姫が死後の頻末
本文主要の人物姫が生涯の記述が終わっても全巻の大尾とは未だ云われまい。先に姫が遺命を奉じて安倍館山の牙城を脱出した、即ち姫が後身の役割を果し演ずる、忠臣の女丈夫・桂江がひそみ込んで行った朝日山系の奥。千山万獄の重々する天地に眼を注いで彼女が、其後の動静を探るに項を転じて推進を試みんとするものである。
桂江泣き泣き主人に別れて、山案内の家来として付けて貰った定七を従えて牙城を脱出した。一旦今の木地山の処におりて行った。元来、定七が生家は、北小国の五味沢で、当時は未だはっきりした地名はなかったが半農半猟の民家が五六軒あった部落であったのだ。家には妻子もおる者であったので、彼は主人桂江を吾が家へ案内しようと考えたのである。今は初秋であるが、これから寒さに向かって来ては妊婦の主人を山にばかり隠して通す事はできないと考えたからである。
然し乍ら、其深い山又山を妊婦の主人と共に踏破を企てると云うのは容易な事ではない。当時は山道らしい道としてはない時代であった。山を遠く歩くにはどうしても高山に登って峰つづきを渡って通るのが一番によいのであった。
定七は、朝日山系の山には知らない処がないと云う者であったから、祝瓶山の高嶺に登って峰渡りをつづけて、荒川上流の谷間に下りて行くのがよいものと考えて見たが、妊婦を高山に登らせるは無理と考えて苦心の末いずれ極く少しずつさえ歩るいたならよいだろうと云う事に決心をした。極く少しずつ無理がはいらぬ様を旨とした歩き方をつづけて、夜営をしながら幾日もかかってとうとう荒川上流の谷間へ下りて祝瓶山踏破に成功したのであった。
これ全く山に明るい定七にあらずして出来得る仕業ではなかったのである。そこに一晩夜営をして翌日は楽々と吾が家に到着して久方ぶりで家人に対面した。之迄での一部始終を物語って、大切な主人であると云うて家の者一同に引き合わせたのである。家人の者も気立ての優しい人達で、快く迎えてくれ、早速奥の一間に招じ入れて何にかれと待遇をしてくれた。之全く桂江が為には世の中に殺す神もあれば助ける神もあるものだと云うたとえは、この事であるような思いたらしめたのであった。
卯の花姫物語 5-③ 姫が死後の頻末
2013.01.15:orada:[『卯の花姫物語』 第5巻]
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