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卯の花姫物語 ⑫

奥州国司満期の年
 愈々天喜四年の年こそは姫が待ちに侍兼ねておった。前記の望みなどがなかったならば之迄で別れてなどはおられない仲であったのだ。恋しい恋しい八幡殿が京へお帰りになった上改めて迎えの使者を御遣し下さる可くの固い々お約束の仲であると思い廻せばまわす程我が身の前途は希望に輝き  と世にも稀れなる高徳の君子八幡殿が正室と恵まれて愉しい此の世が送られると思えば思うほど此の世に女と生まれた甲斐があると、春から秋へと一足飛びにもなれかし思いで暮らしておった。其の秋のことであったのだ。奥州多賀の城下に一大凶変が茫然とし即ち今世に迄でも有名な奥州前九年の役と称しておる大戦乱の導火線が発火したのである。此故によって折角姫が愉しい思いで前途に望みをかけておった其の望みと奥州の仕官が頼義将軍が善政の治下に於いて泰平鼓腹の生活の喜びと併せて木葉微塵に粉砕して終うと云うことになるのである。それは又次の様な次第であったのだ。
 茲に頼義将軍が幕下の部将に藤原光貞と云う人がおった。其館え或晩突然闇に乗じて夜襲を仕掛けた。何者の仕業とも判らなかった、味方が必死の防戦によって追い払ったので味方に死傷者が極く僅かより出なかったのは幸いであったが散々に暴れ廻って引き上げた。厳重なる調べの結果其の犯人は計らずも安倍貞任が仕業であると云う事が判明した。それは又女故の事からであったのは誠に遺憾の至りである。
 藤原光貞が娘に非常な美人の女がおったのに貞任が恋慕して自分が妻に貰いたいと云うて様々に手を尽くして見たが光貞が承知しなかった。と云うのは今こそ源氏に従って家来になってはおるが元を洗って見れば朝敵であった。たとえ金があっても力があっても家柄が悪いから吾が家の娘をやる訳にはいかないと云うて承知しなかった。貞任は にさわって今に見ておれ復讐をしてくれるからと思って其隙を狙っていたのに今度愈々此地を引き上げて京に帰って終うと云うのでは仇を返す機会がなくなると思って鬱憤晴らしにやったのであると云う事が判ったのであると云う事が判ったのである。
2012.07.07:orada:

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