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そばうち道場

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今日『源流の森そば打ち道場』2回目、先生は『ふるさと寒河江そば工房』を立ち上げ、会長を務めていた松田さん、山形新聞 やまがたいきいきライフに大きく載っていた方で、いろんなところで指導されてる、今日は寒河江のサクランボたくさんもってきてくれていて、南陽のトマトあり、そば食べてサクランボ食べて満腹、もらったサクランボとそばは隣のばあちゃんにもおすそ分け、それでも今は一人暮らし、晩もそば+日本酒+サクランボで満腹、満足です。次週も近所の師匠のとこで練習するだす・

2016.06.24:li-no:コメント(0):[菜園・食]

上杉鷹山屋敷 餐霞館(さんかかん)

  • 上杉鷹山屋敷 餐霞館(さんかかん)
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 上杉鷹山が隠居後に暮らした屋敷,「餐霞館」(さんかかん):名の由来は、霞を食べる事、つまり世俗を離れ仙人のような清貧の生活を営む住居の意味と言われている。なんかこういうところまで、つつましくしていたんだと感心してしまう。ここは城の南に位置するので「南亭(なんてい)」とも呼ばれました。 土地の広さは約3000坪で、餐霞館は上段・二の間・寝間・書斎や奥方の部屋など40あまりの部屋がある大きな平屋の建物でした。ただし、生活は以前と同じく質素を心がけ、生活費増額の申入れを断わったんだそうです、天明5年(1785)に鷹山公は35歳で隠居し、家督を養父重定の次男治広に譲り、米沢城三の丸に建築した餐霞館で72歳で亡くなるまでの38年間藩政改革を指導しました。
   鷹山公の「なせば成るなさねば成らぬ何事も成らぬは人のなさぬなりけり」という言葉が壁に描かれていたそうです。私の母は米沢市万世で生まれ育っている、小さいころから、よく鷹山の教えを聞かされていました。

2016.06.24:li-no:コメント(0):[歴史探訪]

ドラマチック戎市(クラシックカー)その3

  • ドラマチック戎市(クラシックカー)その3
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戎市でのビンテージカー、どれもこころがときめくが、いちばんと言われたら、これダットサンフェアレディー2000、1967年- 「フェアレディ1600」に追加されるかたちで「フェアレディ2000」(SR311型)が発売、ソレックスキャブレター2基を備えた新設計の直列4気筒1,982cc、(145馬力/6,000rpm)と最高速度、国産初の200km/hオーバーカーとなり、高性能車としても注目を浴びた、1967年「第4回日本グランプリ」GTクラスにてフェアレディ2000が1-2-3フィニッシュを飾る。クゥー、しびれます、このデザインいまでも色あせないなー、

2016.06.19:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

ドラマチック戎市(クラシックカー)その2

  • ドラマチック戎市(クラシックカー)その2

 1962年 輸出用のDATSUN 1500(SPL310)に加え、日本国内向けモデルのフェアレディ1500(SP310)発表。直列4気筒 G型エンジン(71馬力/5,000rpm)を搭載、左向きの後部座席が備わる3人乗りであった。1963年第一回日本グランプリ、国内スポーツカーB2クラスでフェアレディ1500は優勝を飾る。源流となるダットサンスポーツDC-3発売からたった10年でこの進化、当時の日本人技術者はすごかったと思う。

2016.06.19:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]

ドラマチック戎市(クラシックカー)その1

  • ドラマチック戎市(クラシックカー)その1
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先週日曜の米沢市の戎市で見たビンテージカー、MGが随分と並んでいた、北米で成功を収めていたイギリスのMG/Tシリーズ、1950年(昭和25年)もありました、日本では1952年発売のダットサン・フェアレディの源流となる直列4気筒860ccのエンジンを搭載したダットサン、スポーツDC-3、MGを目標としていたが、遠く及ばず、1954年50台の少量生産で製造を終了した。ダットサン久々に描いてみた。

2016.06.19:li-no:コメント(0):[気ままなつぶやき]