HOME > 変な民族学3巻 置賜の民俗学

長井の黒獅子祭り

  • 長井の黒獅子祭り
【写真:黒獅子祭りのフィナーレを飾る小出の白山・皇大神社の獅子】
 本日は、長井の最高のイベント・黒獅子祭りの日なのだ。さてさて、長井市の黒獅子の発祥は、総宮神社の獅子であった。長井の街は、小出と宮の二つの街の拠点があった。総宮神社の獅子が、現在の小出・皇大神社まで練り歩いたのだそうです。宮と小出をつなぐものが、総宮神社の獅子だったことに驚きます。
 さてさて、長井の黒獅子祭りのフィナーレを飾るのが、小出の白山神社と皇大神社の獅子なのです。この獅子舞の特徴は、二つの獅子が絡み合って舞うのです。何故か?変な民俗学者の妄想によれば、二つの獅子は、男と女の龍(蛇)なのであります。大蛇や白蛇とは、生命の象徴であり、Hの象徴なのであります。西洋の心理学でいう「リビドー」なのであります。男獅子と女獅子が絡み合って、神社の奥に入っていく訳です。何のためにお宮入りをするのでしょうかねえ・・・。
 ※ その学術的な研究の成果は、「最上川・長井の文化的景観調査報告書」をご覧ください。

置賜民俗学 ⑲桜回廊スタート!

  • 置賜民俗学 ⑲桜回廊スタート!
【写真:樹齢1,200年と云われる久保ザクラ】
 ようやく桜前線が、長井にもやって来るようだ。季節は、確かに巡ってくることは嬉しい。いま、置賜の中の最大の観光ツアーが『置賜・桜回廊』である。長井市、南陽市、白鷹町をつなぐ42.195キロのエリアの中に、樹齢500年を超える巨樹が30数本存在する。しかも長井市には、国指定天然記念物の桜が2本ある。『久保ザクラ』と『大明神ザクラ』である。
 第1巻③の「桜の下に・・・」という記事を読んだことがありますか。日本人は何故、桜の下で酒を飲むのか? 桜の下には何があるのか?という推論をもう一度見てみてください。 そして、ある方が新聞に投稿していた次の短文を読んでみて欲しいと思います。
 「久保の桜の前に立つとき、久保の桜は、自らの運命を受け入れてこの地に生き続けている。また枝を支える支柱を見るとき、孫やひ孫に支えられて生きている老人の姿を思うのです。静かに生きて、精一杯生きて、孫たちに囲まれて優しく微笑んでいるようなそんな人生を送りたいと思うのです。」

長井の天・地・人とは・・・

  • 長井の天・地・人とは・・・
 さてさて、上杉謙信の悲しい『天・地・人』については、少しは分かってくれたかと思います。次は、長井の悲しい『天・地・人物語』を語ってみましょうか。
 松尾芭蕉が奥の細道に旅立ったのだが、その当時の東北は「道の奥(みちのく)」であった。そんな東北が、脚光を浴びたのが、舟運による流通時代に突入した頃だ。しかし、山形県の奥の奥にある、長井市は「道の奥」であり「川の奥」にあった。まったく“地の利”がなかった訳だ。ところが、西村久左衛門が元禄7年(1694年)に黒滝開削をしてから、長井は上杉藩の貿易拠点として栄えた。ようやく“天の利”が来そうな時に、酒田辺りの商人が通行料の値上げ攻勢に出てきた訳だ。そのために、長井の商人たちは、新潟県村上市に直接陸送するために、西山新道を開設し、希望をつなごうとしたんだ。ところが、明治の世になって、官軍が新潟から攻めてくるとの噂が広がり、商人たちは自らの手で、西山新道を破壊しなければならなかった。まったく“天の利”もない。
 さらに時代はめぐり、鉄道の時代になった。長井に待望の鉄道ができたのが大正3年(1914年)。さらに昭和に入って、鉄道から自動車輸送の時代に入った。国鉄長井線は切り捨てられ、第三セクターとなった。時代は、国道や高速自動車道の時代になったが、長井にその“光”は今もって届いてはいない。“天の利”も“地の利”もないのだ。ならば、“人の和”はあるのだろうか?それが問題だ。
【写真】長井付近を走った小鵜飼舟

『天・地・人』って知ってるか?

  • 『天・地・人』って知ってるか?
 今から2年前ごろに、妻夫木君が主役を演じた直江兼続の大河ドラマを覚えていますか。脚本の原題は司馬遼太郎の「天・地・人」だったはずで、上杉謙信を主役にしたドラマでした。
 天・地・人というのは天の利、地の利、人の和があれば、事は成せるという意味なのです。上杉家が関東管領でありながら、京の室町将軍を助けるためには、越後は遠すぎた。地の利がなかった。
 さらに、上杉謙信が越後の内乱に奔走していた時に、織田勢の将・柴田勝家が北上して来た。魚津城の玉砕をあと三日待っていたら、本能寺の変があったのだ。天の利もなかったのだ。あったのは、愚直に生きた越後人気質の殿様と忠臣であった。これが、「阿弖流為(アテルイ)」と「八重の桜」の白虎隊の悲劇につながるのだ。そして、さらには松尾芭蕉の旅につながるのだ。もうすぐ、4月中旬になりますので、ヒントをあげましょかね・・・。
 
【奥の細道】
4月19日 栃木県那須町の温泉神社(那須 温泉神社)に那須与一を偲び、殺生石を 訪ねる。 == 野を横に馬牽むけよほととぎす

4月20日 福島県白河市白河の関
 「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」

成田駅前変な民俗学 3-①置賜の語源

 全国の多くの皆さんにとっては、「置賜(オキタマ)」という地名は極めて難しい読み方であったと思います。そんな困難を乗り越えて、このページまでたどり着いてくれた方のために、ちょっと面白いお話を致します。この語源は,遠く東南アジアやヨーロッパまでつながる壮大なロマンがあります。今回はその第1回目で,「まほろば」について考えて見ます。多少の不正確さを念頭に、語源学を楽しんでください。
 
 山形県が生んだアララギ派の歌人 結城哀草果は、映画「スィングガールズ」のロケ地ともなった、羽前成田駅近くの葉山の山並みを見て、次のように詠んでいます。「置賜は国のまほろば 菜種咲き若葉しげりて 雪山も見ゆ」。
 まほろばとは、丘陵に囲まれたのどかで実り豊かな土地という意味です。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が詠んだといわれる「大和は国のまほろば たたなづく青垣山こもれる 大和しうるわし」の句に通じるものです。置賜には、国の指定史跡「日向洞窟」をはじめ、縄文時代の遺跡が各所から発掘されていることからも、古代からまほろばであっただろうと思われます。