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旧渋谷家住宅
9月の末に庄内へと一泊で山友古希の祝い旅、鶴岡にある致道博物館に立ち寄り、そこに移築した茅葺の民家がある、文政5年(1822年)に建てられたものと言うからすごい・・その山村にある生活様式文化を残そうということで、昭和40年(1965年)に湯殿山の山麓、田麦俣から博物館へと移築したとある、昭和からでも55年も経っている・・兜造りというもの、山間にある田麦俣は土地が狭く建物の増築が困難だったために、生活空間と養蚕部屋が一つの建物にまとめられた多層の形になったと言われている、作業場、物置と上階に設けてある・・もとあった田麦俣地区は、庄内と内陸を結ぶ六十里越海棠の要所、湯殿山信仰が盛んになり、その登山口、宿場としての機能を有していて、全国から集まった参拝者が夜ともなると路上に出て、お国自慢の歌や踊りを披露して、毎晩祭りのようなにぎやかさだったとかとある、明治になると神仏分離、廃仏で出羽三山信仰が大打撃を受ける、このころ養蚕が盛んになりそこに活路を見出していくようになったということです・当時の山村の暮らしぶりいかがなものだったんでしょうかね・・・