上杉鷹山屋敷 餐霞館(さんかかん)

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 上杉鷹山が隠居後に暮らした屋敷,「餐霞館」(さんかかん):名の由来は、霞を食べる事、つまり世俗を離れ仙人のような清貧の生活を営む住居の意味と言われている。なんかこういうところまで、つつましくしていたんだと感心してしまう。ここは城の南に位置するので「南亭(なんてい)」とも呼ばれました。 土地の広さは約3000坪で、餐霞館は上段・二の間・寝間・書斎や奥方の部屋など40あまりの部屋がある大きな平屋の建物でした。ただし、生活は以前と同じく質素を心がけ、生活費増額の申入れを断わったんだそうです、天明5年(1785)に鷹山公は35歳で隠居し、家督を養父重定の次男治広に譲り、米沢城三の丸に建築した餐霞館で72歳で亡くなるまでの38年間藩政改革を指導しました。
   鷹山公の「なせば成るなさねば成らぬ何事も成らぬは人のなさぬなりけり」という言葉が壁に描かれていたそうです。私の母は米沢市万世で生まれ育っている、小さいころから、よく鷹山の教えを聞かされていました。

2016.06.24:li-no:[歴史探訪]

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