日常へ

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6月16日(木)  晴れたり曇ったり 時々小雨

 

さすがに疲労感を感じて目覚めた。

群馬県から来ている叔父が、早めに出発するという。

ゆっくり、車で走って明るいうちに到着したいということだ。

7時に、元気に出発していった。

兄弟で唯一参列してもらって、ありがたかった。

父とは2歳違いで、容姿が良く似ている叔父がいてくれるだけで、どれだけ心強かったことか。

 

午前中、当日は法務でおいでになれなかったご寺院さまなど弔問の方が続き、葬儀社の担当者の方とも少しゆっくりとお話しをする時間を持つことができた。

 

午後からは、少しづつ寺の中の片づけ方を始める。

手伝ってくれた甥っこと、先日から気になっていた玄関先の異臭の発生源を探す。

お地蔵さまの前に、今は使われていない扉がある。

ここは、かつて廊下の奥で、玄関と位牌檀の改修工事をして、中は使えない場所になっており、縁の下ともつながっている。

恐る恐る、突っ込まれていた物を除けていくと、匂いが強くなってきた。

すると、やはり、動物の骨が出てきた。

大きさからすると狸ではないかと思う。

すでに、臭気のピークは過ぎており、一部の物を始末し、とりあえず防臭剤を撒き、後で改めて片付けることにした。

 

午後から、東京在住の檀家さんから電話があり、ご家族の容体が悪く万一の場合のことについてのご相談だった。

ご本人の意思を尊重したいということで、そのことでいろいろとお話しをさせていただいた。

 

夕刻から、もう、眠気が襲ってきた。

今夜から、ようやく少しゆっくり眠れる。

 

 

 

 

 

6月17日(金)  小雨  時々晴れ間

 

6時ちょっとすぎに、訪問者。

町内の方がお亡くなりになったという知らせだった。

私のお寺の檀家の方ではないのだが、ご家族の方とは地域やコミセン活動などでお世話になっている。
亡くなられた方は私よりも10歳年上だから、まだまだ元気な団塊世代なのだけれど、去年あたりから闘病生活を送っていらしたようである。

合掌

 

午前中、本堂の片づけ方を急いで行う。

その間も私の恩師も弔問に来てくださったり、その他にもおいでくださった。

 

13時30分から、交通安全のご祈祷。

5月末に依頼があり、私の父の事も良く知っている方で、「大丈夫ですか?」と心配してくださったのですが、敢えてお勤めさせていただくことにしました。

葬儀も終わり、一区切りついたら、法務はしっかりお勤めしなければならないと、たぶん父もそうするに違いないと思いました。

昨日あたりから、遺影がほほ笑んで見えるようなきがして、不思議です。

 

お勤めを終えて、15時頃から弔問の方が続きます。

 

そのお一人は、私の父親とその方が、自分の家族が亡くなった場合、田澤寺でお葬式を上げ檀家になる、という約束をしている旨をお話ししてくださいました。

父からは聞いていなかったのですが、その人のことはよく知っていたので、正直に父から聞いていなかったことをお話しして、でもまったく問題なく、承った。

こうしたことは、これからも少なからずありそうで、慎重に対応してゆきたいと思う。

 

夕食、久しぶりに家族だけの食事である。

落ち着きながらも、5人が4人になったという寂しさを感じる。

相方は、私の母と茶の間で寝ることに。

 

2016.08.28:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

葬儀

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6月13日(月)  晴れ

 

早くも初七日になった。

今日は私が初七日の供養の御経を上げた。

隣組の方が集まると聞いていたような気がしていたのだが、そうではなかったyうだ。

家族でお参り。

 

今日も担当者との葬儀に関する打ち合わせと、弔問においでくださった方の対応で一日を終えた。

なんとなく、精神的に余裕が出てきたような気がする。

 

ここのところ、従妹が夜に泊まって母の相手をしてくれていてありがたい。

 

 

 

 

 

6月14日(火)  

 

宗務所主催の準教師研修会というのがあって、相方が出席。

本山から管長さんがおいでになり、講話をしていただくのだ。

これは、お寺の住職が万一の事があった場合に、家族などが講習を受けてその資格を授与されると、一定期間 住職の代務者として務めていられるという制度らしい。

管長様にはめったにお会いすることもできないし、まして講話を聴く機会などなかなかなないのだが、私はやはり欠席せざるを得ない。

ちなみに、現在の管長様は私が本山の学院に在籍していた時代に、一週間に一コマ講義を持っていらして、一年間お話しをお聞きしていた方だ。

 

今日も打ち合わせと、弔問の方の応対で終了。

父の兄弟の中で、一人健在の群馬県に住む叔父が、16時ごろ到着した。

一人で車を運転してやってきた。

80歳である、いやはや元気とはいえ、よく来てくださった。

こまめに休憩をとりながら7時間ぐらいかかったようだ。

私が昨年行った時は、子ども連れで休憩をとりながら5時間ちょっとかかった距離だ。

まずは無事でよかった。

 

相方も研修から帰ってきて、娘も保育園から帰ってきて、夕食は叔父が好き(であったはず)な、塩クジラのミズナ汁を作る。

クジラの油がかなり強いので、食べ過ぎないように注意しなくちゃ。

お葬式で大変なことになるといけないからなぁ。

(でも2杯半食べてしまった。)

 

少々お酒を飲み、それから挨拶などを準備しつつ終えた。

 

 

 

 

 

6月15日(水)  晴れ  のち 夜小雨

 

6時過ぎたら弔問の方がおいでになった。

平日ゆえ、葬儀に参列できない方が、わざわざおいでくださるのだ。

 

10時に隣組の女性の方々が集まってくださり、いろいろと準備開始。

男性陣とお寺の役員がたは11時に集まり、11時30分過ぎにバス出発。

皆さんは、葬儀会場で様々な準備を行う。

 

12時に御経をおあげしてから遺族のバスが出発。

13時半からの開式前に、いくつかのチェック事項を確認し、挨拶をもう一度 紙に書いておさらい。

父の趣味の交友の部分で、当てにしていた方が来られなくなり、一部 忌中法要以降に入っていただく方のチェックができないことになってしまった。

大変失礼なのだが、現状ではあきらめざるを得ない。

完璧なんてありえない という言葉を自分に言い聞かせる。

 

葬儀は、同じ宗派の皆さまに、荘厳で立派な式を執り行っていただいた。

また、地域や様々なつながりのあるご寺院さまにも多数参列いただいた。

 

そして、大変多くの方々に参列いただき、弔詞も頂戴して、父もさぞかし喜ぶことだろう。

私の挨拶は・・・、まぁいろいろ言い尽くせないことばかりでしたが・・・、なんとか倒れないで役目を果たした。。。

その後、忌中法要、檀払いと進み17時30分に会場を後にした。

 

自宅に戻ってから、隣組・お寺役員の皆さん、親族でお念仏の数珠回しをおこなう。

お寺の広間で、ぎりぎりと輪になってお念仏を唱える。

真中に入って頭をとるのは・・・わたくし。。。

 

この春のお彼岸中日にお念仏デビューし、経験はその一度のわたくし・・・。

ここは上手い下手より、気持だ!ということでやりました。

みんな年配者も久しぶりだし、若い人ははじめてだったり、約25分間、最後はなんだか楽しく(失礼)になっちゃいました。

その後、慰労の席を設けて、21時30分に終了。

 

皆様には、今日だけではなく、父が亡くなってから9日目、いろいろとお世話になりました。

いろいろ分からないことも、フォローしていただき無事に葬儀を終えることができたこと、皆様に感謝です。

合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016.08.26:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

突然・・・

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6月4日(土)  晴れ

 

早起きして大荒沢のお堂へ行った。

様々あって、戸長里のお寺様に話をお聞きし、戻ってからも今日はいろいろと雑事を片づける。

 

母が父の様子がおかしいようだと言う。

このところ、動くのも億劫そうにしており、昼も横になっていることも多いなと私も感じる。

家に戻って、檀家さん宛てに出す文書の印刷をし、発送の準備をする。

 

ちょっと用事と買い物で出かけて、帰宅。

 

明日は田沢地区の大運動会があるのだが、さてどうしたらよいだろうか。

 

 

 

 

 

6月5日(日)  晴れ  朝は肌寒い空気ながら、日中は気温上昇    やや風強し

 

少々寝坊した。

朝食時、父親の顔色が良くなくて、ご飯も「少なくしてけろ」ということで、どうも調子が良くないらしい。

三度のご飯をしっかり、一膳と決めているものの、ちゃんと食べる人なので、調子が良くないのだろう。

母と二人で、具合が悪かったらお医者さんへ行くようにしたら、と言う。

父は「うん」と言わないので、様子を見ることにした。

 

運動会へは行かないで、発送する文書の準備をした。

追って封筒に入れ、シールを張る作業を午前中行った。

 

さて、お昼、父は相変わらずで、特に変わりがないので昼過ぎにちょっと出かけることにした。

川西町のフレンドリープラザへ向かった。

14時過ぎに、母親から電話が入り、父の具合が良くなくて、本人も病院へ行くというので戻ってくるようにとのこと。

家に向かう途中で、姉から電話。

家に行ったら、父が倒れこんでしまったとのことで救急車をよんだとのこと。

 

ようやく家に戻ると、救急車が到着しており、家から担架で搬出されるところだった。

意識はあるようである。

市立病院に運ぶということで、姉が救急車に同乗し私は車で後を追った。

 

到着後は、直ちに診察と検査。

意識はあるので、このところ毎年のように入院の原因になっている肺炎ではないだろうかと思うのだが・・・。

 

とにかく入院となり、自分は入院準備のため一度家に戻り、買い物をして再び病院へ。

検査の結果は、やはり肺炎がだいぶひどくなっており、その治療をすることになる。

ただ、肺炎の原因が特定できるまで2~3日かかるとのことで、その間は薬の効果を試しながら治療するとのこと。

 

父を入院させて、22時頃に帰宅。

隣の病室に従姉の旦那さんが入院していて、またびっくり。

先月上旬に具合が悪くなって治療しているとのことで、本人は元気になってきているようで少し安心した。

 

 

 

 

 

6月6日(月)  晴れ

 

5時半に目が覚めた。

午前中は発送する文書の準備。

その後、用事を足しに役所やスーパー、支払いなどをして帰宅。

 

お昼に帰宅すると、訃報。

友人のご母堂がお亡くなりになった。

以前から、体調を崩されて入院なさっていて、万一の場合のことを相談されていたのだが・・・、その日が来てしまった。

 

午後から、参列しなければならないご葬儀があり、そのあとで伺うことにした。

 

14時から、葬祭ホールで営まれた、私の父親の同級生の葬儀に参列した。

一昨日しらせをもらい、父はお見舞いにも葬儀にも出られそうにないと言い、自分で仏具屋さんにお供えの花を頼んでいた。

昨日の朝、息子さんがわざわざお礼に来てくださった。

 

葬儀を終えてから、通夜ホールのSさんのところへ向かった。

枕経を上げさせていただいて、葬儀日程等の打ち合わせを行って17時30分に帰宅。

合掌

 

母と相方と娘を連れて市立病院へ父の見舞いに行く。

 

酸素マスクはしているものの、意識もあり話すこともできる状態。

肺炎の状態があまり良くないので、今している酸素マスクよりももっと強いものに変えるるとのこと。

 

20時までの面会時間を終えて帰路。

西の空にオレンジ色の大きな光を発見!

いったいなんだろうと、しばし見てしまった。

 

 

 

 

 

6月7日(火) 晴れ

 

午前10時ごろ、母親のかかりつけ医院へ付き添い。

薬局にまわり、お昼には帰宅。

 

病院から、肺炎の状態が良くないため、ICUへ移したと連絡あり。

 

夕刻、一人で市立病院へ。

7階の集中治療室へ。

甥っ子たちがきており、入れ替わりで面会に。

 

甥っ子の一人が「こんなときなんなんだけど、今度店でトムヤムクン・ラーメン始めたんだ」と言う。
可笑しかったが、じいちゃんも食べられる?と聞かれて、「食べられる」と応えていた。

本人の目の力もあるし、「お葬式が出た」と報告すると「たいへんだべげんど、がんばってけろ」と話も出来て、昨日より状態が良いのではないかと感じた。

19時30分までの面会時間なので、「んじゃ、また明日」と言ってみんなで帰ってきた。

 

 

帰宅して、夕食を食べ、風呂に入れて休もうとしていた22時半頃、階下で電話を受けた母に呼ばれる。

父の状態が急変したというので、すぐに支度をして一人で病院へ向かった。

11時10分頃に七階に到着。

心臓マッサージ中で、意識は既になく、血圧も低下していた。

主治医の説明を聞いている途中で、「心停止」の報告。

11時55分 臨終であった。

 

あっけない終わり方に、呆然としてしまった。

間もなく姉たちが到着。

自宅に連絡を取り、とにかく段取りをしなければならないので、姉を残して帰宅し、安置場所などを、必死で片づけ方をする。

もう、日付は改まっている・・・。

 

 

 

 

 

6月8日(水)  晴れ

 

なんとか片づけとお掃除を終えて、病院へ連絡。

4時頃に父の遺体が帰宅し、安置。

葬儀社の方と少々打ち合わせをして、一息つく。

まず、知らせるべき人などを整理して連絡しなければ。

 

とりあえず、6時を待って知らせをすることにした。

必死で片づけして、安置され横たわる父を見ていると、まるで現実感がなく呆然としてしまった。

家族も同じ気持ちなのだろう。

 

6時過ぎて、町内会長さん・隣組長さん・お隣・檀家総代長さんなどにまずは連絡した。

それから、法類の瑞光寺さまに行き、知らせとご相談。

 

帰宅して、葬祭業者さんの担当者の方がおいでになって打ち合わせ。

30代の若い方なのだが、今までも何度かお会いしている、とてもしっかりしている担当者である。

お寺ということもあり、もう一人の方がサブとしてついてくださるとのこと。

 

瑞光寺様に枕経を上げていただき、10時から隣組の皆さんと総代長、代務しているお寺の総代さんも交えて、日程や会場などについて話し合って概要を決定。

 

さて、やるべきことはたくさんある。

どこからてをつけたらよいものか。

 

まずは、夕方にお寺の役員さんがたに集まっていただくことにしてその連絡。

 

この間、とにかく人の出入りもあり、いろんなことがあり過ぎて思い出すことができないぐらい。

弔問の方々は、みな急なことで驚かれた。

そう、私たち家族も本当にびっくりしたんですから。

 

19時から檀家総代・役員の皆さんに集まっていただき、打ち合わせと知らせの作業をしていただいた。21時で一区切りをつけて終了。

 

明日、Sさんのご葬儀を執り行わなければならない。

昨日の朝から全く眠っていないので、準備の途中で強力な睡魔に襲われるも、なんとか準備はできた。

 

 

 

 

 

6月9日(木)  晴れ

 

6時30分より、隣組の方々が町内の知らせを行ってくださった。

 

残っていたお葬式の準備を終えて、10時からの火葬に米沢市斎場に向かった。

火葬のご供養を終えて、帰宅。

 

自宅前の、忌中の掲示が、なんとも言えない。

そう、我が家で葬儀があったのは、昭和47年3月のこと。

祖父が亡くなってから、40年以上も経つ。

 

14時から葬祭ホールでS家のご葬儀。

瑞光寺様に伴僧をお願いしており、何とか無事にお勤めさせていただいた。

S君とそのご家族にもお気遣い頂いた。

檀払いまで参列して、17時に帰宅。

 

弔問の方が、相変わらず来てくださって、いろいろとお話し。

火葬は11日、葬式は15日なので、少しだけ余裕のある時間となった。

 

24時、寝落ちした。

考えてみたら、40時間ぐらい、まともに寝ていなかったんだった。。。

 

 

 

 

 

6月10日(金) 晴れ

 

新聞の朝刊のお悔やみ欄に記事が出たため、電話や弔問の方が続く。

葬祭業者の担当者さんとの打ち合わせも続く。

 

知らせ状、郵送分などまだまだあるため、その作業も続く。

 

お昼に、自分の薬がなくなりそうだったことに気がついて、、主治医に処方だけお願いをして、薬局で薬を出してもらった。

 

16時ごろ、瑞光寺様がおいでになり、打ち合わせと準備。

そして、本山から小僧都から大僧都へ大きく位階を上げていただいたとのこと。

18時から入棺である。

 

入棺を終えて、今夜はちょっとお酒を飲んだ。

いわゆる通夜の晩なのだが、寝てしまった。

 

それにしても、一般の葬儀の場合は3日から長くても5日の間で全て終えるのだから、大変なことだと思う。

 

 

 

 

 

6月11日(土) 晴れ

 

早朝より弔問の方が相次ぐ。

今日は火葬ゆえ、今の父の姿とのお別れである。

 

9時より読経。

9時15分に出棺、お寺の前で町内の方や田沢地区の方々が見送りに来てくださった。

下の町の町内を一回りし、もう一度お寺の前を通って斎場へ向かう。

道端でも、町内の方が見送ってくださった。

人生の大半をこの場所で過ごした父、本当にお別れだ。

 

9時35分に斎場に到着。

瑞光寺様・普門寺様・観音寺様に読経のご供養をしていただいた。

10時より火葬、11時25分に焼きあがった。

たまたま、おいでになっていた千眼寺ご住職がいらして、お骨を拾ってくださった。

 

お骨になった姿を見て、本当にいなくなったんだなと感じる。

とても骨太な人だったんだな。。。

 

12時過ぎに帰宅し昼食。

弔問の方のお相手と、担当者との打ち合わせが続く。

 

残っていた知らせ作業をしていたら、総代さんの一人の方が手伝ってくださってありがたかった。

 

先輩の師から、「ご葬儀で完璧なんてない、ミスがあって当たり前だと思っていいんだ」と言われて気が楽になった。

 

担当者との打ち合わせ。

そして、明日の財団のお祭りの準備を行う。

これは、仕事のお勤めゆえ、予定通りお勤めをさせていただくことにした。

 

 

 

 

 

6月12日(日)  晴れ

 

朝から弔問の方あり。

ご祈祷の準備を終えて、出かけることに。

 

9時に財団の事務所へ行くと、すでに役員の方々など参会者は出発した後だった。

打ち合わせを、ちょっと間違えちゃったか?!

まっすぐ、入田沢 八谷 普洞沢地内のお不動様へ。

9時20分から開始し9時50分まで。

次は八谷の山の神様のお堂へ移動し、10時10分からご祈祷開始、10時45分まで。

上中原の草木塔へ移動し、草木塔供養を行う。

11時から11時40分まで、終えてから財団事務所へ。

ちょうどお昼となり、この後、直会があるのだが、こちらは欠席させていただいて帰宅。

 

午後からは、繰り返し担当者との打ち合わせ、弔問の方もあり。

 

娘を連れて、裏のクワゴ(桑の実)を採りに行った。

うれしそうに、とって食べてみた。

葬儀前なのだけれど、火葬を終えて、一息ついた感はある。

娘もそんな感じをしているのだろう。

 

作業としては、知らせ状の、最後の分を出しとりあえず一服。

それにしても、遺体がなくなり、檀に遺骨と遺影が・・・。

寂しくないと言ったらウソなのだが、でも、遺体としているときとは何かが違う。

お線香を立てて、しみじみしてしまった。

 

導師を務めてくださる瑞光寺様と宗務所長の普門寺様は明日鶴岡へ。

明後日の14日は、宗務所下で醍醐派の管長様をお迎えして準教師の研修会が開催される。

本当にとても忙しい時に当たったものだなぁ。

 

2016.08.23:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

326 『孤独のグルメ』 2

  • 326 『孤独のグルメ』 2

久住昌之:原作   谷口ジロー:作画
(扶桑社  2015年9月30日 初版第1刷発行、2015年10月30日 第5刷発行)

2016.08.12:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

これからすること

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6月1日(水)  晴れ時々くもり  風が強く 気温が下がり肌寒い

夜になって雨

 

5時に起床。

墓地の草刈りを行う。

納骨堂の前の、墓石群が雪などのせいで倒れたり割れたりしてしまっており、これを何とかしたいと思っている。

墓石に刻まれている字を見ると、お寺の先代の法印の名前が彫られているものと、名字から判断して我が家とは直接のかかわりがないものがあり、後者の方が圧倒的に多い。

 

想像するに、私の祖父が、昭和40年頃に納骨堂を作った。

これは、お寺の先師代々と、当家の先祖、そしていわゆる無縁となったお墓を寄せて納骨堂に埋葬するという意図があったらしく、この墓石群はだれも供養する人がいなくなってしまった墓石を集めてきたものだと考えられる。

 

これらの墓石は、再び寄せて、ちゃんとお参りできるようにしてあげた方が良いのだろうと思う。機会を見て、取り組もう。

 

10時より、市街地の檀家さんのお宅に伺い法要のお勤め。

四十九日のご供養と納骨を行った。

納骨後に、場所を移して会食の席に及びいただいた。

 

私が働いているときに、たいへんお世話になった方で、思い出もたくさんあり、ご家族やご親族の皆さんといっぱいお話しをすることができた。

14時過ぎに帰宅。

お酒をいただいたので、しばし休憩。

 

夕刻前から、明日の準備をしていると、相方と娘が帰宅。

娘は「のどがハカハカする」という。

なるほど、のどがヒューヒューしかけているので、お風呂はおやすみ。

 

暑くなったり寒くなったり、夜体を冷やさないように気をつけなkれば。

 

 

 

 

 

6月2日(木)  夜半から雨  朝方に小雨となり  日中は晴れたり曇ったり

気温が下がり肌寒い

 

5時起床。

今日のご法事の準備をして、本堂のお掃除をする。

このところ、猫の尿の臭いがして困っている。

フロア材の上に張ったじゅうたんにしみ込んでしまっているらしく、これははがして別素材にしなければ臭いが取れないと思われる。

とりあえず、消臭剤を用いるが、これの臭いもあまり好ましくないようである。

 

娘を園に送って戻り、10時30分よりご法事のお勤め。

33回忌のご法事があり、昭和59年にお亡くなりになった方。

私が京都のお寺から帰ってきた年で、2度目のお葬式のお勤めだったような気がする。

法要を終えたから、参列された方々と住職を交えて、お茶を飲みながらいろいろとお話しをすることができた。

もうまるっと32年経ったか! という感じ。

 

年月は経ってみると、本当に早いものですね。

 

夕刻、知り合いのcafeに伺って、開店9周年を迎えられたお祝を少々。

鯛をお持ちしました・・・と言っても、お菓子の鯛(^^;

私が好きな物ですから、角屋さんから購入して。

思いのほか喜んでいただいて良かった。

 

娘はのどの調子が良くなくて寝つけず、相方におぶられて就寝した。

 

 

 

 

 

6月3日(金)  晴れ  朝方寒いと感じる  日中は気温上昇

 

5時起床。

この時間は事務仕事がはかどる時間。

 

娘を園に送ってから、過日、役員会で決まった事項について、檀家さんに出す文書を作成し、あとは印刷するばかりとなる。

その他、いくつかの用事を足して午前中は終了。

 

午後からは、車庫の中にごみ状態になっている不用品を掃除して、千代田クリーンセンターに搬入。

16時ちょっと前、ぎりぎりで間に合って片づけ完了。

 

その帰り道、米沢市役所に周る。

この頃の両親の生活状況を考えて、そろそろ介護の認定をしてもらう手続きをしておいた方が良いだろと思えてきた。

申請書をもらってきた。

 

娘の状態は良くなってきたようで、夕刻はシャボン玉を飛ばして薄暗くなるまで遊んだ。

 

ちょいと、不思議というか、合点がいかないのだが・・・、送金したお金が5円多かったということで、郵便書留で返金されてきた。
金融機関からなのだけれど、これは律義と言うべきか、何らかのプレッシャーと取るべきであろうか・・・、考えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2016.08.10:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]