負け組みで・・・ナンボ、それでの観念。

全国エリアの大組織の会合に出て今、帰宅。

有能で見慣れた出席者が、東大卒と聞き結構ビックリもそういう会合に出れるからの貴重と思えた。
経営する会社の規模で優劣を自覚するに及ぶも、それは別枝と同じ≪観念の境地≫があればストレスもあれど寄り添うことができぬ範疇の域ではない。

要は負け組みが戦後高度成長期から数年前までに、少なかったことが稀であったのだ。そこを自覚できれば何のことはない。後ろ向きに生きることでもないはずと確信す。
その把握での負け組みの自覚は悪いことでもなく、難儀な経営持続の遂行を試みることも大いにとは及ばないまでも、ある種の生きる意味にさえなるのである。


2010.01.22:amaiseikat:[特に≪歴史≫なドップリこん]

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