草木塔の郷 DENTAKUJI なあまず日記

草木塔の郷 DENTAKUJI なあまず日記
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高山駅前で、今夜泊まれる温泉宿を予約できた。
ただ、旅行券の使い方を知らなかった(--;ので、ちょっと落ち込む。

さて、一路奥飛騨温泉郷を目指して車を走らせる。
旅行券のことで、ちょっと不機嫌になった私。
あれこれ尋ねる相方に「ちょっと黙ってでけろ」と言う。

しばし沈黙の後、山の中、目指す温泉に到着。
すっかり、周囲は暗くなっていた。



それにしても、飛騨牛のステーキのついた旅館のお料理。
振り返ってみれば、一泊に一人1万円以上使うのは、この度で初めてである。
全、8泊中の5割方の宿泊費を使うことになるのだ。
安いホテルとかユースとか泊まり歩いてきたんだった。

この日は、たまたま私の誕生日。
宿のご主人が、お祝いにと、ビール代をサービスしてくださった^^
ありがたいなぁ。

温泉にゆっくりつかって疲れ機嫌も治ったのでした。


翌。23日は露天風呂を探して温泉郷を走る。
川沿いの山荘で、入れてもらえた。
いやぁ、槍ヶ岳をバックに、4月とはいえ寒い風を感じながら、いい気分です。

そして、いよいよ帰路につきます。
明日から、仕事なので、今夜帰りつかなくてはならない。


ひたすら山の合間を走って、再びの富山市。
またまたライトレールに乗り、お土産を買ったり散策。

暢気にし過ぎてしまった。

帰りは、高速を使う手もあるのだが、ここまで使ってこなかったのだからと、ひたすら一般道を新潟へ向かって走る。



新潟県境の朝日町で、「天香寺ユース」の看板を発見!
また逢う日まで~。

新潟県はとにかく長い。夕暮れから夜中になってゆく。

新潟市郊外で、夜食。




この旅最後の食事は、私がカツカレー、相方はラーメンだった^^;

村上市から小国町へ向かう頃には、24日になっていた。
あと、2時間足らず。

そうとうな眠気が襲ってきて、とうとう小国町のはずれにある待避所で仮眠をとらなければ危険な状態になった。

小一時間で復活。

4月24日午前2時半、無事に帰宅した。

結婚して初めての遠出は、終了した。

目指せ京都!あわよくば出雲!!

結果、富山と能登半島の良さにはまり込んでしまい、会えなく金沢から戻ってきてしまった。

これは、これからの二人旅の行く末を暗示するものなのか??

それでも、充分に一般道にこだわって、旅を楽しんできたのでした。
さて、この次はどこへ行こうかな。

(了)

※この旅を終えてから、1年半の時間が建ってしまいました^^;

さてさて、京都へ向かうのを断念して、金沢から元来た道を戻るような形で富山方面へ行くことにした。

金沢では、21世紀美術館や西の町屋などを見て、途中雨に当たり、薄暗くなってからの出発になってしまった。


真っすぐ帰って来るには少し時間があるので、またまた寄り道。
「奥飛騨温泉郷へ行きたい」ということになり、この日、これからどこまで行くことができるのだろうか?!

車を走らせているうちに、砺波市ぐらいで泊まった方がよさそうだということになり、砺波駅付近のホテルを探す。

駅前にまたありました、アパホテル^^;
今回の旅は、アパ巡りみたいですなぁ…。




一息ついて、駅前の食堂を探すも、8時過ぎているのでおおかた閉店してしまっている。
そのうち、「よしはる」という名前のお好み焼き屋があったので入店。
名前にも縁があるし、あい変らずお店のチョイスははずれがない。


そして、翌日、奥飛騨方面へ向かって出発。



山間の道をトコトコ走らせて、五箇山の多層民家地域に着いて、まず相倉集落の建物を見せていただいた。
そこは、あまり観光化されていなくて、素朴な雰囲気楽しむことができた。


そこから、有名な白川郷へ。
ここはさすがにすごい数の観光客でいっぱい。
建物も、じつに大きなお寺から一般の民家までバラエティに富んでいます。

お腹が減ったせいか、なんとなく機嫌がよくなくなって、とにかく昼食をとろうということにある。




この昼食は、今回の旅で唯一の失敗でした。
典型的な観光地の「こんなもんでいかんべ」的な食堂でした。
焦るとろくなことがないものですね。




住職もいらっしゃる大きなお寺で話をお聞きし、茅葺中の家も見て、白川郷にも別れを告げます。

そして、いよいよ奥飛騨温泉郷に向かいます。

また、山間の道を進み高山市に入ります。
いきなり、新興宗教の大伽藍らしき建物が目に飛び込んできてびっくり。
ひなびた、日本の田舎の風情を予想していたので(もちろん街中はそうでした)、予想外でした。

そして、駅前の観光案内所で今夜の宿を探します。
今夜が最後なので、少しだけ贅沢をしようと思ったのでした。






 金沢には、京都の本山での修行時代の同期だった聖子ちゃんがいる。
 昭和59年の春に本山から戻ったのだから、それからでも25年も経っているのだ。
 この間、便りのやり取りはあるものの、最後に顔を合わせたのは15年以上前かもしれぬ。
 当時、高校を卒業したてでやってきた彼女は、40代も半ば近くになっているわけだ^^;

 兼六公園で聖子ちゃんと待ち合わせた私たちは、あい変らず元気で3人の母親とは思えないほど生き生きした女性になっていた。
 サッカーで怪我したせいで、階段などでちょっと大変そうなのを除けばである。


町屋を歩きながら、昔話をし、今の話を延々とした。
準別格本山の跡取り娘に生まれ、お婿さんを迎えて幸せそうにしている。

近江町市塲に行き、昼食。


食事をしながらまた話す。
女子サッカーの全国大会に出場することを目標に頑張っているらしい。
10代の少女はちょっと派手目のねえちゃんになった。
私も40代後半のおっさんになった。
けど、彼女からあふれるような元気を分けてもらい、にこやかに、「じゃぁねアラさん!」と別れて行った。


金沢はおっきい。

もう一つの町屋。
21世紀美術館などを見ているうちにたちまち時間は過ぎてしまった。


町屋の一角にある和風の喫茶店で、「もう、京都へ行くのは時間的に難しい」という結論を出した。

京都はまた今度来ようと、車を岐路に向け富山に戻ることにした。


それにしても、旅の記録なのに食べ物か食べているところの画像が多いなぁ。

移動したり、何か見ているときは、写真を撮りより楽しむ方が先立ってしまいます。
そんなわけで、輪島の千枚田を午後少し遅い時間に出てから、金沢市に入ろうということになり、ひたすら南下した。
羽咋市(はくいし)を通り暗くなってきて、腹が減ったし、金沢市内まではまだ時間がかかりそうなので、夕食を摂ることにした。
地名はよくわからぬが、道路沿いにイタリアン風のカジュアルなレストランがあったので、入店。


トマトソースとチーズのたっぷり入ったパスタで満足する。

「今まで入った食べ物屋さん、はずれがないよね。鼻が効くんじゃない」と相方に言われる。
ほめられたんだかおだてられたのだか?!よくわからない。
でも、なんだかいい気分になる。
「そうでしょうそうでしょう^^;」

食事が終わると、またまっすぐに金沢へ。
金沢はでっかい。
地図で見ると金沢に入ったといってもよくよく端の方で、中心にたどりつくまでたいへんそうだ。

ラッシュアワーを避け、できるだけ余裕を持って運転できるように、八時半過ぎに市内に入った。

高速道路のような一般道である。
うむむ、ちょとびびりながら、相方にナビしてもらって市内入り。

今時、ETCなし、ナビなしで遠出するのもあれです、「珍しい」といわれます。でも、旅として考えれば、このほうが面白いことは必定です。
ただし、相棒も楽しめるかどうかがおっきなポイントですけどね。

金沢市内をウロウロし、またまたアパホテルを見っつけてチェックイン。
この旅はアパの旅ですな^^;
カードも作ったし

金沢には、お寺時代の同期がいる。
早速電話し「金沢に来てるんだけど、明日、時間ないかな?」
「え~、あらさん来てるん~ん?!大丈夫」というわけで、兼六公園内で待ち合わせることにした。

お寺の学院の同期で4歳下の聖子ちゃんは、25年前とほとんど同じテンションの高さと声、そのままだった。

金蔵という地域にはお寺が五つ。
そのうち塔頭(寺院内の寺)が二つで、三つの大きなお寺がある。

このカフェがある慶願寺と正願寺と金蔵寺。
カフェを出た後、真言宗のお寺金蔵寺に。

お盆には、万灯会がとても賑やかに催されるとのこと。

この山の中の地域に大きなお寺があるわけは?
なんでも、昔(どのくらい昔かわからない^^;)戦があった時、お城代わりに用いるようになっていたとか(本当でしょうか?!)

金蔵から日本海側の道路に出ると、蒼い海が広がる。
まさに海沿いを走る道路は、起伏の大きな、しかもワインディングロードだ。
それに、前年の能登地震の爪痕がまだ残っていて、その復旧工事のため、迂回する道路もあちらこちらで見られた。

塩田で一息つき、間もなく、棚田が見事な、道の駅ポケットパークに一休みする。



さて、夕暮れてきて、旅も後半、どこまで行けるのだろうか?
今日はどこまで行けるのか?!
ちょこっと不安になって、「どうしよう?」と相談。

よし、金沢へ行こう。
金沢には、修行時代の仲間がいるのだよ!


能都漁火ユースホステルのヘルプをしている女性から、「お寺カフェ」のことを聞いていました。

輪島市の山の方にあり、何度も行ったことがあり、なかなか素敵なところらしい。

「これもいかなきゃならないでしょ!」というわけで、珠洲市の丸和工業から七輪を買い、目指すは寺カフェ。

能登半島のほぼ先端部から、反対側の海に出ないで、山中の道を輪島に向かって走る。

輪島市の「金蔵」といところにある。
さほど苦労することなく金蔵地区に着いた。
が、「ほんとにこんな山の中にカフェがあるの?」って、二人は顔を見合わせた。

失礼ながら、わが故郷「田沢」なんてもんじゃない^^;
でも、狭い坂を登ると、金沢ナンバーの車が停まっている。

あった。
サクラがきれいに咲いている大きなお寺「慶願寺」。



Cafe「木の音(こえ)」 営業中。

とても大きく立派なお寺。



本堂と庫裡をつなぐ廊下を利用してカフェスペースができている。
とてもセンスのよい作り!



能登丼を食べ、



お団子を食べ、大満足^0^

奥さまに話を聞き、私たちも、いつかやってみたい、そんな気持ちになった。


現場の担当者のおじさんにも、「取材ですか?!」と尋ねられた。

「いえいえ、ただの通りすがりの者です」

なんだか、お昼の時間だというのに申し訳ない。
やはり、このところ、テレビや新聞・雑誌の取材が多いらしい。

構内に案内されるまま入ってゆく。

本当は、というか、正式にはやたらと入れてはいけないことになっているらしい。



上ったり下ったり、右へ行ったり左へ行ったり。
今、この案内のおじさんが不意にいなくなったら、入口に戻れないかも…。

もし今、大きな地震が来たらヤバいなぁ。
そんなことを想いながら進む。



10分も歩いたか、ようやく採掘現場へ到着。
なるほどなるほど、七輪の大きさごとに、土を壁から切り取るような感じだ。



珪藻土はこうして掘りだされている。

七輪でバーべキューするとき、みんなに話そう。

滞在すること30分。

無事にもと来た坑口に戻り、丁重にお礼して帰ってきた。
購入した七輪は、大切に使わなければ^^



海沿いの道をのんびりと珠洲市に向かい、珪藻土七輪を作っているという丸和工業㈱を探す。

能登のユースで別れたシンガポールから来ている夫妻を見つけることはできない。

大まかな地図を頼りに、山手の方へ入った道をしばらく尋ねて車を走らせると、ようやく丸和工業という看板を見つけた。

工場の前には、製品がいっぱい、所狭しと並べてある。
商品を展示というより、かなり無造作に置いてある。
値段が書いてあるので、間違いなく売っているものだ。

なんだか、商品を見ているうちに、なんだか内側からふつふつと盛り上がって来るものがある。
相方も、私以上になんだか「これはいい!」という思いになってきたようだ。

この工場で、写真を撮るのを忘れてしまった。



結果から言えば、買ったのであります!
珪藻土を切りだして作った七輪。

様々な形や大きさがある中から、「ひまわり七輪」 8,400円!!
「これで、七輪パーティやろう。これを土産にしよう!!」とま、勝手に盛り上がったのです。



で、こんなふうに使って楽しんだのです^^;

七輪を作ってるとこみたら、「取材かね?」と従業員の人にいわれる。
「いえいえ^^;」

最近、地方だけでなく全国ネットのテレビなどでも取材され放映されたらしい。
私たちは全く知らなかった。

これを掘り出してる「現場(山の中)を見るか?」
「見られるんですか?」
「さっき、自転車で来た二人も行ったよ」
やっぱり、先行していたのだ。

それで、山道をさらに車で登って行くことになった。
しかし、道がいっぱい分かれていて、解らなくなった。

一軒のい家が建っていて、畑に50代ぐらいの男女(夫婦?!)が野良仕事をしていた。
道を尋ねると、おっちゃんが、「教えるより、俺行ってみっからついてこい!」と、原付バイクに乗って道案内してくれた。

あはは、なんていい人たちなんだろう^^

やはり、込み入った山道をくねくねと曲りながらようやく現場入り口に着き、「んじゃ」と行っておっちゃんもと来た道を戻っていった。

そして、現場。
地元にあった鉱山と同じ雰囲気だ。
「取材かね?」
「いえいえ」

というわけで、構内に案内してもらった。

能都漁火ユースホステルはほんとに海のそばだった。
ガイドブックには、「玄関から海まで3歩」と書いてある。
おおげさではなく、そんな感じ。

ペアレントのおっちゃんは現役の漁師でもある。
そのとおり、翌日は早朝漁に出て戻ってきた。




4月の半ば過ぎで、シーズンはずれでもあるせいか、私たち以外の客はもう一組だけ。

夕暮れの7時頃にユースに着いた私たちは、ぎりぎりで夕食に間に合った。
期待通り、美味しい海の幸をいただくことができた。


もう一組は、シンガポールからやってきた夫婦。
男性はシンガポール人で相方は日本人。
私と同じぐらいの年配だろうか。

名古屋から自転車ツーリングでやってきたとのこと。
「夫はお腹の調子が悪いので…」と、少し早目に席を立った。

彼女の方は、食後、私たちと話をして過ごした。

翌日はどこに向かうか、という話になった。
彼女はお料理が好きで、珠洲市へ行っての料理用の七輪を作っているところを訪ねるという。

なんでも、日本で唯一、珪藻土を掘り出して七輪を作っている工場があるらしい。
私たちも、とても気になって、どうせここまで来たのだから、能登半島の先端にある珠洲まで行こうじゃないかという気になった。

翌朝、窓から朝日が昇るところを真正面で見ることができた(表紙の画像)。



早朝、海端を散歩した。
漁火ユースホステルは、小さな入り江に隠れるように建っている。

朝食を、また夫婦二組 4人でいただき、間もなくシンガポールから来た自転車の二人組は出発していった。
男性は、腹の調子もすっかり回復したそうだ。

私たちはすこしゆっくりと過ごし、「行ってきます」と出立。
ほんと、またここには来たいものだ。



私たちは、能登半島のほぼ先端部にある珠洲市を目指し、海端の道をゆっくり車を走らせる。

時々、車を止めて休みながら。
自転車の二人には追いつかないようだ。
かなり、アップダウンのある道なのだが、彼らはそうとう走りこんでいる。

軍艦島で一服。
軍艦巻きにも見えるなぁ。

間もなく、珠洲市に入るところである。




七尾市のお寺巡りで時間を過ぎしすぎて、しかも、能都町へ向かう道が見つからずしばし迷ってしまった。

もう、2時間もあれば目指すユースホステルに着くのだが。
右手に富山湾を見ながら、海沿いの道をアップダウンとワインディングを繰り返しながらひたすら能都町を目指す。

しだいに夕暮れて周囲が薄暗くなってきた。
かなり近くまできたと思われる駐車帯に車を止めてユースに電話した。
今度は、かなり若い女性の声。

道案内をしてもらうのだが、「う~ん、間近まで来たらもう一度お電話くださいませんか。電話で説明するのはかなり難しいんですよ~」ということで、おおよその道順を聞き、浜辺の方へと車を走らせる。

小木漁港のあたりを走っていれば、「なんかわかるだろう」とたかをくくって探し始める。
漁港では春のお祭りらしく、お神輿が出て賑わっている脇をすり抜けて、さらに海辺を走る。

教えてもらった通り、走っているつもりが、なんだかもう埠頭の端っこみたいな場所に出て、「ここから、海に落ちて、泳いでいぐんだべか」「…」

さらに、あちこちさまよい、時間はもう7時近くなり夕やみに包まれた。
だんだん焦ってきて、相方と「あっちだ、こっちだ」とやっているうちに、だんだんと腹が立って来るのがわかる。

お腹がすいてきたのだ。

海と山の小さな場所に寄り添って建っているような家々。
その細い道のさらに細い脇道に入るユースの看板を見つけた。

ドキドキしながらその道を上ると、小さな峠の向こうにまた海辺の集落があった。

車を防波堤の方に向けると、コンクリートの防波堤に案内看板があり「すぐそこ」と書いてある。

「あった!」
たしかにすぐそこ。



普通の民家のようなたたずまい。
ガイドブックをもう一度みると、「海まで3歩」。

あはははは、ほんとだ。
玄関を出ると、ペアレントが所有している漁船が停泊していた。

疲れ切った私たちは、ようやく宿にたどりつくことができたのだ。



高岡市の、道の駅「万葉の里」の里で、大仏コロッケと白エビコロッケを食べて満足して、駐車場へ。
さて、どうしよう?!
一路、京都へ上っていこうかと思ったら、相方が一言。

「能登に面白い宿があるんだよね」
「えっ?能登?!」
「うん、漁師さんがやってるユース」
「ほう」
「魚がかなりうまいらしいよ」
「いいな!」
というわけで、だめもとで電話。
そしたら、人の良さそうな声の男性が「いいですよ」と軽くOK。
こうなったらもう行くしかありません。

高岡からは、3時間半から4時間で着きそうだ。
それに、能登半島は高速道路がほとんどない。
このたびにはぴったりではないか。

高岡から氷見を通り石川県に入り、七尾市へ。
七尾もなんだか面白そうなところあり。


海端の道をとことこ走って、少し山の方に入ると、「瞑想の道」というコースがある。
これは、山の周辺に切られている道を歩いて、十数ヶ寺を周るというものだった。
ほとんど観光地化されていない普通のお寺めぐりは、思いのほか興味深く、生活感のあるお寺やすでに人気のないところもあり。
その最後の方にはジーパン和尚という面白いお寺がありました。
残念ながら、お坊さんは不在でした。

それともう一つ、和蝋燭のお店を見つけた。



オリジナルの「菜の花蝋燭」を購入し満足。



そうこうしているうちに、道に迷い、予定より遅れて七尾を出て、能都町の「漁火ユース」を目指して出発した。
高岡の大仏様を拝むと、ライトレール万葉線に乗りこみ、車を置いているアパホテルへ向かう。

この日は、何かの記念日で、乗り放題でどこまで行っても100円とのこと。
できれば、この市街電車を愉しみたいところなんだけれど、少し先を急がないとなぁ。

というわけで、車に乗り込み、前日情報を入れていた国宝のあるお寺、瑞龍寺へ。
広々とした伽藍に、木造としてはかなり大きい講堂がある。

団体さんがいっぱい来ていて、ボランティアガイドさんが張り切ってガイドをしているので、その中に紛れ込んでちゃっかり説明を聴く^^;

お昼になり、ここから京都に向かうには8号線を西に向かわなければならない。
地図に道の駅万葉の里があるので、ここで昼食をとる。


大きな道の駅で、車と人でごった返している。
ここには、名物「大仏コロッケ」がある。
コロッケ好きの私たちは、これを食べずには行かれまい。

「大仏コロッケ」
大仏さんのような形をしてるんじゃろか?
なんか、バチ当たりのような…

なんのことはない、でっかいコロッケでした^^
富山名物「白エビコロッケ」はごく普通のサイズ、比べてみるとでかい!

なんでも、高岡はコロッケ消費量が日本一とか。
女性も働きに出ている率が高く、おかずとして手軽な総菜であるコロッケがよく買われたのだそうです。
家庭の食卓の味方だったんですね。

コロッケを食べて満足し、車に乗り込み、「さてこれからどこまで行こうか」と相談。

地図とガイドブックと宿の本をながめていたら、「う~ん、能登のほうに面白い宿があるんだよね」と、相方がいうではないか。
「え?どこ??」
「確か能都町だったなぁ」
「能都町って、能登半島の先っぽのほうだよ」
「漁師さんがやってるユースがあって、かんなり料理が美味いらしいんだ」
「ほう、電話してみっか」

というひとことで、旅はこの先、あらぬほうへ向かうことになるのです^^;
アパホテル、安いです^^;
宿にはあんあまりうるさくない、というのが相方と同じなので、旅をする上ではすごく楽。

泊まるところが決まって一息ついたら腹が減ってきました。

今まで車で走ってきたところをぶらぶら歩いて、店をさがす。
もう8時ぐらいなので、駅の方の歓楽街ならばいいだろうと思うのだが、一般のお店は意外に閉店が早い。

地方都市としては大きい街だなぁ。
学生も目立つようだし。

そうこうして30分ほど歩いて、駅前まできてしまった。
なんだか腹が減りすぎて、相方がイライラしてくる。
「もう少し、あの店舗街までいこう」と、なだめすかした。

そのはじまで行ったら、ありました!
なんとなく、匂うお店。

腹減ってるから、どこでもいいってわけでもないんですよ。

「李白」という中華のお店。
飲食店街のはじっこです。
どうも、お店の方が中国人みたいです。
安くてうまい店。
「中華飯」と「麻婆豆腐飯」どちらもすごくうまかった。
腹減りすぎてて、写真を撮るのすっかり忘れていました。

満足してその夜はぐっすり^^

翌朝、「高岡といえば大仏様だべ」というわけで、徒歩で前田利長公のお城の公園方面へ。
「どこだろうなぁ」ときょろきょろしていたら、ひょっと現われましたよ、大仏様^^
拝みました。
火事で焼失しながら、残ったお顔を生かすために篤信の方々が浄財を集めて再建されたのですね。

19日の日曜日、カラリと晴れ上がり、暑い一日になりそうです。


富山駅北口でライトレールを降り、さてどうしたものか。

午後も少し遅くなってきており、18日の夜はどこに泊まろうか決めていない。
京都へ行くには、少しでも前に進みたいし…。

富山県の観光ガイドを眺め、高岡市に文化財になっているお寺に泊まることができると書いてあるのを見つけた。

事前の申し込みが必要と書いてあるが、またダメもとで連絡を取ってみる。
「事務所の人がもう帰ってしまって…、今夜ですか!?あ、それは無理なんです。」
とうい、まぁ当たり前なんですけどお断り。

とりあえず、国道8号線に戻り高岡市に向かう。
もう時間は午後5時を過ぎている。

8号線沿いに道の駅があったので情報がないかと立ち寄る。
けっこう大きい道の駅だが、店や観光案内所はもう閉じている。

観光案内ではない窓口があって、何か情報がないかと尋ねたら、パンフレットや宿情報をコピーして渡してくださった。
とても親切な女性で、うれしかった。
この道の駅は素晴らしいなぁ^^

8号線に戻り高岡市に向かう。
30分もかからず高岡市内に。

市街地に入ると、大きな町なんだと感じる。
もらったパンフをみると、アパホテルが一番安い。
相方にナビしてもらい駅前の大通りへ。

そう、ここにもライトレールが走っているはずだ。
もう、陽が落ちて車はヘッドライトを点け始めている。

おお、向こうから赤い車体の市街電車がカーブを回ってくる。
写真写真、カメラカメラと相方にせかす。



ライトレール「万葉線」は、まるでヨーロッパの市街電車のように美しい姿で走っています^^;(みたことないけど)

夕暮れ、目指すアパホテルはすぐに見つかり、無事にチェックインしたのでした。


富山市のライトレール「ポートラム」は富山駅から富山港を結んで市街地を走り抜けてゆく。

低床の車体と、騒音の少ない静かな車両で、デザインのかっこよさ、とてもよいですねぇ。

まず、始発の富山駅北口から富山港まで乗って、運河のあたりを散策することに。



ここは富山湾という恵まれた海がすぐそこにある都市だったんだ。
きれいに整備された駅北口では想像できなかった。

港近くで降りると、すぐに海のにおいがしてきた。
運河から港のほうを散策する。

外国船が停泊し、外国人が集まってにぎやかにしている一画もある。

運河に面した通りには、昔の廻船問屋というのか、栄えていたであろう屋敷が並んでいたり。

ブラブラと通りを散策する。


普通の家を改装したようなカフェで昼食。

昼食後、またブラブラと歩いて喫茶店に。
ここで、この先まだどこに行くか話す。

喫茶店の感じのよいママに、話を聞いてみる。
「八尾もいいですよね」と、妹が嫁に行っているその町は「風の盆」で知られる町であった。

それもいいなぁと思い地図を眺める。
う~ん、方向としてはどうなんだろうなぁ^^;
京都からの帰り道のほうがいいかなぁ、などと、なかなか行く先が決まらない。

地図についているガイドに、高岡に重要文化財のお寺の建物に泊まることができる、というのを見つけ、それいいな!と思い立ち、店を出て、再びポートラムに乗り富山駅に向かったのでした。