自宅のウコギ4月26日に初収穫して、おひたし、切和えで頂いた・・あれから1週間、新芽も今のうちでないと食えないのでウコギご飯作ってみました、もち米買ってきて少し混ぜてご飯炊いて、ウコギは軽く塩ゆでして水切り、クルミかゴマとか入れるとありますが簡単なゴマにしました、ウコギも摘み取りが面倒・・胡桃はあるけど実をとるのが手間ですので・・庭にあるウルイと行者ニンニク・茎たち菜に昨年ミニキャベツ採った後放っておいたら、そこから新芽が出てきてるのでその新芽もおひたしにしてみたら柔らかいので結構いけます・・てなことでなっぱものオンパレード・・このところお通じがいい・・一番はワラビにゼンマイ、ウドなんかは最強、コシアブラにウルイとか茎たち菜は2番手かな・・山菜とは関係ないがゴボウ安くてきんぴらよく食べるのですがこれも通じには最強のようです、便秘薬なんかより絶対ゴボウとか蕨とかが自然に利きます
サクランボの花
一昨日は仕事から帰って畑の耕耘、昨日から5連休となり畑に山菜採りに行ったりと忙しい、昨日一昨日風呂入って夕飯済んだら寝落ち、一昨日くらいから庭のサクランボの花が咲きました、咲いてる花がまばらで勢いがないですが・・サクランボは複数本植えたり、人工授粉させたりすることで果実を実らせる、一本では実をつけないので数本を近くに植える必要がある、花が5部咲きと満開と2回、他の品種の花粉を筆や綿棒の先につけて、受粉させる雄しべにつけて人工授粉させるかミツバチでも飼って受粉させるか、サクランボは病気に害虫にも弱く果樹の中でも最高位に難度が高い果樹のようです・・1年中何らかの害虫が発生するので都度それにあった薬剤を散布するしかないようです、受粉用にナポレオンと高砂植えたのですが成長が進まないでいます・・とにかく完全リタイヤでもしないと果樹までは手が回らずあと2年枯れずに残ってくれれば定年後の楽しみとして果樹の手入れに入りたいと思っている・・
支倉常長(はせくらつねなが)
今日から5月ですよ早いですね、山形県米沢市大字立石に関小学校がありますが、2021年4月で南原小学校と統合するとされてます、その小学校近くで生まれたのが伊達藩の家臣である支倉常長、ここに小さな資料館とその看板がある、一昨日天気も良く桜見学ついでにたちよってみた、常長がスペインに渡って400年の節目に桜の記念植樹を植えたのが2015年いま桜が満開です、伊達政宗が25歳まで常長は4歳まで米沢にいたとされているのですが4歳ではそんなに思いはないよね・・51歳でなくなってるから短いよね・・病死とあります・・元亀二年1571年生まれ1622年没、慶長18年1613年に、スペイン領メキシコ経由で、スペイン、ローマに慶長遺欧使節(けいちょうけんおうしせつ)として渡航している、施設の派遣が何の目的か誰が企画したかも不明瞭であるとされて徳川幕府キリシタンは迫害を開始していて、メキシコを経てスペインには1615年渡り1620年に帰国主目的たるメキシコとの通商は果たせなかった、命かけての渡航もむなしい、案内役のソテロは1622年マニラから日本に潜入2年後に処刑となっている、出かける慶長18年には国内情勢が大きく変化キリシタン禁教令が全国に敷かれている・・このことから一行が容易に帰国できず正使常長のみ元和6年8月仙台にやっと帰着、帰着後キリシタン御免の家とはなるが不遇のうち病死、この不遇という処置はどんなだったのでしょうか、仙台藩もキリシタンに対して迫害を開始していた本使節団はほとんど意義がなくなっていたようです・・何度か遭難にもあい出かけた常長の本当の気持ちはどんなだったのでしょうか帰国できずに帰化した人々の声を聴いてみたいものです・・