一切経山は、吾妻連峰の北東部に位置する山、ゴォ ―という音をたてながら、噴気を上げている大穴火口がある活火山、登山中の眺めがよく、『魔女の瞳』と呼ばれ五色沼がある、その昔「空海和尚」が“一切経”という経典を山中に埋めたことからその名がついたといわれています。7月29日東麓にあるビジターセンターから姥ケ原経由して、谷地平湿原で泊り、翌30日、鎌沼、酢ヶ平湿原を経由して下山、ビジターセンター近くから、見上げる一切経山の写真です、荒涼とした山、白く音を立て、吹きあがる噴煙がすごいですね、一帯には植生はほとんどなく荒々しい岩礫の山肌です、しかし山麓は緑豊かに、さまざまな高山植物が咲き誇ってます、この日一切経山は登らずに谷地平からの下山でした。東西に長い吾妻連峰、まだいくつかの未走破ルートがある・・
谷地平小屋
7月29日新月の日を選んで、星空観賞登山、谷地平小屋を目指す。浄土平ビジターセンター9時集合で、そこからら姥ケ原を通り、針葉樹林帯の下りとなる、日差しが樹林帯で閉ざされ、暑さをしのげ、これはかなり救いですね、この日は快晴とはいかないまでも、時折強い、夏の日差しが降り注ぐ日でした。結構きつい下りがズーーーっと続き、清流のせせらぎが聞こえてきて、針葉樹林の間を抜けて川を3回だったか?渡ると谷地平にでました、そこからすぐの、三角形の避難小屋、小屋のすぐ横は、川が流れていて、飲み水はここから調達です。小屋は無人、トイレなし、年中無料開放、20名収容の避難小屋です、きれいな小屋で中の調理器具は使用可能ということみたいです。この日は、私たち4人の他に、一組の、沢登りを楽しむ夫婦が来ておりました・・夜の宴会も終わり、星空観賞は満天の星空とはいかないまでも、部分的に星が見れて満足しました。夜中3時に一人起きた、Sさんは360度展開の星空見たそうです・・他はみな、疲れと、お酒も入り爆睡していて起こさなかったみたいでしたが・・残念でしたね、谷地平は吾妻の山々に囲まれたところ標高1482m携帯の電波が届かないところです。
鬼面川
昨日、自宅のある窪田町東江俣から川西に向かう鬼面川(おものがわ)の橋上から、北側と南側を見る、3日の大雨から3日経っても、まだ濁ったままでした。川西の幼馴染が床上浸水被害があって、片付け手伝いで通りましたが、今日もまだ濁ってましたね。窪田町の東江股と川西町尾長島結ぶ、熊野橋、川には流木が残されて、流れが強かったのがわかります、この橋の歴史は1892年(明治25年)近隣住民が資金と労力を出し合う形で90メートル、幅2.4mの木橋を作り上げた、それまでは、渡し船、雨が降り増水のたびに立ち往生したところ、完成した日は花火でお祝いしたそうである、現在の熊野橋は、旧置賜中部農免道路の工事に伴い、1974(昭和49)年に完成したものとある、何度となく補強工事が行われいる。
川西町ダリア園横、鏡沼
3日の大雨で、置賜各地で被害が出て、被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。実家のある川西町ダリア園では、ダリア園下の鏡沼が、決壊とのニュースが流れびっくりしました。このダリア園は、幼少期の遊び場所でして、この鏡沼は、ボート乗り場となっておりました、その水は堤下に流れていきますが、その堤下の丸池で、よく友達と釣りなんかしたとこです。今回、実家は大丈夫とのことですが、幼馴染の家が床上浸水したと言うんでお見舞いに行きました、その帰りに、鏡沼に寄ってみたところ、沼の水は、空っぽで、擁壁の一部は崩壊、反対側の橋も崩落してました、堤下も土砂が流れて、その爪痕を感じます。ダリア園も当分の間、休園となりました、今回の記録的大雨、昭和42年に起きた羽越水害を思いだします、今日は、被災した、幼馴染の家の片づけ支援に行きます。