虎列刺菩薩

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コレラの終息を祈願して、その死者を慰霊する石碑があると地区掃除のとき聞いて窪田のを見学した後、赤芝にコレラの石碑があると友人から以前聞いてたので気になってみてきました小野川温泉に向かう途中、置賜三十三観音札所二十五番となる赤芝観音の奥、赤芝羽黒神社にある、市内の桜は半分くらい散ってしまったのですが、ここの桜はまだ満開状態でした、神社の門から、神社境内の左に向かっていくと、石仏群がまとまってるとこにあります、大きな自然石の中央に虎列刺菩薩とはっきりと見れます、右に明治十二年八月三日、左側には村中安全と刻まれている江戸時代の文政五年(1822)に始まり明治になってもたびたび流行したコレラ、石碑はこうした状況のもと、コレラの終息祈願と死者の冥福を願ったもので、最初に発生した文政の時は明確な名前がなく、他の疫病と区別が不明瞭であったがこの流行の晩期にオランダ商人から”コレラ”という病名であることが伝えられて”虎列刺”とら当て字がなされたとあります、コロリと死んでしまうことから”虎狼痢”などの呼び名も広く用いられたという・・

2020.04.29:li-no2:[歴史探訪]

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