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獅子舞巡行(風景)10×25cm

  • 獅子舞巡行(風景)10×25cm

ART MEET OKITAMA2024が終わりました、大賞ノミネートしており投票が55票ありました。一位が95票で次が、72票、58票と4番目の投票数でした、帳票してくださったかた、ありがとうございました。

あと3年、70歳まで続けてみようかと思います・そのあとはわかりませんが・・・さて相模原市絵画サークルの絵画展が5月の連休にあります、のこり製作期間は約ひと月です、あと3点ほど追加製作が必要ですが、大きいのは間に合わないから、簡単にできそうな小物だけにしようと思います・・まずは昨年制作した獅子舞巡行の下書きで制作途中の小物10㎝×25㎝を数点制作しました。その1です。 

さてこの獅子舞、置賜地区にはむかで獅子という複数の人が入った獅子があります・・その獅子ルーツ調べてみました。

獅子のルーツは古代インドにあり、インドから中国、朝鮮半島、そして日本へ伝わっていったと言われていますね・・獅子舞の「獅子」はライオンのこと。インドの遊牧民はライオンには神秘的な力が宿っていると信じ、霊獣として崇めていたのです。やがて、宗教行事としてライオンを模した舞を踊るようになりました。これが獅子舞の原型と考えられています。

日本で、今の獅子舞の原形が登場したのは16世紀初めごろ、室町時代のことと言われており、伊勢の国(現在の三重県)で飢饉や疫病を追い払うために獅子頭を作り、奉納したのが獅子舞のルーツとされています。

獅子舞はその後、江戸へ伝わり、祝い事の際に獅子舞が登場する文化が定着していきました。そして江戸時代の初期、「伊勢大神楽師(いせだいかぐらし)」と「江戸大神楽師(えどだいかぐらし)」と呼ばれる芸能グループが全国を回って獅子舞の公演を行ったことで、獅子舞は急速に全国に広まりました。その後各地で郷土の風土や風習が付け加わりながら独自に発展していき、日本を代表する伝統的な民俗芸能となったのです。原型は同じでも各神社ごとに獅子幕や獅子頭も違いますからとても面白いですね。富山県と香川県には活動中の獅子舞が約800件継承されており、その形は集落ごとに様々となっているわけです。ここ置賜はムカデ獅子で富山はその数が多いようです

富山県:舞い踊る芸能獅子舞のほかに、舞を行わず、祭事行列の先導役を務める行道(ぎょうどう)獅子が残っていることが特徴といえます。富山県西部では胴幕の中へ大人数が入る百足(むかで)獅子を見ることができます。富山県の獅子舞は豊作を願う春祭りや五穀豊穣に感謝する秋祭りで多く演じられます。置賜に残る獅子舞、時間できたら全部見て回りたいけどもまだ時間に余裕はないですね つづく

2024.03.21:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

お彼岸

  • お彼岸

2024年の春のお彼岸は3月17日(日)~23日(土)の7日間、春分の日が、明日3月20日(水)、「故人と繋がりやすい」期間とされ、お墓参りに行く人々が多いですね。昨日は、従妹のアケビ棚の直しお手伝いでした・・従妹は古風できちんとお彼岸ということで・・それらしい料理を作ってますね、お彼岸らしい昼でした・・この、 お彼岸の「彼岸(ひがん)」はあの世、この世は「此岸(しがん)」と言い、お彼岸には、春のお彼岸と秋のお彼岸があります。春分の日と秋分の日を中日として、前後3日間を加えた7日間です。これは春分の日と秋分の日に、太陽が真東から昇り、真西に沈むためで、西方浄土にあるあの世とこの世が、最も近くなる日と言われてきました。ということです

2024.03.19:li-no2:コメント(0):[菜園・食・花]

茎たち菜

  • 茎たち菜

我が家の家庭菜園、今朝、畑に、うっすら雪ありましたが、あっという間に消えましたね・・今日は休みで歯医者に”なせBA”の絵画搬出でした、大根片付けして・・畑ふと見たら茎たち菜が少し出てましたね・・もうそんな時期なんですね・・初物でいただきました

2024.03.19:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]

大根

  • 大根

我が家の家庭菜園、畑に残していた?というか、ほっといた大根を掘りました・・雪が少し降っては消えて、また少し降っては消えての繰り返しでしたが、放っておくと凍みて腐れていく、土に入っている部分は大丈夫ですが・・・畑片付けの意味でも掘りだしました、畑持ってない人に届けるためですけども・・毎年採り残ししてるんですが、そもそも収穫した大根もまだ残っている

2024.03.19:li-no2:コメント(0):[菜園・食・花]

米沢市口田沢上中原の草木塔

  • 米沢市口田沢上中原の草木塔

慶応元年(一八六五)に建立された大型の草木塔、道路改修に伴い、上中原の国道121号線沿いに補修移転をしたとあります。石碑の中央に、大きく”草木塔”、右側に”慶応元年七月廿日”、左側に”三田沢講中”と刻まれている。建立者の”三田沢講中”は、口田沢・神原・入田沢を指す。ここの塔は、この地域で大切に祀られてきており、現在も、地元の田澤寺住職を導師として、六月上旬 中旬の日曜日に供養祭を催している。その際には、「草木供養之御礼」のお札が配布されており、貴重な庶民信仰の形態が現在へと引き継がれている。この模型は3個目の制作です。

2024.03.18:li-no2:コメント(0):[気ままなつぶやき]