稲富流砲術隊人形作り

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白布温泉にある鉄砲鋳造跡、鋳造記念碑をみて、春日山林泉寺の鉄砲鋳造師の墓に手を合わせてきた、そして上杉鉄砲隊の人形作り開始、なせば秋祭りの9月28日までに完成させたいなと思っていたのですが遅れることやく2週間4個の人形製作完成しました、米沢藩の砲術歴史は、藩祖上杉謙信公の時代に遡り、謙信公は鉄砲の出現によって戦術が変更されるべきことを察知して鉄砲を大量に輸入して砲術を研究させた、当時の鉄砲は、三、五、八、十匁の火縄銃であったこの”もんめ”は江戸時代の重さの単位で一匁=約3.75gで当時はまだそれほど大きい鉄砲は作られていなかった、景勝の時代、直江兼続が特に熱心な砲術の奨励者で大筒の製造を図り戦に臨んで、大阪の陣では上杉の鉄砲隊が威力を発揮して上杉に抜群の手柄を立てたとある、上杉まつりなどで披露している鉄砲は白布で制作した火縄銃らしい鉄砲隊組織も2組あるようです、東京オリンピックで披露された上杉の鉄砲演武また、また再現してもらいたいものです。

2019.10.11:li-no2:[気ままなつぶやき]

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