資福寺跡

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粗大ゴミ出しに千代田クリーンセンターへと出かけた帰り、久しぶりに資福寺跡へ立ち寄る・・長井氏により創建されたのが弘安年間(1278-1287)とあり、二重に土塁をめぐらした、2百メートル四方の規模を持つ寺院で出羽における禅門の中心で多くの名僧を輩出したとある。その長井氏は伊達氏の置賜侵攻で1835年に滅亡、新しく支配した伊達氏も資福寺を長井氏と同様に帰依寺、学問寺として手厚く保護し、政宗は片倉小十郎とともに学問を学んだ寺となる。伊達家が仙台に移転した時、寺も移転、現在は紫陽花寺として有名なようです、・・この跡には堂跡と伊達家の墓が残っている・・何故墓は残ってるのか、不思議ですね・・お寺は天正19年(1591)岩出山、慶長5年(1600)に仙台谷地、寛永15年(1638)現在地に移動したとある・・仙台市青葉区にある資福寺あじさいの時期だと6月25日から7月10日頃とある、行こうと思います

2021.06.08:li-no2:[歴史探訪]

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