天元台高原第一から第二リフト乗り場あたりまでリンドウが咲き始めました、秋を感じさせる花です、古くから薬草として利用された、根が生薬にされてその味が竜の肝のように苦いと評されたことから、中国では”竜胆”それが日本に伝わり”リュウタン”と呼ばれ、いつの間にかなまってしまうというよくある話で”リンドウ”となったそうです、日本のほぼ全域に自生、寒さに強いが、暑いのは苦手という・。。
ETS-ⅢからETS-Ⅵ(IES)へ(その2)
HP開設して”過去の仕事”投稿最後が2018年6月でしたのでもう3年も経ってしまったんですね早いものです・・久しぶりの投稿ですけども、私が宇宙の衛星仕事にかかわった最初の衛星、きく3号の2mN級イオンエンジン装置開発1980年(昭和55年3月末)自分の結婚式前日が筑波電総研でETS-Ⅲのイオンエンジンサブシステム試験の最終日でありました、1982年秋には打ち上げ、初めての種子島出張は、このイオンエンジンのサブ試験担当が縁で関わりました、そこから間が空いて1986年より国産の2t級の静止三軸姿勢制御型の実用衛星開発が始まる、当初1992年打ち上げ予定はH- Ⅱロケット開発の遅延により2年延期されている・・衛星開発と同じくロケット開発も進んでいて、そのメインエンジン開発の難易度は高く、後にロケット開発の苦難がTVでドキュメントとして放映されていた、何度となく爆発炎上するエンジン・・その原因を探るための苦労、克服する技術者の執念のようなものを感じたものです・・入社間もない新人ど素人の私は1978年からETS‐Ⅲイオンエンジン装置の地上試験装置開発担当となり単体機器からサブシステム試験の装置全般にかかわる担当となって宇宙開発にかかわることになる、1980年頃から電源本体側の設計にもかかわっていき搭載電源初は海洋観測衛星「もも1号」(MOS-1)のSADE(ソーラアレイドライブエレクトロニクス)の機器内部電源でした、他に当時東芝青梅工場のミニコン用電源から東芝日野工場の通信機器電源、CS地上局TWT電源・東芝小向工場内のT-SAM用機器開発など1988年頃まで多様な機器の開発で電源装置のいろんな方式の電源開発経験を積むことができた・ETS-Ⅲからは6年たって、国産2tクラスの人工衛星開発が1986年から始まります、衛星の軌道制御にはイオンエンジンを採用、実用衛星のバス機器として開発が始まる2mNの実験装置から2t衛星の20mN へと電源のパワーも90Wクラスから900Wクラスと国内最大級の衛星電源開発にかかわることになっていく、衛星メーカの東芝、三菱、NECと横浜に合同会議するビルがあり私は1988年からイオンエンジン電源装置の開発主担当になる、その上司とりまとめはETS-Ⅲの時の電源装置開発主担当のOさんとなる・・後に九工大で博士号を取得する恩師でもあります・・イオンエンジン装置の開発は電源装置と制御装置がETS-Ⅲのときと同じ東芝で三菱がイオンエンジン本体とその周辺燃料系の機器担当となってます。その衛星のバス機器でも重要機器の部分試作は衛星開発が本格化する前から始まりイオンエンジン電源部分試作の高圧電源部が1987年頃から開始されました(次につづく)・・写真は後に幕張で開催されていた航空宇宙展で展示されていたETS-Ⅵのモックアップだったと思います・・