今年になって久しぶりに獅子舞人形を制作した、幼馴染が獅子好きになった長井市成田の若宮八幡神社の獅子舞、おじいさんが獅子関係に深くかかわっていたために物心が付く前から実家帰省の折に見ていたために兄弟で好きになっている、やはり幼い頃から獅子を見て笛の音を聞いてるとそうなってしまう魔力がありそうです。
吾妻東大巓へ登山の日
海の日があって山の日がないってんで、平成28年(2016)山の日が8月11日に制定されて新たな祝日になった、さかのぼること平成3年(1991)に日本アルパインガイ協会が行楽シーズンの真っただ中、晴れの多い10月の3日という語呂合わせ”とお”と”さん”のちょうどいい日に登山愛好家のため制定した登山の日があります、また石井スポーツが毎月13日にこれも語呂合わせで登山の日と制定してるようですけども・・認知度はどうなんでしょうか??・・仕事持っていたり学生なども平日だといけませんよね・・今年10月13日は日曜日で3連休の中日ですから紅葉も見頃で登山、ハイキングする人多いでしょうね、昨日は休みとって山友と西吾妻山東大巓へ登山行きました、1,2日は快晴でしたが3日から崩れる予報で、心配でしたが持ちこたえてまずまずでした、天元台高原第三リフト降りて9時半スタートで10時には人形石到着、藤十郎から東大巓へとすすみ草紅葉に途中いろんな草花も見ながら紅葉も見ごとなところがありいい感じでした、昼にちょうど到着し最短登山口から2時間半でした・・昨年は西大巓へ行ったのですが登りと下りの急な坂で足に来ます、東は距離はあるが緩やかなほとんどが木道で歩きやすいですす、姥湯や滑川に抜けるコースに弥兵衛平小屋明月荘があります、思ったよりきれいで1階2階とあり70名収容とあり無人で無料で使用できます
館山城(米沢)その1
平成28年3月に国の指定史跡となった館山城跡よく通りますが、いつでも行けると思うとなかなか行かずじまいでした、ようやくこの9月の最終土曜天気も良く探索に行ってきました、米沢市内から国道121号線で喜多方方面に向かうと館山城という看板がありすぐにわかります左折して橋を渡ると館山発電所が目に入り、その少し先に地蔵様があっていい感じの古い道だなーと感じます、ちょっといくと看板と柱が目に入ってきますが、その柱には”私有地につき立ち入り大歓迎”という記載!ユーモアたっぷりですこの史跡の大部分が私有地なのだそうで・・いったいどういう経緯で現在の持ち主が存在するのか、どんなかたなのかなーーと思いますね、この城は2つの川が合流する丘陵地に築かれた山城、発電所から向かいの川を渡る道は江戸時代末までは主要道路だったようで、伊達政宗が去った百年後の館山城跡を描いた絵図が和歌とともに残ってると案内看板が立ててあります、いい感じの街道といった感じこういう風景は好きですなー、川を渡る手前のところに江戸期の庚申塔が並んでいます
旗印
戦国時代に合戦など自分をアピールする旗印、上杉謙信は信仰していた毘沙門天の一文字”毘”や総攻撃の合図に用いた”龍””『懸かり乱れ龍』が有名ですが他に、『天賜の御旗』とも『日の御旗』とも呼ばれる、紺地に赤の日の丸の旗があります。紺色の扇に赤い日の丸がついているものだったりします。戦国時代”戦目付”(いくさめつけ)という合戦の状況を見届ける役目の武士がいてこの旗印をみて判断していたといわれます、なせば秋祭りに向けて上杉の旗印に鉄砲打ってるところ作ろうかと思っていたが獅子舞でいっぱいで終了・・間に合いませんでした。旗と火縄、鉄砲までで終わりましたが作ってる時間は楽しいんです、小学生の高学年から中学生までだったか?幼馴染と画用紙でお城つくりしてあそんでました兵隊の背に旗つけてみたり、あれから50年近くなってまたそういうの作るようになったようです・・子供に帰っていく気がする?歳とって来たということかもしれません