清原武則が向背の決定
斑目四郎武忠が方へ、姫が処を中々手ごわい娘である、が其のうち何とかして騙したり透かしたりして承知をさせる様にしてあげるから、その節はどうぞ宜しく位にしておいた。
どうも此の戦争外交と云うものは、本当に妙ちくりん極まるものである。色々の事情が卍巴にからまり付いたり、又ほぐれたりしてもつれておる内に年月が長期に亘ることがあるものである。向こうの望みに見込みがない事が判ったからとて、そう正直に封切った事を知らせてやれば、向こうに失望を与える事になる。従って敵の方に走られて大変だと云う関係がある。
それを手加減をしたあしらい方をしておくと、こちらにも直ぐに付いてこないが、又向こうにも行かないと云う事があるからである。斑目四郎は、こうした云い分を真に受けてもとより惚れた女であったから、空ら頼みを胸に描いて恋火を炎々と燃やしている。
清原武則は深沈大度の老将であったので、如何に最愛の四男武忠が熱望による安倍方にだとしたとて、そう早計においそれと其の要請に応ずるものではない。さりとて断然と退けて終うと云う挙にも出てない。其の態度は官軍の方へも同断であった。去就両端をじして、じっと両軍の動静を重視して警戒の眼を放さないと云う。まあ以上の様な対峠のままで、康平五年(西暦1062年)の年迄で、五年の歳月が流れて終わった。
其のようの処迄でになってくると云うと、こちらは官軍で向こうは賊軍であるのに間違いはない事である。奥州では大したものであったにしても対手は日本全国であるのに其の大将は源氏の大将頼義と云う名将である。 兵力増強が完備してくれば素晴らしい大軍となる。そうなってからようやく官軍の味方に付いたのでは、己に時機を逃したというものである。それよりはむしろ官軍の兵備が少ない今の内に官軍に馳せ参じて、清原一門の大軍を合流した戦闘力を以て徒討の実を全とうするを得たと云う戦果に終戦を迎うるのが、吾が一門の有利此のうえや有る可らずと云う事に決定したとは流石老将の清原武則であったのだ。
卯の花姫物語 2-⑨ 清原武則の向背
2013.01.01:orada:[『卯の花姫物語』 第2巻 ]
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