奥州前九年の役の導火線発火
大将頼義大いに怒って光貞に弓を引いた以上は吾れに刃向うたも同様である。己れが不義の恨みに因って国法を犯し闘争を起こして平和を錯乱した貞任が大罪そのままには免されない速やかに召し捕って 明申し付けよと云う憤慨甚だしい見幕であった。義家も父頼義が激怒甚だしい様子を知って其驚きと共に落胆も又大なるものであった。自分と卯花姫との関係の故もさる事乍ら引いては国家の一大事であったからである。
こうした事件は一旦其処理を誤らんか干才を以って争う事に悪化しないをも保し難い事と考えたからであったのだ。これは 此事件を始から闘争事件としては取り扱わない飽く迄で貞任が一人の個人的犯罪人とした範囲に限定する。父頼時外安倍家一門に責任負わせた処断に任せて治むるにしくはないと考えたので早速父頼義が前に出でて己の所信を述べて父を めたが頼義は汝が進言も一応最もであるが安倍家一門に累を及ばさぬ様に寛典に処するは宜しいとしても国法を犯して騒乱を起こした大罪人を一個の犯罪人として罪人の家門の者共に任せ放しにしては全然一国の国司の威令が行なわれざると同様である一門の者共に各は申付ぬとしても犯人一人だけは国府え引き渡す様申し付けよと云うて承知しなかったのである。
富強を以て奥州一を誇った豪族の安倍の一門が貞任引き渡しに応じればそれ迄でだが命を奉じないとしたならば勢い兵力によって処さねばならない事となる。之迄で折角泰平に治まった奥州の天地が再び修羅の たとなって萬民塗炭の苦しみに陥る国家の大事となるを恐れての進言も空しくやがて奥州の大乱となって姫が望みも一朝にして水泡に帰して終う運命となったとは是非もないことであったのだ。
貞任引き渡しの命令を受けた安倍家では直ちに緊急一門会議が開催された。老将頼時が平和説であったが次男宗任は始から主戦論を猛烈に主張した。兄上を国府に引き渡して終う上は死罪仰せ付けられても早救い出だす可き道が無くなると云うものである。兄上一人 せられて吾々おめおめ生きておられ様か座して死なんより一層戦って決戦の覚悟と云う義家が先見寸分も違わぬ結果となったのである。
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