天元台の第三リフトはコメツガやオオシラビソのある原生林、コメツガはマツ科ツガ属の常緑針葉樹、オオシラビソはマツ科モミ属の常緑針葉樹である標高1600m以上のところにある、昨日20日は大寒で、一年で一番寒い時期、この寒さが育てる冬の風物詩に”樹氷”がある今年は相次ぐ寒波のおかげで蔵王の樹氷は例年以上に出来がいいとありました、蔵王はモンスター型、西吾妻は歯ブラシ樹氷といって日本海側からの西風で歯ブラシの葉のようになる樹氷が見られる・・山頂に行くと見れるけど・・それはとても厳しいからめったなことではいけません・・よほど天気のいい日に出かけましょう・・ツガの木やオオシラビソの原生林につく雪も第三リフトの降り場付近1820mと乗り場1600m付近では結構見た目で違いがわかります、昨日天元台でスキーして一枚目が降り場付近で2枚目は乗り場付近見た原生林です・・上に行くにつれ見た目でも寒さが身に沁みます昨日は1820m付近はマイナス10℃くらいかな・・昨日各地で大寒の”みそぎ”ありましたが考えられない行為ですかね・・私は絶対に無理です
大寒
24節気で20日が大寒となる、昨日天元台は強風でスキー授業を米沢スキー場に変更・・米沢の方もふぶいているけど子供は元気にスキー・・昨日雪道も視界が悪く怖かった・・県内は大寒の昨日大荒れでした・・その大寒の前が1月6日の小寒、そして大寒の後は2月3日の立春となる、この大寒が一年で最も寒い時期になり、武道ではこの時期に精神を鍛錬する『寒稽古』が行われる、また寒気を利用しての凍豆腐、寒天、酒、味噌など仕込みの時期を迎える、大寒の朝の水は一年間大丈夫という、味噌などは塩と麹を混ぜ合わせて、半年から1年間もの間、寝かせるわけです。味噌作りのスタート時点で、雑菌が多く混ざってしまうと、大豆は残念ながら腐敗してしまう、空気中に最も雑菌が少ないと言われる”大寒”その寒の内に味噌を仕込め・・と言われ、こうした事も先人達は経験をしながら一つの知恵として、現代まで受け継いでくれた・・昨年はお米つくりを体験・雪若丸を60㎏ほど収穫、マアお米と行っても植えたのと刈っただけの偽米つくり程度ですけど・・今年もコメは継続させてもらって・・新たに味噌つくりする畑を山友さんから借りることにして、自給率を上げようかと・・豆は長期保存利くし・・味噌作りできる田舎に来て市販の味噌がまずく感じるようになって・・手作り味噌しか口に合わなくなったようです・・田舎暮らしも板についてきた
新年会
一昨日は山友&スキー友と自宅で新年会・・米沢でスキーして温泉入って皆で買い物して自宅に戻り・・夕飯支度と掃除雪かき分担しての自宅飲み会です・・一番安上がりな翌朝解散・・コロナ過のなかでどうかとは思いますが・・今はコロナが深刻となり忘年会に新年会もほとんどが中止に・・その忘年会新年会に対するサラリーマンの本音をアンケートしたのが載っていた・・コロナが終息したら以前のようにやるか?では仕事もプライベートもやらなくてよいが45%とある、特に仕事関係は不要との回答が多いですね・・飲めない人にとっては酔った人の相手は疲れるし、うるさいしで・やなものです、でも仕事上もプライベートもその人隣りが見えて、本音が出たりで・・いろんなことを知ることもできる・・賛否両論はあるだろうけど。。コロナは確実に飲み会も大きく変化するんだろうなと強く感じます
白布森の館
バスプレート
お風呂と洗面所の表示プレート作ってみた・・家の洗面所とお風呂場の着替え場所の表示プレートです・・たまに山友&スキー友と泊まりの飲み会やることがある、女性もいるので着替えや入浴中にバッティングしないようプレート表示が必要になってきた・・孫娘も今年小学3年になる、昨年はコロナで結局1年間全く逢っていない・・一昨年は軽井沢で長男とこの一番上の孫娘と娘のとこの長男君生まれたときから相模原宅に来ると必ず爺は風呂当番で生まれたときから田舎に移住するまでの3年ほど一緒に風呂入っていたので違和感なく一昨年も風呂3人で入っていたけど・・上の孫娘はもう今年誕生日来ると9歳だから無理よね・・中国の教えで”男女7歳にして席を同じうせず”とある、7歳にもなれば男女の性は違うものとしての意識を持たせて、同じ場所に座らせてはいけないということ・・昔子供は弱く医療も発達してない頃は7歳までは神の子と言われてました、7歳まで元気に育つことがあたりまではなかったのです、3歳5歳と体が変わる時にお祝いし7歳までくればあとは大丈夫ということで7歳の祝いしたようです・・7歳までに亡くなったとしても神に戻ったというわけで・・ここからようやく人の子として育てたわけです・・孫の成長早いものです・