令和5年度の上杉文華館は「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。
上杉文華館では、国宝「上杉家文書」を毎月入れ替えながら常時展示しています。上杉家文書は、江戸時代以降に行われた文書の管理や歴史編纂を通じて、中世以来の上杉家の由緒や権威、特定の当主の事績を示す文書が収集、選別され、移動や変化を続けながら、現在の構成(2018通、4帖、26冊、保存容器として両掛入文書箱、精撰古案両掛入文書箱、黒塗掛硯箱、赤箪笥 乾・坤2棹、附として歴代年譜325冊)になったことが明らかになっています。
また、「上杉家文書」とは別に「上杉文書」と呼ばれる藩政文書を中心とした1万点弱の史料群があり、米沢市では令和3年度から文化庁の「地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業」の補助を受け、調査に取り組んでいます。その中核は文書管理や歴史編纂を担った、江戸時代の御記録方や、近代の上杉家記録編纂所総裁伊佐早謙の関連文書です。上杉文書には、国宝「上杉家文書」を深く理解するための手がかりが、豊富に含まれています。
今年度は本調査事業の成果を活用して2つの史料群を紐解きながら、江戸時代から近代にかけて、文書の具体的な管理方法と歴史や記録の編纂事業、その背景にある藩政の状況や世情をご紹介します。永年にわたり文書を守り伝え、活用してきた人々の営為にご注目下さい。
「上杉文書」調査の詳細はこちら
《茂憲と戊辰戦争》
展示目録はこちらよりご覧ください。
【展示期間】1月30日(火)~2月25日(日)
慶応3年(1867)10月、将軍徳川慶喜は大政奉還を朝廷に願い出、12月には王政復古により新政府が成立します。翌正月、米沢藩は慶喜の要請を受け大坂に向けて出兵(上坂)しますが、鳥羽伏見の戦いでの旧幕府側の敗走を知り、途中の福島で兵を引きました。
新政府が会津藩征討を命じると、東北諸藩は連携して寛大な処置を求め、閏4月には奥羽列藩同盟が成立、後に越後諸藩も同盟に加わります。5月以降、米沢藩は越後を主戦場に戦いますが、7月末に新潟港を失い、8月に入って藩境に新政府軍が迫ると、降伏交渉を進めます。9月、世子上杉茂憲は謝罪降伏のため藩主斉憲の名代として越後新発田の総督府に赴き、米沢藩は新政府側として庄内と会津に出兵しました。12月、同盟側の諸大名に一斉に処罰が下され、斉憲の隠居と茂憲への藩主交代が命じられました。
さて、国宝「上杉家文書」には、慶応3年の大政奉還関係の文書が10点伝来しています。慶応4年の文書は9点あり、うち7点は12月の同盟側諸大名処罰の達書類です。2月から11月にかけての文書は皆無です。これと対照的に、「上杉文書」には外交文書や重臣の日記、各地の戦線から米沢に届いた重要書類などが、300点ほど伝来しています。
明治時代中期以降、茂憲のもとで行われた文書管理に際し、戊辰戦争期の文書は、宝物として扱う家伝文書(上杉家文書)にはほとんど選ばれませんでした。その多くは茂憲の指示で歴史編纂に取り組んだ伊佐早謙の参考資料(上杉文書)として伝来したと考えられます。
▼ コレクショントーク
日時:2月4日(日) 14:00
場所:常設展示室 上杉文華館
※参加には入館料が必要です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしております。
【お問い合わせ】
米沢市上杉博物館 0238-26-8001