1961)に上杉藩火縄筒保存会稲富流砲術隊となり、秋田国体 をはじめ、東京オリンピック・札幌オリンピックなど本格的に全国各地で発砲演武を 披露することになる。昭和 43 年(1968)12 月には同じく尚武要鑑会の系譜を引く上 杉砲術隊が新たに発足し、2 隊の砲術隊が米沢において活動することになった。昭和 54 年(1979)、上杉藩火縄筒保存会稲富流砲術隊は米沢藩古式砲術保存会と改称し、 現在に至っている。 米沢藩古式砲術保存会は、毎年 5 月 3 日の米沢上杉まつり川中島合戦で披露してる
2023.09.29:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]