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気分は原始人 【福島市 安達屋】

  • 気分は原始人 【福島市 安達屋】
雪も降っていたので温まるために洞窟風呂の中で
ボケ~ッと入っておりました。
温まり過ぎると外へ出て涼みながら露天へ入浴。

偵察用の人工衛星から見たら
裸の男が穴から出たり入ったり・・・
原始人と間違われるかもしれません(笑)

Google Earthに登場しちゃう可能性もないとは言えない??
夜だから見えないかな。



高湯温泉「安達屋

福島県福島市町庭坂字高湯21
電話: 024-591-1155

お盆って何?

三十数年生きてきて今更ながらに不思議に思ってみました(笑)

もともとは仏教からきているのはわかるけど、
そこに日本人の得意分野であるいろんな解釈とアレンジが加わって
民俗的に独自の進化をしている行事となっている模様。

大筋でいうと・・・
【お盆】は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略。

なんじゃ?
「うらぼんえ」
これはサンスクリット語の"ウラバンナ"を音訳したものらしい。
それを漢字にすると・・・「盂蘭盆会」

何だか伝言ゲームと当て字でご利益とってある?
当初の意味と同じ?仏さまって何?
と冷めたことを思ってしまうのは私だけでしょうか?^_^;


脱線しましたが・・・
“ウラバンナ”
とは「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さづりにされ苦しんでいる」という意味で
そのために供養を営むのが、「盂蘭盆会」

・・・ん?ってことは
みんなの先祖が地獄行き??苦笑
 
まぁ、実際は

『釈尊の弟子の一人の目連尊者が、神通力で亡くなった母の姿を見たところ、
餓鬼道に落ちて苦しんでいたので、何とかして救いたいと釈尊に尋ね。
釈尊が「七月十五日に、過去七世の亡き先祖や父母たちのために、
ご馳走を作って、僧侶たちに与え、その飲食をもって、供養するとよい」
と教えたそうです。そして、その教えの通りにすると、目連の母は餓鬼道の
苦しみから解放され、成仏することができたそうです。』
これが盂蘭盆会の始まりといわれています。

だから、
【お盆(盂蘭盆会)は、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、
成仏してくれるように、私たち子孫が、報恩の供養をすること】

神様仏様は本当に存在するかは私にはわかりませんが
「敬う」という心が大事なのだと思います。
それは生きている亡くなったにかかわらず。

今の日本人の「心」は「餓鬼道」と直結している人が多い気がします。
システム的な社会には「心(情)」は存在し辛いですからねぇ。
でも、それが通用する現代は、貧富の差も大きくなり、弱者と強者が
あまりにもはっきりしており、その差を縮めようとしても強いものはより強く、
弱いものはなかなか這いあがれない・・・
まさに「地獄」といえてしまう状況なのかもしれません。
2007.08.13:コメント(2):[徒然な記憶]

牛タンよりもがっつり焼肉派だな 【山形市南館 丹屋】

  • 牛タンよりもがっつり焼肉派だな 【山形市南館 丹屋】
夜に食べに行ったんだが・・・何だか居酒屋だった。
ココは牛タンよりも焼鳥丼が有名らしい(笑)

私的にはこの厚手牛タンはあまり好きじゃないんですよねぇ。
牛タンは輸入モノだろうか?
すこし何か物足りない感じの定食でした。

麦飯&とろろも欲しかったなぁ~ご飯おかわり自由で^_^;



「丹屋」
山形市南館3丁目7-14
電話:023-643-8390

お盆の時期

私の住む南陽は、8月13日の夜にお墓参りをします。

でも、父の実家の上山では、8月14日の昼過ぎからお墓に行きます。
1日ずれているので両方にお墓参りに行けるのはいいのですが
全国統一的なものではないのでしょうかねぇ?


この時期は3つが有力らしく

①「7月盆」
②「8月盆(月遅れ盆)」
③「旧盆」

地域的な特徴は以下・・・

①7月盆
 新暦 7月15日ころが中心
東京・横浜・東北地方など

②「8月盆」
 新暦 8月15日ころが中心
 全国的に多い。北海道・新潟・長野・関東南部・関西地方 など

③「旧 盆」
 旧暦 7月15日ころが中心(新暦での日程は、年によってことなる。)
関東北部・中国・四国九州・南西諸島など


②の「8月盆」は、慣用的な用法として「旧盆」と呼ばれます。
これは新暦の7月盆との対比を意識しているのですが、
③の旧暦の盆と混同しがちなので要注意。

①~③のお盆の代表的な地域でそれがごちゃまぜになっているのが現状。


では、なぜにお盆の時期が「3つ」?ってうと

明治時代のはじめに旧暦が新暦に切り替えられたとき、
全国各地域で対応のちがいがあったという単にそれだけ。

昔は何でもアバウトです。私はそれがいいトコでもあると思うのですが
仕事的には逆に、歪みが出て収拾つかない時もあるので
私を悩ます原因のひとつです。内容とは関係ないのですが・・・^_^;


話を戻します。
江戸時代までの日本の暦は全国等しく「旧暦」(太陰太陽暦)。
江戸時代末期には幕府の定めた「天保暦」という暦で、
当然お盆の時期も、「旧暦・7月」でほぼ全国的に一致していました。

明治時代、新政府は暦を国際標準化するため「新暦」(太陽暦)を採用し、
旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日と暦を切替えました。 
その時に・・・
旧暦で行われてきたお祭りや年中行事の日程をどうするか?
この問題が起きて混乱しちゃったわけなんですねぇ。

①新暦重視型 (東京など)
新暦に変更し、「7月15日」という以前のお盆の日取りはそのまま。
結果として、以前よりも早い時季にお盆を迎えることになった。

特に東京には天皇が在住ということで、
政府の決めた新暦に従う意識が強かった模様。

②折衷型 (関西ほか各地)
新暦に変更はするが、もとのお盆の時季になるべく合わせるため、
日取りを1ヶ月遅らせて(=月遅れ)「8月15日」をお盆とした。

③旧暦重視型 (南西諸島など)
新暦に変更せず、いままで通り「旧暦7月15日」をお盆とした。

ご先祖様を特に大事にすることで有名な沖縄は、
先祖祭りの時期を変えることはできなかった模様。


このように、昔から・・・って思われているものも時代の流れで
大きく変化しております。
固執し過ぎたり、意地を張ったりせずに周囲と調和を図りながら
自分の利だけを求めないのであれば人は平和にいられると思うのですが
それが一番難しいのでしょうねぇ。
欲っていう底なし沼を人間は持っておりますから。
2007.08.12:コメント(0):[徒然な記憶]

北上川を望みて…

  • 北上川を望みて…
武士(もののふ)たちもココからこの景色を見たのだろうか?
何だか感慨深くなる風景です。

そんな素晴らしい丘の上にそびえたつ牛の博物館。
ん~~アンバランス(笑)


牛の博物館
岩手県奥州市前沢区字南陣場103-1
電話:0197-56-7666
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