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アサギマダラ

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天元台高原で最初に見られるのは5月の終わりか6月初めころ、秋までロープウエイ麓駅から第三リフト降り場付近でも見かけます、こい茶色と黒の間に青白い斑紋があるアゲハ蝶とかより大きくふわふわ飛んでいます、斑紋部は半透明でまだらとなっていてアサギ色からその名前がついている、意外と都市部の平地にも飛来するとありますが高原でよくみられる、晩夏から秋にかけてよく見られるようになる、移動性がありあり、羽のマーキング調査では数百キロ離れた場所で見つかることもあると言われている、本州の北半分から北海道では冬越しできず、毎年暖地で発生したものが飛来すると言われ、食草由来のアルカロイド系毒物質を体に有するのだそうで高原にあるヒヨドリバナの蜜をよく吸っています、昨日は天気も良く暖かい一日でした天元台高原の第三リフト降り場1820m西吾妻登山口にもふわふわと飛んでヒヨドリ花について離れないのがいて写真撮っときました、どちらか言うと2番目リフト線でよく見かけます・・

2019.09.07:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

今年最後のスイカにメロン

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昨日家庭菜園の小玉スイカとメロンみたらスイカは3個ほど残っていて、1個は気が付けばぶよぶよでもうだめでした、1個は程よくなっていて切ってみたら大丈夫、残り一個はまだ小さいからほっとこうかと、メロンも大中小とまだ何個か花も咲き残ってますがもうどうでしょうか?これからではたぶんダメでしょうね・・たぶんこれが最後と思いメロンは大きめの1個をとってみましたが大丈夫のようで、今年最後と思われるスイカにメロン夕飯後のデザートでといっても食べきれず、明日ギター練習でメンバーくるからメロンは砂糖で煮てとっておきます明日デザートで冷凍したブルーベリーにラズベリーも添えておやつしようと思います、今朝は朝食に菜園の疎抜き大根新芽つんでキュウリもたぶんこれが最後、トマトももう割れてきてダメでこれが最後かな??来週はきゅうりにトマト畑片付けですね

2019.09.06:li-no2:コメント(0):[菜園・食・花]

米沢林泉寺直江兼続夫婦の墓

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直江兼続やお船の方夫婦の墓、ようやく行ってみました、2年前従妹の住む新潟へ従妹と一緒に山古志村村からお船の故郷も寄ってみましたがあまり時間なくもう一度泊りでゆっくり行きたいけどもいつになるのか・・すぐ近くにある米沢の林泉寺も行こうと思いつつあっという間に2年経ち、ようやく行った林泉寺、上杉の城から南西にある林泉寺の墓地、上杉家の家臣の墓地となっていて、2009年にNHKの大河ドラマの主人公となった”天地人”直江兼続の墓があります、ドラマから10年たちました、早いですね妻夫木聡が兼続、お船は常盤貴子さんでした、自分の中で大河のトップ3は政宗、新選組、天地人ですかね再放送もDVDでもよく見たものです・・米沢藩の基礎を築いた兼続とお船お方の墓は林泉寺の本堂から南西の一角に塀に囲まれて建っています、左が兼続、右がお船お方、墓は家形塔婆で軒反りの屋根扁平の宝珠が据えられて、6角形の穴が3個、直江の家紋でもあります、兼続は1560年~1619年ちょうど没後400年なんですね上杉景勝の家老で慶長3年(1598年)会津移封に伴い、米沢6万石を与えられて城下町整備にあたった。。この米沢の地の基礎を作った、1619年江戸屋敷で没したのち、米沢徳正寺に葬られ、この地に移されたとあります、夫婦で並んであるのは珍しいようです、独特のお墓の形は万年塔と言って兼続の考案で、有事の際に取り外して積み上げることで防塁にできる、穴は銃眼として使えるし持ち運びも楽である、水害等では中が空洞になってるので土を詰めて土嚢にもできるというしろものなかなかのものです・・

2019.09.06:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

春日山林泉寺(米沢)

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昨日今日と休みで昨日は雨、今日はようやく晴れて天気も良くなってきたので前々から行こうと思っていた春日山林泉寺に行ってみました、米沢城から南に数キロ、山形大学の西となりになります、山大正門から西の方に行くと春日山林泉寺の入り口看板があります、入って小型車と大型バスが駐車できるスペースありました、林泉寺は明応5年(1496年)越後国高田(現在の上越市)に建立された曹洞宗の寺、上杉家の菩提寺になっています、謙信を継いだ上杉景勝は、慶長3年(1598年)越後から会津120万石に移封となりさらに米沢30万石に削減、菩提寺の林泉寺もこれに伴い米沢に移っている、山門は上杉鷹山公時代に家老を務めて藩政改革に尽力した竹俣当綱(1719~1793)その当時からあった竹俣家の屋敷門を明治35年(1902)寄贈移築したとあります、門の入り口には大きな板碑ありました、案内看板、案内順路がありわかりやすかった、今日はあいにく休みだったようです、毎週水曜が休みで9時から17時でしたが無人の拝観料100円を入れるところがあり境内の拝観券もその箱にありました、もう一度こんどは寺内にも行こうと思いますこちらは300円。

2019.09.04:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

積み石

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天元台高原からリフト3本乗り継いで降りた場所が西吾妻山の最短登山口になる、標高1820mと頂上の2035mまでのこり標高で215mですが1時間半はかかります、この最短登山口に今年の夏初めになって”積み石”見かけるようになりました、始め1か所がいまは5ヶ所ほどあります。登山用語で”ケルン”これは山頂や登山道など道しるべとなるよう石を円錐状に積み上げたもので人口で作ったものをケルンと呼ぶ、綴りが”cairn”で、「ケアン」、「ケアーン」などとも読む、また遭難地点で供養のために慰霊碑として作られる場合があります、ただ遊び半分興味本位で積み上げ危険だったり間違いを起こしてしまうなど問題もあり山岳パトのひとは崩していったりしますがここは小さく問題なしのようでいまだに残ってます、そもそもここは強い雨が降ると川になる場所、土が流されて石が残って・・ころころと石だらけになります、2ヶ月ほどたちますが強い雨の日でも崩れず残ってるようです・・

2019.09.03:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]