二つ笠の弐
五十川村より三船に棹さし上れば、上なる山に花見る人とおほしきをほのかに見あげて。 山からは船 ふねからは桜かな 二流
青柳の色たれるミ庫のみなみはその昔、藤原政宗(伊達正宗のこと)の長臣・片倉小十郎をして守らしむ。卯花咲けるころ縄張り始めてあくる年、卯の月成就せし書き上げなればとて卯の花の城となづく。国破れて山河あり、城春にして草青みたりとは古翁の言葉なり。年去り年来れども跡とり立つるわざも見えずむなしき堀の跡になみだをそそぐ。
早わらびや いくねかしとて 指を折る 二流
卯の花の 名に消え残る 雪寒むし 同人
宮の野外にて 春風や横さまに飛ぶ 鴬一羽 二流
卯の花の 城の跡とは 月ほととぎす
むかしながらの 音をや啼くらん ○ひろし
跡とへば 名のみ残りし卯の花の おもかげ見する 雪のむら消え ひろし
野川しめ切にて 峯の雪 解けて川瀬に 又白し 二流
岩根打つ 野川の水の高波に あさ日の嶽の 三雪をぞしる ひろし
右米府武門
鈴木 二流
山ざきひろし
以上『二つ笠』の本はこれ程立派なものであり乍ら、不思議なことには年月日が記るされておらないのである。惜しいことには、二人の雅人が卯の花城跡を訪れた年月日が従って判らないのである。然し乍ら二流と云う俳人は別な俳諧の各書で散見されておるので、大体、寛政頃から文化の頃に斯道に活躍した人である事が解る。それを根拠に考察すれば多分彼の記事は、文化年代の或年の桜の花時であったと考えてよいと思うのである
黒獅子伝説『卯の花姫物語』 7-②二つ笠の弐
2013.01.27:orada:[『卯の花姫物語』 第7巻]
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