今日『源流の森そば打ち道場』2回目、先生は『ふるさと寒河江そば工房』を立ち上げ、会長を務めていた松田さん、山形新聞 やまがたいきいきライフに大きく載っていた方で、いろんなところで指導されてる、今日は寒河江のサクランボたくさんもってきてくれていて、南陽のトマトあり、そば食べてサクランボ食べて満腹、もらったサクランボとそばは隣のばあちゃんにもおすそ分け、それでも今は一人暮らし、晩もそば+日本酒+サクランボで満腹、満足です。次週も近所の師匠のとこで練習するだす・
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上杉鷹山屋敷 餐霞館(さんかかん)
上杉鷹山が隠居後に暮らした屋敷,「餐霞館」(さんかかん):名の由来は、霞を食べる事、つまり世俗を離れ仙人のような清貧の生活を営む住居の意味と言われている。なんかこういうところまで、つつましくしていたんだと感心してしまう。ここは城の南に位置するので「南亭(なんてい)」とも呼ばれました。 土地の広さは約3000坪で、餐霞館は上段・二の間・寝間・書斎や奥方の部屋など40あまりの部屋がある大きな平屋の建物でした。ただし、生活は以前と同じく質素を心がけ、生活費増額の申入れを断わったんだそうです、天明5年(1785)に鷹山公は35歳で隠居し、家督を養父重定の次男治広に譲り、米沢城三の丸に建築した餐霞館で72歳で亡くなるまでの38年間藩政改革を指導しました。
鷹山公の「なせば成るなさねば成らぬ何事も成らぬは人のなさぬなりけり」という言葉が壁に描かれていたそうです。私の母は米沢市万世で生まれ育っている、小さいころから、よく鷹山の教えを聞かされていました。
ドラマチック戎市(クラシックカー)その3
戎市でのビンテージカー、どれもこころがときめくが、いちばんと言われたら、これダットサンフェアレディー2000、1967年- 「フェアレディ1600」に追加されるかたちで「フェアレディ2000」(SR311型)が発売、ソレックスキャブレター2基を備えた新設計の直列4気筒1,982cc、(145馬力/6,000rpm)と最高速度、国産初の200km/hオーバーカーとなり、高性能車としても注目を浴びた、1967年「第4回日本グランプリ」GTクラスにてフェアレディ2000が1-2-3フィニッシュを飾る。クゥー、しびれます、このデザインいまでも色あせないなー、