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おせきの物語 ⑨ 


―――物陰から源右エ門を見ていたおせきが、たまらずに駆け寄って来る。

【お せ き】  旦那様・・・・。
――― 源右エ門は、はっと我に帰り、後ろを振り向き、「おお、おせきか。・・・」と力なく微笑む。
【お せ き】  旦那様!
【源右エ門】  おせき、わしもほどほどまいったわい。今日は、十月の十日。上杉様と約束した期限の日まで、あと一ケ月もなくなってしまった。
 のう、おせき。お前も聞いておろうが、堰の開設は、首尾よく成功したときは、堰の総元締めとなり、苗字帯刀も許される。しかし、期限までにできぬ時は、はりつけ獄門の刑になるのが掟じゃ。いや、わしは、はりつけになるのを恐れもしない。ただ、この栃の木堰は、寺泉村と成田村、そして五十川村の村人の悲願なのだ。今までの村の衆の苦労が、それこそ、水の泡となる。それが、何よりも悔しいのだ。
―――― 間  ――――
【源右エ門】  さあ、とにかく家に入ろう。

――― 源右エ門が我が家に入ると、およしは、源右エ門の体を気遣いながら、居間まで導く。その間、おせきは、夕闇の中に一人立っている。そして、何事かを決心したように、「はっ」としながら、天に手を合わせて祈りを捧げて、家の中に駆けていく。

おせきの物語 ⑩


 ―――おせきが、思い詰めた表情で、源右エ門の前に手をついて、話し出す。

【お せ き】  旦那様、私を人柱にしてください。お願いです。人柱にしてください。
【源右エ門】  おせき、急に何を言うのだ。そのようなことは、断じて許さん。わしの運がなくて、期限までにできない時は、潔く死をもって償う覚悟じゃ。そのような願いは、断じて許さん。
    それより、そなたは、まだ前途のある身。よい人と付き添うて、幸せになってくれるのが、わしらの願いなのだ。
【お よ し】  そうですよ、おせき。私らはどうなっても、おせきは、惣三郎様と将来を約束した身です。米沢に修行に行っておられる惣三郎様はどうなります。

【お せ き】  旦那様が、はりつけになったとしたら、例え私が生き残り、惣三郎様と一緒になれたとしても、私はとても心苦しくて、生きてはおれません。惣三郎様とて、同じ思いでございましょう。ましてや、あの世で父に会えば、「お前は恩を忘れて人の道を誤るような子であったか」と、責められましょう。
 もし、旦那様のお許しがもらえぬ時は、旦那様に背いてでも、こぶしが原に身を投げて、神様にお願いするように、誓いを立てました。貴船明神をだますようなことはできません。どうせ、死に行く私でございます。どうか、一言、お許しのお言葉をいただきとうございます。
――― ここまで言っておせきは、泣き崩れ、およしの膝にすがりつく。重苦しい空気が、三人を包む。

【源右エ門】  おせき、おぬしは、それほどまでに、わしらのことを。
――― 長い沈黙の中から、源右エ門は立ち上がり、おせきに近寄る。やがて、天を見上げて、言う。
   今の言葉は、貴船明神が、お前の身を借りて言わせたものか。よろしい、おせき。おせき、お前の心、うれしく思うぞ。お前の命、決して無駄にはしないぞ。

――― およし、おせきの上で、泣き崩れる。しばらくして、感涙にむせぶ源右エ門が、涙を振り切るように話し出す。
【源右エ門】  あの時、貴船明神の境内で、お前達親子に会わなんだら。そして、わしらが、お前を引きとらなんだら。こんな辛い思いをさせずに、済んだものを。おせき、天国で父上に会ったら言ってくれ。源右エ門が、今の今まで成功しなかったのは、これみな、わしの力不足と不徳の結果だと。申し訳ないと言っていたと、伝えてくれ。

おせきの物語 ⑪


【お よ し】  おせき、六つの年から、我が子と思って育てたのに、こんなことになろうとは。何の因果で、こんなことに・・・・。
――― おせき、泣き崩れるおよしの肩に手を添え、涙を流しながらも、居住まいを整えて
【お せ き】  勿体のうございます。父の臨終から今まで、重ね重ねのご恩、死んでも忘れはいたしません。とりわけ、結んでいただきました惣三郎様とのご縁は、私の最高の想い出でございます。  最後に、一つだけお願いしとうございます。この手紙を、惣三郎様のもとにお届けください。
――― おせきは、懐から書状を取り出し、源右エ門に差し出す。源右エ門は「ああ、必ず送り届けるぞ」。この間に、およしは、奥の部屋に駆け出し、一揃いの白い内掛けを持って来て、おせきの前に差し出す。
【お よ し】  (嗚咽をしながら)この晴れ着はな、お前の婚礼の時に着せようと思って、ようやく出来上がったものだ。まさか、あの世への旅装束になろうとは夢にも思わなんだ。せめて、これを身につけて行ってくれ。
【お せ き】  今の今まで、ご心配を下さって、ありがとうございます。ありがたく頂戴いたします。(嗚咽)
――― その場に立って、およしに着せてもらう。それを見ながら
【源右エ門】  ほんに、東国一の花嫁じゃ。
――― 着替えを終えると、おせきは、改めて正座しながら、二人の前に三つ指をついて

【お せ き】  お父上様、お母上様、長い間、私を育ててくれてありがとうございました。このご恩は、一生忘れません。お二人の末永いお幸せを、あの世からお守り申し上げます。それではさようなら。
――― ここまで言うと、おせきは、深々と頭を下げ、小走りに玄関を出て、深い闇の中に消えていく。およしは、玄関まで追いかけ、「おせきー」と叫びながら、柱にすがり、泣き崩れる。源右エ門は、その場に伏して泣いている。

おせきの物語 ⑫

おせきの物語 第 二 場

 第一場と同じ場面になり、ややあって、旅の僧となった惣三郎が語る。

【惣 三 郎】  おせきの思いが通じたのか、こぶしが原の難工事も無事終わり、栃の木堰は、期限までに完成されたのでございます。源右エ門様は、その功績を認められ、苗字帯刀を許され、堰の総元締めの役を命ぜられたのでございます。
 しかしながら、村人には、源右エ門様の成功をねたむ者が出てきたのでございます。そして、おせきを人柱にしてまで元締めとなった、という噂が流れ、殺人の大罪人として、訴えられたのでございます。源右エ門様は、取調べに対して、少しの弁解もせずに、潔くことの次第を述べたそうでございます。その場にいた者達は皆、源右エ門が、まるで、処刑になることを待ち望んでいたように思えたそうでございました。
 奉行所は、源右エ門の心を知りながらも、その身ははりつけ、屋敷は没収、家族は追放の断を下したのでございます。
――― 懐より手紙を取り出し、それを広げる。おせきの声で、手紙が読まれる。

【お せ き】  惣三郎様、おせきは、栃の木堰の成功を祈って、この身を捧げます。惣三郎様とは、たった一夜の契りではございましたが、私の短い人生の中で、最良の想い出でございました。 惣三郎様のために、私は、良い妻となりとうございました。やむにやまれぬ想いのもとに、先立つ身となりましたが、遠い空の上から、惣三郎様のお幸せをお見守り申しております。 あの世においても、私は、貴方の妻でありとうございます。黄泉の国にて、再会することがありましたら、何卒、私をお見捨てくださいませぬよう、お願い申します。
  惣三郎様                       おせき

――― 朗読が進むにつれて、惣三郎は次第に身を震わせ、最後は、スポットライトの中で、両膝をついてうずくまる。静かに、幕が閉じる。

木村トシオ句集①

木村トシオ句集 つれづれの記

 木村トシオさんは、神戸市の出身の方でした。そんな木村さんが、阪神淡路大震災に見舞われ、全ての財産を失ってしまいました。縁あって、山形県長井市に来ることになり、焼肉屋をしながら奥さんと慎ましく生きていました。奥さんは、三重県生まれで、『アトリエ華』のブランド名を持っているような芸術家でした。
 大震災後に、夫について来た彼女は、冬の東北の厳しさに、ひたすら耐えていました。そんな妻を見ながら、トシオさんが綴った句集です。この句集には、故郷、家族、息子と娘と孫、愛する妻へのメッセージがあり、そして焼肉屋に集まる若者たちへのメッセージが込められています。
 今、子供たちの不登校や家族の殺戮など、殺伐とした現代社会に対して、多くのメッセージが伝わってきます。皆さんには、心静かに読んでくださることをお願いします。

 第一章  四季の彩りに  
 第二章  妻 に  
 第三章  家 族 に  
 第四章  政治家様  
 第五章  (焼肉屋の)若き友達に 
 第六章  未 来 へ   
 最終章  ありがとう、ありがとう  
2012.12.10:orada:コメント(0)