エゾオヤマリンドウ、山地帯~亜高山帯の湿った草地に群生する多年草で、根茎は太く長く伸び、茎は直立して高さ15-30cmになる。秋の気配とともに高原に咲き始める、高原を歩くとき、その花の青さに癒やされる花です、まだ夏の暑さがのこるこの頃ですが、天元台高原の蝦夷オヤマリンドウが咲き始めました、ゲレンデ、リフト下で見れます。
赤とんぼ
アキアカネ、成虫になると標高の高い地域で7月から8月を過ごして、気温が下がってきた秋ごろに平地に移動し、少し開けた広場などで群れをなします。天元台高原で見かけるアキアカネが赤くなってきましたんね・・・童謡の 赤とんぼ・・
夕焼け小焼けの赤とんぼ、
負われて 見たのは
いつの日か
山の畑の 桑の実を
小かごに摘んだは
まぼろしか
十五でねえやは 嫁に行き
お里の 便りも
絶え果てた
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ
竿の先
『赤とんぼ』の作詞者・三木露風は5歳の時に両親が離婚。母親とは生き別れとなり、祖父の元で子守り奉公の女中(姐や)に面倒を見てもらっていたとのこと。女中の姐や(お姉さん)に背負われて「夕焼小焼の 赤とんぼ」を見た幼い頃。その姐やもやがてお嫁に行き、姐やからの手紙(便り)も送られてこなくなってしまった。という・・・作詞者が32歳の時ふと竿の先にとまっている赤とんぼを見て、そこから自分の幼い頃を回想していることのようです。曲を付けたのは昭和二年のこと、そして昭和三十六年に映画「夕やけ小やけの赤とんぼ」で挿入歌として用いられ、昭和四十年にNHK「みんなのうた」に取り上げられたことで、日本中で愛唱されるようになったのだそうです・・しんみりと哀愁漂う歌、吉田拓郎が”祭りの後”の歌いだしでハモニカ吹いている・・いい歌です
かぶと虫
米沢に移住して6年この間、生ごみはすべて家の北側に作った、肥塚に捨てている。小さいころこ、どこの家にもありましたね・・ざっこつり行くときは、この肥塚掘ってミミズ取りしました。そして中にはカブトムシの幼虫とかいたりしましたね、そしてスイカの皮なんかにカブトムシやクワガタなんかも寄ってきます、昨日カブトムシのメスですがおりました、この前はオスがいましたが捕まえる気にはなりません、そっとしてます、思えば小さい頃は、セミやカミキリムシ、クワガタ、カブトムシなんか見つけたら必ず捕って虫かご行でしたがね・・・この虫取り、子どものある時期まで虫取りは単なる遊びの域を出ません。しかし、単に虫を捕まえて育てたり標本を作ったりするだけだった段階から、やがて虫の多様な姿や生態系の不思議さに関心を抱くようになります。小学校高学年から中学生ぐらいでなると「遊び」の対象だった虫が「学び」の対象へと変化するということです、虫と接するうちに、不思議に思うことが生まれ、知りたいと思う意欲が生まれる。遊びが学びへと発展するのは昆虫に限った話ではありませんよね、虫取りは「遊び」としてのハードルが比較的低く「学び」として高度な状態へ飛躍しやすいといえるのだそうです。思えば無意識に虫取りしていたころ、虫かごの中で死んでいく虫は高学年にはのなるとかわいそうと思うようになったよね、こうして命の大切さがわかる、幼少期の虫取りも大切なものです・・