卯の花姫物語 4-② 愈々窮地に陥る姫

姫が立場愈々窮地に陥る
 上使の到来と併せて武忠が恋々たるの艶書を受け取った姫が,驚きと憂鬱は並大抵ではなかった。と云うのはこれ迄で、大恩受けた正徳上人を始め一山の興亡と我身が生命の死活の如何んは,ひとえに義家との恋愛と約束とを破棄して、四郎武忠が妻となる事が出来ると出来ぬの如何んにかかって来たからであった。
 始めから上人は姫が心を翻す能わぬことを見通しておったので、一時も早く其処を脱出する事を進めて止まなかった。姫は恩人に迷惑をかける事が気が咎めてしょうがなかった。上人はその時はその時で俺が方法を考えておったから、御身が脱出の時期を逸してばかりはどうにもならないから寸時の猶予も免るさぬ場合である。只今直ぐに用意を急げと云うて急ぎ立てた。其寺の下部で定七と云う五十余りの男は小国の生まれで元漁師であったが、余り多くの殺生をしたのに無常の発心して其寺に徒弟として仏道に帰依した正直無こう者で、この朝日山系の山は知らぬ処がないと云う無双の山人であるのを家来として付けてやるから早く其山を脱出しろと云うて止まぬのである。上人重ねて村里は己に武忠が軍兵要所要所に充満して蟻の這いずる隙もないのは必常であるから峯渡りの山越しに脱出して置賜に出て小国の山を越えて他領越後を登って京に行く様にと教えてやつた。(上人が考えて教えた方法も義家が書面で指示したのと同じであった。)姫は恩人に迷惑がかかる可くに気掛かりでしようがなかったが、時機を逸してばかりはどうこうもならぬと余り急ぎ立てられて後の髪を引かるる思いのままで涙を以て暇乞いの許に同勢十余人に定七を案内の家来として山奥深くに脱出したのであった。
 案内の家来定七が先頭となって先ず今の島原山の絶頂によじ登った。いったん(現在の朝日鉱泉)の深谷へ下ちて来た。更に里前が見下ろされて見当を付けられる峯を差してよじ登って峯渡りに南へ南へと登って阿陀が獄の頂上に登った。(今の葉山)更に南進をつづけて遂々現在の安倍が館山と名称を付けられておる山に来たのである。
 其間女軍の山獄行進であったので何日もかかって野営を張って泊まり乍ら、ようやくここ迄で赴りついたのであった。
 かようにして天の御支配は,愈々姫を長井の地迄で連れて来られたと云う事になったのである。

2013.01.08:orada:[『卯の花姫物語』 第4巻 ]

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