政権批判五の中の藤原忠文ノ二
こうして忠文は鷹を使う術にかけては、十八秘法、三十六口伝、異朝の奥儀まできわめざるはないと云う大の鷹通であったのだ。
頂度其頃、醍醐天皇第四皇子重明親王と云う方も大の鷹狩り好きであったので、或日忠文が宇治の邸に御出でになって、彼が日頃愛しておった秘蔵の鷹をくれろと云って所望された。忠文は惜しい思いであったが、向こうは親王様のことでもあれば断る訳にもいかない。仕方ないから二番目のものを献上した。親王は大喜びで帰途に就いた。途中で殿を見つけたので、早速鷹を放って合わせて見たら鷹がそれて逃げて行ってしまった。親王は大いに怒って忠文が邸に戻って来た。あんなものをくれたとは非道い奴だと云うてせめたのであった。
すると忠文が云うには、こちらに今一羽あれよりよいのがありますが、あの鷹は親王様が御使いになるには御無理かと思って、其次のものを差し上げたのでありましたが、あれでもだめでありましたかと云うて、それでは致し方がありませんからと云うて今度は一番目の名鷹を出して、「よくよく御気をつけて御使い下さいませ。」と云うて差し上げた。親王は忠文が云うた言葉の意味が判らないで帰って行ったのである。又も途中で使って見たら忠文が云うた通りに逃げられてしまった。
鷹だろうが馬だろうが、彼らの方では使い主や乗り手が技術の巧拙程度をちゃんと知っておるものである。そこで親王はつくづくと考えてみたが、はっと気がついて始めて、さっき忠文が云うた言葉を理解したと云うことであった。
こういう風に忠文の人物は何事にかけてもぐんと一流をぬいた、当世卓出の紳士であったのだ。又一旦、人に頼まれ事を引き受けたとか或は自分が思いたったとかのことは、徹底的にやり遂げないでおかないと云う精神力の強い人であったと云う。
黒獅子伝説『卯の花姫物語』 7-⑦ 摂関家批判の五
2013.01.27:orada:[『卯の花姫物語』 第7巻]
この記事へのコメントはこちら