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ジャイの日の料理 計3人様

メグちゃんが、ジャイの日の料理を食べに行きますと電話があり、
その後すぐに2人、2人、珍しく満席。
まあなんとか
メグちゃんはお腹いっぱいで料理もって帰ることに。
ランチ終わってから、JAY通信30冊分コピーを取りに行き、
アパートに帰り、
もう一度店に出たら
沼倉さんご来店。明日はいよいよ
発送をしなければ。
今日はこれから鍋に火を入れておくことにしよう。
2014.10.01:jay:[インド料理のあれこれ]

長い一日

ジャイの日の料理は昨日休みにして7品作ったのであと3品作ればいいだけだが、
魚は,鯖をライムとレモン汁とすりおろしたペーストに漬け込みおいておいたら、
これは油で揚げ、ソースを作り、上にのせ完成。
ところが鶏の料理は、ほとんどがココナッツミルクを使うのだが、わざとココナッツミルクを使わない料理にしようと思っていたが、
他の料理に使うココナッツミルクを自分で作っておいたがかなり余ってしまうようなので、
急遽ココナッツミルクを使った料理にしようと思い調べなおした。
これは、鶏肉にマサーラーペーストを混ぜ合わせておき、ココナッツミルクで煮ていき、
ハリーミルチ、ダニヤーパッターを入れて仕上げたもの。
結構手間がかかり大変だった。
ご飯はアマランサスを細かく切り、ご飯と一緒に炊き込むものだったので簡単。
メニューは先に書いておき、
ジャイ通信は後で清書しようと思い、
下書きだけにしておいたのだが、
予約のお客様が9時の予約を8時と1時間早く来たので、
清書する時間はなく
じゃ、ジャイ通信は後で郵送しますとのことで
御勘弁を願った。
料理とメニューは出来ていたので、
彼にとっても初めての料理ばっかり。
ジャイ通信を書き上げ、
アパートへ帰ったら2時過ぎ。
今日も長い一日だった。
2014.09.30:jay:[インド料理のあれこれ]

松山さんのこと

その当時、新宿のデング蚊で有名になった御苑、明治通りがあり、御苑に向かって左側に緑苑街という飲屋街があった頃、
松山さんと勉強会の後、ゴールデン街の後行ったり、
”ジャム”に寄った後行ったりしてた。
そこには”ナナ”という私の友人の女の子がやってた”ひとあり”という店があり、
そこにはナナの仕事仲間のファッション関係の卵達が集まっていたりしてた。
栗山氏とそこへ飲みに行ったとき、ここは玄関なので後で奥に入ろうといって1時間半くらい飲んでたら、”そろそろ、由利ちゃん奥へ入ろうか”と栗山氏が言ったので
”いや、ここが店でここしかないんだよ”
栗山氏はその店の小ささにびっくり。
そこから御苑街に入ると片側は紫色のライトがついてる
一間だけの店がずっと並んでた。おかまさんの店もあったが、
かなり怪しげだが顔なじみになってたこっちには誘いはなかった。

その反対側には”のら”や”西武門”そこを出たところに
”うらく”という店があり、うらくの店のママも美人だったが
そこは新左翼系らしく、自由法曹団の弁護士や学生がいたりとか。
例によって松山先生の”ぶどう狩り”
そのママさんも慣れたもので、サッとよけてぶどう狩りさせず、
(ぶどう狩りとは、松山さんが一瞬女性のおっぱいに触れたことを、ぶどうを狩ったといって、ワンワンといって犬のおまわりさんの唄と歌うこと)
店の女の子たちも一瞬のことといっても”松山さん駄目!”
とか”ワンワンさんたら”って言って、油断はしてない。
(つづく)

新潟のお客様

ランチのお客様は新潟からのお客様。
仕事してるとき、無性にうちのカレーが食べたくなるんだとのこと。アチャールをサービスで出したら、これにも大喜び。わざわざ新潟から来てくれる人や大阪から来てくれるお客様がいるのに、近場の人は来てくれない。まぁまぁしょうがないか。
夜も相変わらずなのでジャイの日のメニューを決めたり、ジャイ通信の下書きをしたりとなかなか忙しい。
2014.09.28:jay:[インド料理のあれこれ]

大阪からのお客様

昨日、お日様に干すという苦瓜の話をかいたが、今朝見たら、干しすぎというか、量が少なくなりすぎたので、急遽、苦瓜をあと3本追加してお日様に干すことにした。
まだ日にちがあったからよかった。
今日は吉祥寺の時のお客様が30年ぶりに会いに大阪から来てくれた。嬉しいかぎりでした。
大阪で店やってれば、こんな状態ではないですよ、と言われたが、まぁまぁ、しょうがないか。
わざわざ飛行機で来てくれ、今夜はホテルに泊まり、明日帰るとのことだった。彼はラグビーの事故で25才、いや24才だったかな、ずっと車椅子生活。精神力の強い人だ。私には彼のその当時の初々しい青年のイメージしかなく、先日の栗山氏の25年ぶりよりは、かなり驚いたが、話すれば、昔に戻れた気がする。
2014.09.27:jay:[インド料理のあれこれ]