姫が義家との別れ
其の趣を姫が処えも伝えられたのは又云う迄もない事であった。たとえ一旦の別れですと云うてもあれ程恋しい八幡殿がお側から離れて故郷に遠く帰っていくのは姫が胸の中ちは血を吐くばかりの悲しい思いであったのだ。でも頼義公が厚い温情のあふれた御取り計らいを考えて見れば之皆恋しい可愛い殿御の御身の為め引いては私共の身の上迄で思うて下さるからこそそのご教訓である。八幡殿の御身の為になる事でさえ、あったならばどんなつらい事でも忍のばねばならないと思うのだ。元より賢い生まれの姫は胸に分別して茲に涙を呑んで一旦別れて帰る事を承知したのである。
愈々出立の前夜は義家を迎えて一晩中名残り尽きせぬ寝物語りに飽かぬ別れを惜しみつつ夜を明かした。其の翌日高木新三郎家経に送られて桂江と荷物を背負った下部二人とを従えた五人連れで故郷の衣川へと出立した。其のようにやがて来る義家が正室となる希望を前途に描きつつ一旦の別れの心算りで別れたのが、一生の別れとなって終うとは神ならぬ身の知る由もない、後にぞ思い知られたのである。
其の年も早くれて天喜三年となった。姫が毎日指折り数えて待ち兼ねておるのは一時も早く国司の満期が来て八幡殿が京に帰還して頼義公のお計らいをもって八幡殿が正室として迎えの使者が晴れて堂々と来て貰う楽しい日がくるばかり唯一の希望として暮らしていた。いつでも文みの御使いとして家経が来たときは必ず返事の文をやる。返事をやるとしても向こうから返り言ばかりでなく家経から君が近況について色々聴いたのによっても書き加えてやらなければならないからいつでも三四日の逗留になるのは普通のことであった。
夜分に主従三人で話し語りの折りにふれて姫はじょうだんに漏らすのに早く八幡殿の御側に行きたい。御身達ばっかり時折遇って楽しそうな様子を見ると羨ましうて仕様がない。ほほ・・・なんと云うて笑い興ずる事などもあったと云う。愈々其の年も天喜四年はやって来た、鎮守府将軍兼陸奥守源朝臣頼義が陸奥の国司満期完了の年となったのである。
HOME >
この記事へのコメントはこちら