昨日の天元台高原、第二リフト乗り場の左側に希望の鐘があり、その上に中吾妻展望台があります、そこから中吾妻を見上げて眼下には、明道沢と明道の滝を見ることができます・・この展望台が標高1450mでこの付近が紅葉見ごろとなりました・・第三リフトの降り場付近1820mのダケカンバは葉を落としてきましたね・・紅葉もまもなく天元台高原駅1350m付近まで下がってきますね・・次の休み16日に紅葉と山ブドウ、キノコ採り兼ねてきてみようと思います・・天気が良ければいいけども・・
新山神社獅子舞
昨日、一昨日とあいにくの雨で、紅葉の吾妻登山や我が家の家庭菜園お片付け予定してましたができないしで、納戸の工作室にこもり人形つくりに精出しました。山形県川西町中小松の新山神社の獅子舞作りです、あと少しで完成となる。ここの神社は小松城という城跡にある、小松城は、鎌倉時代の創建、長井氏家臣の船山因幡守や、伊達時代には大町氏、桑折氏、牧野氏が城主を務めた。伊達家の岩出山移封の際、小松城は廃止された。仏成寺の北側に、大手門跡や櫓台跡などが保存されている。私はここにあった新山中学卒、今は新山遊園地とゲートボール場になっている。東端入口の土塁や神社との間に堀、土塁が残る。
芋煮会(直江堤公園)
10月4日に芋煮会しました。米沢市の直江石堤が残る河川敷でです、秋の風が心地よく、食べて飲んでお昼寝して、一人のまない先輩がいるので運転手付きは、いいものですね。芋煮会シーズンに合わせ芝生もきれいに刈られている、でもこの日は、私らグループ以外に誰もおりませんでした・・・さて、ここは地元の憩いの場所となっている公園として整備されているところ、その昔、直江兼続が米沢に移封後、まちづくりとともに暴れ川だった松川(最上川)の水害を防止するため、総延長10kmにおよぶ谷地河原堤防(直江石堤)と蛇堤を築いている、蛇堤とは地元の通称で、大小の河原石を横にならべて積み上げる「野面積(のずら)」と呼ばれる、戦国時代の石垣造りの工法です。この工事は下級武士を従え、兼続自ら指揮をとったといわれているところですので、散策かねて当時の堤あと見ることができますね、ところどころに説明看板もあります、米沢に移住するまえから相模原住んでた頃からの同じ会社の先輩で、スキーに山登りと同じ趣味仲間、郷里も山形と同じなので、よく帰省も一緒に来たりしてました、その先輩の誘いで現役時代から元大学後輩のHさんとスキーしに米沢に来てましたね、会社を定年してからも親睦を深める行事として、秋の芋煮会、春のスキーと年二回ほどあってますかね、今回は一緒に山登りしての翌日の芋煮会でした、また来年ということで・・元気でいないとですね・・私は66歳、先輩73歳とほんとに歳とりましたね・・