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30年前の成田駅 ③

  • 30年前の成田駅 ③
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待合室には「ビール祭り」のチラシが貼られている。30年前は駅員さんが委託ではあっても常駐していたようであり、駅長室も明るく見える。ホーム側の雪囲いは、通年設置していたと思われるが、ビニールトタンが真新しい。「便所は老朽化が激しい」「かつての貨物ホームは花壇になっている」とのコメントが記載されている。木造のトイレに趣きを感じるのは私だけであろうか。

【写真提供 山形鉄道(株)】

2017.02.16:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

30年前の成田駅 ②

  • 30年前の成田駅 ②
  • 30年前の成田駅 ②
  • 30年前の成田駅 ②

この三枚の写真は、いづれも正面入り口の写真です。窓はアルミサッシ、腰板は木張りです。基礎の部分は腐朽していますが、魚が入っていたと思われる発泡スチロールに、マリーゴールドが植えられています。そう言えば羽前成田駅は、長井市の「花いっぱい運動」で最優秀賞の常連だったそうです。窓にもさまざまな花の姿が映っているのが見えるでしょうか。

2017.02.14:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

30年前の成田駅 ①

  • 30年前の成田駅 ①
  • 30年前の成田駅 ①

1986年(昭和61年)9月5~6日に長井線沿線の全駅舎が撮影された写真帳が保存されていました。屋根や壁等の腐食状況のコメントが記載されています。昭和61年10月は、第三次特定地方交通線として長井線の廃止が決定され、昭和62年4月には国鉄から東日本旅客鉄道が承継。さらに翌昭和63年10月25日に山形鉄道フラワー長井線が開業しました。これらの写真は国鉄時代の最後の駅舎風景といえます。順次ご紹介していきますので、30年前の匂い(!?)を感じてください。【写真提供 山形鉄道(株)】

屋根が瓦屋根であり、一部をトタンで補修しているように見えます。駅名の看板が超大きい。窓はサッシですが、腰板部分は木製になっています。平成23・24年の改修前には、腰板部分はトタンでしたから、その後にトタン張りにしたと思われます。駐輪場が賑わってます。ママチャリが多いのも良いですね。駅前の立木の多さも目につきます。コメントには「屋根、壁面の腐食」と記載されていました。

2017.02.13:orada:コメント(0):[停車場の追憶写真帳]

停車場憧憬 吹雪の中で

  • 停車場憧憬 吹雪の中で
  • 停車場憧憬 吹雪の中で

息もできない程の嵐に 立ち尽くす

自分で決めた道だけど

休む理由を探している

誰か声をかけてくれないか

 

俺の性じゃないぞとか

助けてくれよとか

さらりと言える人が羨ましかった

 

自分で決めた道だけど

震える程の深い闇だ

四阿(あそこ)まで行けば何か見えて来るのだろうか

友に会えるのだろうか

2017.02.10:orada:コメント(0):[停車場憧憬]

停車場憧憬 除雪人夫のこと

  • 停車場憧憬 除雪人夫のこと
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高校生の私は、冬の間は遠くの町に下宿していた。日曜日の夕方、下宿に帰るために駅に向かう途中で、スコップを担いでくる大人達とすれ違った。鉄道の除雪隊であり、母もその中にいた。

「行ぐなが?」 「うん」 「気つけてな」

僕は母と目を合わせるのも恥ずかしく、その時の母の顔を覚えてはいない。が、せつない感情がこみ上げてきたことを覚えている。男たちが出稼ぎに行く冬の間、家を守り暮らしを守るのは女の肩にかかっていた。お婆ちゃん子であった私が、記憶に残る母の顔はいつも日焼けした顔であった。

 「除雪人夫の頼みに来られると嬉しくて行ったもんだっけなー。」と、窓の外を見ながら何度も同じことを繰り返す。老いた母の顔を見るのも辛いものがあり、ただ「ありがとう」と心の中で繰り返すのみである。

【写真提供:山形鉄道(株)】

2017.02.06:orada:コメント(0):[停車場憧憬]