米沢市口田沢上中原の草木塔、慶応元年(1865)7月20日建立、施主:三田沢村中とある、こここの草木塔は、地元田澤寺の住職による供養祭を現在も毎年催しているとあります。田沢地区で存在する江戸期最後の草木塔になる、江戸は慶応3年までで後は明治となるわけで、日本はいっきに近代化が進むことになるわけです、草木塔は明治になるとなくなっていきます、明治32年(1899)には大荒沢不動尊お堂の隣に『植立杉供養塔』がありますが、草木塔の類似塔に分類されているようです・。。昭和、平成にかけて”自然との共生”という観点で改めて注目されるようになり、現代の草木塔が生まれている、燃料は石炭、石油へと移行して、また環境の点で脱Co2となる新エネルギーが求められている100年後の世界、どうなるのかね・
いも煮
山形の秋の風物詩、芋煮会は毎年地区行事で行うのですが今年も昨年もコロナで中止、もと相模原に住んでいたころの同じ会社だった先輩も秋になると、山形に来て芋煮会してましたが、こちらもコロナで自粛、実家兄と従妹とかとやっていたのも自粛ということで今年は芋煮会なし・・我が家の家庭菜園里芋収穫は10月末半分とってましたが、まだ畑に残ってます、里芋消費も少ないんで、昨日夕飯は芋煮、〆はカレー芋煮うどんで・というかなべの半分は別容器に入れて今日の夕飯も芋煮です・明日から3連休予定してるんで我が家の里芋は最後の収穫します・・やっぱり芋煮会したいな15日声かけてみよう
塩地平の草木塔
2021年11月7日(日)この日”道の駅田沢”で新そば祭りがあり、棒杭市に参加し荷物搬入後、おにぎりおやつもって草木塔めぐりへ・・ゆっくりとウォーキングで・・ぽかぽか日曜日でよかったです・・道の駅から大峠方向への最初は”白夫平1797年寛政9年、8月13日”建立がありそのあと、大荒沢不動尊の旧参道沿いにある”大荒沢の草木塔”文政元年(1818年)8月建立のを目指して向かうと”大荒山不動尊参道入り口”と看板が出てきます、大荒沢でなく大荒山とあります、田沢のマップでは大荒沢不動尊とありますがどっちが正しいのでしょかね?、気を取り直して国道121から案内板にて、右に入り、そこそこ歩いてもまだ先なの?というところで山側から参道に出てきた熊を発見しました、熊はこちらを見てすぐ山側に戻りました・・生まれて初めての熊と遭遇ですね、天元台ロープウエイの中から沢のとこにいる熊見たことは数回ありますが・・生身で遭遇は初めて・・怖かったです・・大荒沢は止めにして行動に引き返し一番奥にある”塩地平の草木塔”へと・・今度は音立てながらです、塩地平のは1780年(安永9年)7月19日建立・・現存する草木塔で最古のものと言われてます、高さ90㎝、高さ52㎝、幅24㎝、平成9年(1997)米沢市のの有形文化財に指定されてます、風化が進み欠落、亀裂が生じていることから屋根かけて保存されているようです。ここまで道の駅から3㎞ほど・・往復6㎞いい運動でした。
白夫平の草木塔
道の駅田沢の新そば祭り11月7日この日、棒杭市が田沢であり、木工ミニ人形と野菜出品しました。9時搬入の後15時撤収なんで・・その間ちょうど調べたかった草木塔めぐりしてみました、まずは道の駅から大峠方面に約1.5kmほどのところ、白夫平の草木塔へと歩いていきました、121号線の道沿いの山際にあり、階段が整備されてます、登ると、祠と飯豊山供養塔、そして草木供養塔が並んで立ってます、寛政9年(1797)とあり飯豊山供養塔も同じ、書体も同じです、もとの位置は2mほど下だったようですが、国道の改修でこの位置になったとのこと、看板写真撮るのに山際で後ろに下がれず苦労しました