HOME > 記事一覧

館山りんご

  • 館山りんご

天日干ししていたコメの脱穀、籾摺り,精米して・・段ボール詰めして,少し隙間があるんでてと、館山のリンゴを買いに・・シナノドルチェ、涼香の季節と2種買いました、みるとずいぶん種類が増えて迷いますね。毎年館山リンゴの同じ直売所で買います、みなシャキシャキして間違いなしなんで・・しかも安いですしね、空きスペースにリンゴ詰めて送った時間は16時近くですけども、指定を翌日夕方7時以降にして翌日ちゃんと届いたというラインがくる、孫がリンゴ食べてる動画が来たりして、恐るべし宅急便の速さですね、館山リンゴ孫に好評です。お米の方はとくに感想なしでまだコメの味わからんよね

2021.10.17:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

秋晴れ脱穀

  • 秋晴れ脱穀
  • 秋晴れ脱穀

米沢市内もう、ほとんどのところは稲刈り終わりました・・早いですね・・今度は冬支度になりますねェーー・はやいはやい・米沢に移住してからコメ買うようになった、農家じいさんに田植えも稲刈りもやったことないんでと、話してるうちに、体験してみるとこになり、わざわざ機械止めて手植え、そして手刈り、杭掛け天日干しすることになりまして、今年2回目の収穫、昨年と同じ60㎏の収穫となりました・・一人で9時から15時まで手植えできる規模です、昨日は脱穀、籾摺り、半分精米して5㎏3㎏に分けて娘夫婦に息子夫婦へ送り、友人におすそ分けする分小分けで半分使います・・残り爺が1年一人暮らしできる分です、1日1食しか食べないし、あとはパンか麺となる・・

2021.10.15:li-no2:コメント(0):[菜園・食・花]

小牧千食堂(こまちしょくどう)塩井町

  • 小牧千食堂(こまちしょくどう)塩井町
  • 小牧千食堂(こまちしょくどう)塩井町
  • 小牧千食堂(こまちしょくどう)塩井町

昨日休みとっていて、杭掛け天日干ししている稲の脱穀と籾摺り予定しておりました・・昨日は秋晴れいい天気で・・一昨日が、雨で少し濡れてる感じはあるのですが、手伝い頼んだ山友さんに私も休みあわせての予定日なんで、しかたなく予定通り開始、持ち主爺さんにコンバイン出してもらって脱穀してわらの片づけ・・籾摺りしてちょうどお昼時で終了、昼は近くの地元で半世紀、手もみによる縮れ麺、あっさりスープの米沢ラーメンにこだわる”小牧千食堂”さんへ・私はランチメニューの米沢ラーメン+チャーシュー丼(850円)を注文しました、ちなみにラーメンは630円、やはりランチはお得感があり、どんぶりのチャーシューに半熟卵がのる、ご飯は甘辛たれがしみていて半熟卵を混ぜ混ぜして、かき込む・・どんぶりだけでも結構な量ですんでおなかいっぱいでした・・

2021.10.15:li-no2:コメント(0):[菜園・食・花]

米沢藩士族 雲井龍雄

  • 米沢藩士族 雲井龍雄
  • 米沢藩士族 雲井龍雄

伝国の杜から南に行って米坂線の踏切手前にある常安寺に米沢藩士族 雲井瀧雄の墓がある、道路面にその説明看板があります。雲井瀧雄は天保15年(1844年)から明治3年(1871年)と27歳の生涯とある。幕末では奥羽列藩同盟のために活躍し、明治維新後は米沢藩の推薦で新政府の集議院に努めるが、不平士族のために嘆願書を新政府に提出したことや新政府に不満を持つ旧幕府方諸藩の藩士が彼のもとに集まっていたことが政府転覆の陰謀とみなされ処刑されたとあります・・明治3年12月26日に判決その2日後にはに牢獄で斬首され小塚原刑場で梟首(きょうしゅ:さらしくび)という重い刑を受けている、同志13名の斬首、22人が獄死と厳しい拷問による取調べもあったはずですよね、斬首には米沢藩1名もいるようですが・郷里米沢ではその名を口にすることはタブーとされていた・後の研究では冤罪ということが明らかとなっているようです。自分の意に沿わぬものは排斥し、自分たちにつき従うものばかりを出世させ取り立て、正当な戦争を起こそうとするならば、天下の公論を定めて、罪を明らかにしてから起こすべきなのに、急に錦の御旗を利用して策謀によって幕府を朝敵に陥れて戦争を起こし、諸藩を脅迫してさらなる戊辰戦争に駆り立てている。薩摩の軍隊は、東日本に侵攻して以来、略奪や強姦をほしいままにし、残虐行為は限りないが、官軍を名乗って規則と称している。瀧雄はその罪を問わなくてはならないと説いている・・勝てば官軍とありますが「権力を正面から批判する勢力がなければ、社会の健全な発展は図れない」というセリフがあります・・すごい人です冥福を祈ります。秋の日ちょっと寄ってみました

2021.10.14:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]

十六羅漢(遊佐町)

  • 十六羅漢(遊佐町)
  • 十六羅漢(遊佐町)
  • 十六羅漢(遊佐町)
  • 十六羅漢(遊佐町)

9月の30日鳥海山の帰りに遊佐町の十六羅漢に立ち寄りました。お釈迦様の弟子で特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢といいう、吹浦海禅寺21代の和尚様が日本海での荒海にて命を失った漁師の供養と海上の安全を願って近くの村から酒田まで托鉢をしながらお金が集まると地元の石工たちを指揮して5年の歳月で明治元年22体を岩礁に刻んだということらしいです。その後明治4年に和尚71歳で自ら身を投じて守り仏になったとありました、すごいですね・・昔は現在に比べはるかに漁師は危険な仕事であったんでしょうね・・22体は結構な範囲にあります、すぐわかるものや、なかなか判別しにくいものとかあります駐車場から遊歩道的に行くことができますが奥は険しそうなんでやめましたけども・・いい景色で散策にいいとこです、駐車場にお店もあります、7月から8月にライトアップもされ奥に出羽二見という夕日スポットもあります・・来年はこの時期に鳥海山再度来たいと思います

2021.10.12:li-no2:コメント(0):[歴史探訪]