卯花姫義家との恋愛
はつと答えた姫は静かに御帳台の中に這って義家が身近く進んでいった、恭々しく長柄の銚子取り上げて差し出す盃になみなみと注いだ。静かに銚子を置いた拍子のその瞬間互に見交わす視線と視線がばっと合った。姫はぼう・・と頬に紅潮が差し上った。斯うした一瞬にして姫が一生の運命が決定づけられて終わったと云う。扨ても人生の運命と云うものは如何に神様が御支配と云うても、妙不思議極まるものである。とは云うもののこれも全く道理のことであると云うのは、この義家と云う人は生まれつき身体は余り大きい人ではなかったが容顔華麗で色飽く迄で白く品格気高い誰が見ても神々しい様な感じをする。一度会っただけで自然威圧される様な中にも非常な慕わしい様な感じがする風格の人で世人一般から八幡殿以外の名前で呼ばれたことのないと云われたのである。それは一般男性の人でさえ己にそうした感じであると云うのに対して云わんや青春妙齢の女性で、正に人世の妙味をこれから大いに甘受せんとして燃ゆるが様な二八の早熟女性であった姫が場合においておや、当然たるの当然過ぎてむしろ大なる同情に価するものと思うものである。義家が呑む盃が干る間が遅しと待ち兼ねて重ね重ねの酌取りに一生懸命を尽したのも又想像に余りあるものである。
此時丁度義家が後ろで髪切り丸の宝剣の鐺りを紫の袱裟でおさえ端然として着座しておった一人の武士。主人義家と同年の十七才、義家が片時も側をはなさぬ愛臣高木新三郎家経と云う文武に秀でた家来であった。義家やおら声をかけて、あいや家経其方も一応剣を茲において一盃かたむけて宜しかろう。早う家経が酌を頼むと云うて、姫が召し仕いの侍女に顋をしやくつた。之又姫が片た時も側をはなさぬ愛臣の侍女で、藤原経清が姫で桂江(カツラエ)と云う姫と同じ年の二八、十六才で才気衆に優れた女丈夫の美人であった。最前から其御言葉ばかり遅しと待っておりましたと口にこそ云わないが、はっと答えて家経が御酌を一生懸命、主人に負けずと注いだ。まるで姫と桂江が御酌の競争が始まった様なものであったのだ。
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