天元台スキー場開業から55年、米沢駅から直通のバスが運行、白布温泉から最終の天元台ロープウエイの湯本駅間を運行、当時の直通バスの中を撮った写真があります、中にスカーフを被ったバスガイドさんが写っています・・いまはワンマンカーになっていますが昭和40年代の初め頃まで、路線バスには「車掌さん」が必ず乗務していました。高度経済成長期のモータリゼーション(車社会化)の進展によってバス事業の経営が苦しくなった際、その合理化策として車掌さんの乗務は廃止され機械化されてしまいます、切符の販売に回収、行先のアナウンスも車掌さんが肉声で「次は○○~。お降りの方はありませんか~」てな感じで、踏切とか駐車場などでは車掌さんがバスから降りて、笛を吹きながら誘導したのです。懐かしい昭和の風景です・・
38豪雪
昭和37年(1962年)12月末から昭和38年(1963年)2月初めまでの約1か月にわたり、北陸地方を中心に東北地方から九州にかけての広い範囲で降雪が続き、記録的な豪雪となった。気象庁はこの期間の豪雪を「昭和38年1月豪雪」と命名、「38豪雪」と呼ばれている。この雪による集落の孤立、学校の休校も長期に及び、記録的な積雪による家屋倒壊やなだれが人家を倒壊するなどの甚大な被害が発生している。実家のある川西町丸太写真館さんから町に寄贈された写真に豪雪の記録がある、当時6歳、かすかにある記憶・・昔冬は家の中は暗く道路は屋根の上を歩くようなもので前の人の足跡を一列になってたどって歩くという状態でした。寄贈の写真現在地がどこか調べてみようと思います。
そば打ち名人大会
今日はお休み取って寒河江で行われた『やまがた素人そば打ち名人大会』に行ってきました、昨日が初段と2段の検定で今日はそばの会等の団体および個人一般や女子の部での個人で順位を競う大会、昨年、”源流の森そば打ち道場”でそば打ちを習い初段を取得して今年2段と思ってましたが空き家探しから移住、引っ越しやら菜園やらでそば打ちする時間なく2段も大会参加もなしで・・来年は時間とれそうで来年2段目指しますと言っていたのですが、そば師匠から来年のために観といたらと連れて行ってもらいました、今年は13団体北海道に信州、宮城、栃木など県外からも参加があり地元山形より他県のかたの優勝が多いようです、師匠の応援で行ったのですが、昼にそばと帰りにそばももらってラフランスの手土産もありラッキー・・けど所属の団体順位は残念な結果でした
豆
日本の豆歴史、紀元前4000年縄文後期に大豆の原種と言われるツルマメを利用していた痕跡が出土しているとあり大豆は約2000年前の弥生時代後期に中国から伝来したと考えられてます、味噌や醤油の製造法は奈良時代に伝わり、各地に大豆の栽培が広まったのは鎌倉時代とあんがい新しいようです、実家のある川西町は町あげて豆をPRしてます。。実家のある川西町の朝市には地元農家さんの豆がよく販売されてます、黒豆に紅大豆、うずら豆にうち豆など買っていたのを最近調理いろいろと調理するのも初めてですが楽しみながらいろいろと始めてます、今日はおとといから水につけていた黒豆を煮てみました・・おいしくいただきました「まめ」は元来、丈夫・健康を意味する言葉で「まめに働く」などの語呂合わせからも、正月には黒豆がおせち料理には欠かせない料理です、大豆などは昔は水田の畦などでも大豆を栽培し、豆腐にしたりみそにしたり、保存用に打豆をつくり、乾燥させたうえで貯蔵・・球状の大豆と比べ、小判状の打ち豆は乾燥時間や調理時間が短くて済む利点があるということでよく打ち豆料理は小さいころ母が料理してくれていて食べていました・・次回は打ち豆調理に挑戦してみます。