今年はサツマイモ2種植えました、安納芋に紅あずまとりあえず試しにどうなってるかなと一本だけと思い安納芋掘ってみたらでかいのが出てきました、ツルはまだみどり色でちょい早いかなと思ってましたが大丈夫なようです。。天気よい日に土付けたまま天日に干してそのあと土を払って冷蔵庫に新聞紙でくるんで保管すると結構もちます、じゃがいもは1年保存できますけどサツマイモはそんなに長く保存できないようで。。いろいろとたべかたあるので挑戦しようと思います
鉄砲鋳造師の墓
来年はオリンピック、前の東京オリンピックで世界の選手団の前で米沢上杉の稲富流砲術隊がその妙技を披露したことがあります・・慶長6年(1601)上杉景勝に従い米沢入りした直江兼続は城下町整備を進めて、慶長9年(1604)近江国住友村より招き、白布高湯で鉄砲火薬軍器を作らせていた、この鉄砲鋳造師”吉川惣兵工”の墓が米沢林泉寺にあります・・兼続夫妻、武田家、そして鉄砲鋳造師とお参りしてきました・・この鉄砲鋳造師は良い鉄砲を作るので鉄砲塁町に屋敷を与え、録100石を給したとあります、和泉の境からは和泉屋松右衛門が招へいされてます、来年の東京オリンピックで是非鉄砲砲術披露されると良いですがそんな話はあるのでしょうか・・白布温泉の西屋さん前広場に鋳造記念碑があり、その鋳造していた工場はさらに上の昔温泉プールがあったあたりのようですが?いずれにしても1000丁もの鉄砲つくっていたのだから相当なもの、火薬となる硫黄も採れた場所柄、秘密裏に鋳造するのは良い場所だったんですね・・その当時の鉄砲が今でも演舞披露されているものというのもすごいです
林泉寺米沢・武田家の墓
林泉寺の武田家の墓、林泉寺米沢の中にある武田信清の墓、信清は戦国の名称武田信玄の六男、上杉景勝の正室菊姫の弟にあたる、武田家は天正3年(1575)の長篠の合戦で織田・徳川の連合軍に敗れて1582年武田家は滅んでいる、この時信清は高野山に逃れ、後に姉の嫁ぐ上杉景勝を頼り越後にと向かう、義を重んじる景勝は信清を大事な家臣として迎えている、上杉は会津そして米沢と移封されますが信清も移り、寛永19年(1642)80歳で病死とあります、結構長生きでしたね、信清は上杉家の菩提寺である林泉寺に葬られました、信清の子孫も代々米沢藩に仕え、幕末へと至っている。武田家の墓前に看板があり信清の墓の説明があります、一段と大きい五輪塔です、高さが2,3m昭和28年になって山形県の史跡に指定されてます、かっては川中島で激しく戦った上杉家を頼り、幕末まで上杉家の家臣として仕えたことは上杉家の義に厚い家風を忍ばせますね・・・・