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牽強付会を地で行く「ゆかりの地」論(パブコメ第5弾)~速射態勢へ!!??  

  • 牽強付会を地で行く「ゆかりの地」論(パブコメ第5弾)~速射態勢へ!!??   

 

 「花巻は賢治のまちであるから、賢治にゆかりのある場所に建設するべきという強い意見をお持ちの方々もいらっしゃいます。でもそれについては、市民会議の中でも図書館の場所と宮沢賢治ゆかりの場所であることは必ずしも結びつかないんじゃないかという意見の方もたくさんいらっしゃいました」(3月27日開催の定例記者会での上田東一市長の発言)

 

 「花巻駅前も賢治作品『シグナルとシグナレス』の舞台であり、『銀河鉄道の夜』のモチーフとなった岩手軽便鉄道や花巻電鉄の駅があった場所で賢治ゆかりの地でもあります」(3月28日開催の議員説明会での菅野圭生涯学習部長の発言)

 

 「日ハ君臨シ カガヤキハ/白金ノアメ ソソギタリ/ワレラハ黒キ ツチニ俯シ/マコトノクサノ タネマケリ…」(花巻農学校「精神歌」)―。賢治は1921(大正10)年12月、花巻農学校(旧稗貫農学校)の教師となり,校歌を持たなかった生徒のためにこの歌を作詞した。まるで一編の詩編のような校歌は次第に市民の口の端にも上るようになり、いまでは“市民歌”として毎朝夕の7時、市役所屋上のスピーカーから市内全域に流されている。

 

 “桑っこ大学”と揶揄(やゆ)されたその作詞の舞台こそがもうひとつの立地候補地の「旧花巻病院跡地」だった。真の意味での「ゆかりの地」とはこういう場所を指すのではないのか。賢治はあらゆる山野を渉猟(しょうりょう)し、それを作品に残した。上記の二人の伝(でん)によると、その足跡の一つひとつが「ゆかりの地」ということになる。“こじつけ”もいいところである。「駅前立地」へ誘導するための姑息(こそく)な“底意”が透けて見えてくる。

 

 「牽強付会」((けんきょうふかい)とは―。市側も対話型「市民会議」の意見集約の際に利用したという「AI」(人工知能=Copilot)に聞いてみた。「自分に都合がいいように、滅茶苦茶な理屈をこじつけることです」という答えが返ってきた。ピッタリではないか。「整備基本計画」では駅前立地に至る経緯について、誤解を与えないよう丁寧に説明してほしい。

 

 


 

(写真は賢治が花巻農学校「精神歌」を作詞した旧稗貫農学校。前身は郡立農蚕講習所で、生徒数はわずか60人余という小さな学校だった=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

《パブコメ第2弾》~「鶴陰」精神と新興跡地(第1弾は4月1日付当ブログ参照)

 

 

・「基本計画」(案)は三つ基本方針の筆頭に「郷土の歴史と独自性を大切にし、豊かな市民文化を創造する図書館」―を掲げ、その精神は先人の偉業をたたえた「鶴陰碑」にさかのぼるとしている。現在、この碑は市博物館に移設・展示されているが、かつては旧花巻城三の丸(のちの東公園)に建っていた。

 

 戦後、当該地は旧新興製作所の社有地となったが、同社が移転して以降は荒れるに任せたまま放置されている。さらに、現在は所有者が存在しない状態になっており、災害時や景観上の不安も高まっている。仮に来館者が新図書館の理念が宿る由緒あるこの地が廃墟と化している現実を知った際の落胆は思いに余りある。新花巻図書館の開館に合わせ、いわゆる「新興跡地」の改修を進めてほしい。

 

・新花巻図書館の開館時における館長は庁内人事のたらい回しではなく、広い知見を有する人材を求めるために「公募制」を導入してほしい。

 

 

 

 

《パブコメ第3弾》~当地ゆかりの現役作家コーナーの設置について 

 

 

 平成14年4月、市文化会館で宮崎駿監督のアニメ作品「千と千尋の神隠し」が上映されるのに合わせ、隣接する図書館で「柏葉幸子童話作品展」が開催された。主催した「『花巻に映画の灯を再び』市民の会」は益金の一部で『ミラクル・ファミリ-』や『地下室からのふしぎな旅』、『ざしきわらし 一太郎の修学旅行』、『モンスタ-・ホテル』シリ-ズなど柏葉作品を購入し、図書館に寄贈した。それらの作品はいま、こども室のコーナーに並べられているはずである。
 

 第15回講談社児童文学新人賞を受賞した『霧のむこうのふしぎな町』(1975年)は「千と千尋…」の下敷きになったことでも知られる。柏葉さんの作家活動はめざましく、『つづきの図書館』(2010年)は第59回小学館児童出版文化大賞、『岬のマヨイガ』(2016年)は野間児童文芸賞に輝いている。さらに、3年前には『帰命寺横丁の夏』が米国で出版された最も優れた児童書に贈られる「米バチェルダー賞」を受賞。ドイツ、韓国、ロシア、インドネシアの各国で翻訳出版されている。

 

 そんな矢先に飛び込んできたのが当市在住の阿部暁子さんの作品『カフネ』が本屋大賞を受賞したというビッグニュースである。このほかにも地道な作家活動を続けている人もおり、人材発掘を兼ねた「現役作家コーナー」をぜひ、設置してほしい。

 

 

 

《パブコメ第4弾》~「駅前立地」に至る経緯の記述について

 

 

・「花巻市立地適正化計画」(平成28年6月策定)によると、都市機能誘導区域内における事業として「生涯学園都市会館(まなび学園)周辺への『図書館(複合)』の移転・整備事業」が挙げられている。

 

・一方、「新花巻図書館整備基本構想」(平成29年8月)では「『都市機能誘導区域』に整備することとし…候補地を数箇所選定した上で、基本計画において場所を定める」としている。

 

 以上の記述について、①わずか1年足らずの間に建設場所がまなび学園周辺から『数箇所』に拡大された理由は何か、②今回、対話型市民会議が「駅前立地」を決定する以前に市側は複数の建設候補地の中から、「駅前」を第1候補に挙げた経緯がある。事業主体である市側が当該地を立地の最有力候補地として、位置付けた理由は何か。
 

 この2点について、市民が理解できるように「整備基本計画」の中に明記してほしい。

 

 

 

 

対話型「市民会議」の意見集約と「市民アンケート」とのこの乖離のナゾ~“民意”の正体、ここにあり!!??

  • 対話型「市民会議」の意見集約と「市民アンケート」とのこの乖離のナゾ~“民意”の正体、ここにあり!!??

 

 

 「議会側からも再三要望があったのになぜ、アンケート調査を回避したのか。“民意”はやはり、恣意的に作り上げられたものではなかったのか」―。花巻市は18日付HP上で、5月9日締めきりのまちづくりに関する「市民アンケート」への協力を呼びかけた。対象者は住民基本台帳から無作為抽出した15歳以上の市民2,500人。「生活やまちづくり」「防犯や防災、健康、福祉」など7項目について問う形になっており、この中には「生涯学習や芸術文化」について考えを聞く項目も含まれている。

 

 「駅前か病院跡地か」―。統計学的な「有意性」の観点から見ても到底、「民意」を反映したとは言えない対話型「市民会議」での駅前立地の選択に比べて、「市民アンケート」の回答(回収)率の高さに驚いた。回答は郵送かインターネットを通じて行われるが、過去の回答率は令和6年度が984人(39・4%)、5年度が988人(39・5%)、4年度が1,056人(42・2%)、3年度が971人(44・1%)と40%前後を維持。2年度には1,184人(53・8%)と初めて過半数を超えた。

 

 一方の「市民会議」は同じ方法で抽出した3,500人の中から、参加を希望した「75人」で構成されたことになっている。会議への参加を表明した回答率はわずか2%余りで、市民アンケートとの差は歴然としている。さらに、4回開かれた会議すべてに参加したのは42人(1.2%)、最終回、ヒアリングシートに実際に記入したのは65人(うち、当日欠席者12人分は後に郵送で受理)に過ぎない。

 

 そうした中、市民団体が「病院跡地」への立地を求めた署名数は市側が精査した数字だけでも約6,000人に上っている。仮に新図書館の建設場所に関し、同じ手法で「市民アンケート」を実施したとすれば、統計学上は明らかに病院跡地の方が上回ったことが容易に予測される。「民意を的確にとらえるためにも市民アンケートが必要ではないか」と議員から問われた際、上田東一市長は「この種の選択に多数決の論理はなじまない」と突っぱねた経緯がある。「(上田市長は)結果が分かっていたからではないか」というのは根拠のない憶測だろうか。

 

 市民会議の皆勤者42人と市人口89,185人(令和7年3月31日現在)を電卓に入力して、割り算をしてみた。0,0004709%…限りなくゼロに近い数字が画面に現れた。新花巻図書館の建設場所の最終決定をした市民の意思表示は芥子(けし)粒みたいにかすんで見えない。結局、ヒアリングシートに記入したわずか65人(こちらは全人口比率0,0007288%)による”多数決”によって「駅前立地」が決まったということである。ちなみに、「病院跡地」への立地を希望した約6,000人の全人口比率は6・7%を数える。この数字は一体、何を物語っているのか。その数字に聞くのが一番、手っ取り早い。上田市長はこうした「数字のマジック」について、以下のように述べている。

 

 「75名中42名の方は4回全てに参加していただきまして、19名の方が3回、6名の方が2回と多くの市民の方に参加いただいたと思っております」(2月19日開催の定例記者会見)ー。しかし、この発言の中では1回しか参加しなかった人が2人、参加を表明しながら、一度も参加しなかった人が6人もいたことには触れられていない。この数字をもって「多くの市民」と言ってのける心性には驚き入るばかりである。これを称して、数字の「マジック」ならぬ「詐術」(目くらまし)と言うのではないのか。

 

 「百年の計」とも言われる文化の殿堂に反映された、これが上田流“民意”の正体である。賢治の理想郷「イーハトーブ」は未来永劫、取り返しのつかない”負の遺産”を背負わされてしまった。なお、新図書館の整備基本計画(案)にかかる最後(4回目)の市民説明会が19日、市内の「まなび学園」で開かれた。

 

 

 

 

 

(写真は立地場所について、話し合う市民会議のメンバ―たち=花巻市のまなび学園で、市HPから)

 

 

 

 

 

 

「本屋大賞」に花巻出身・在住の阿部さん…図書館“迷走劇”のさ中の朗報~片や、市職員の不祥事も明るみに!!??

  • 「本屋大賞」に花巻出身・在住の阿部さん…図書館“迷走劇”のさ中の朗報~片や、市職員の不祥事も明るみに!!??

 

 全国の書店員が“今いちばん売りたい本”を決める「2025年 本屋大賞」の大賞作品が9日に発表され、当市出身・在住の阿部暁子さん(39)の『カフネ』(講談社)が大賞に選ばれた。今回で第22回目となる同賞には上位10作品がノミネートされ、恩田陸や一穂ミチ、青山美智子、朝井リョウなど人気作家の作品を中から、堂々と大賞を射止めた。まるで、“不動産”物件さながらの「図書館」騒動に辟易(へきえき)していた矢先の朗報。「本とは、図書館とは…」。これをきっかけに今度こそ、本物の図書館論議が盛り上がることを期待したい。

 

 阿部さんは県立花巻北高校を卒業。2003年、第18回全国高等学校文芸コンクール(小説部門)で、最優秀賞を受賞したのを機に執筆活動へ。2008年、『いつまでも』(刊行時に『屋外ボーイズ』に改題)で、第17回ロマン大賞を受賞し、作家デビューした。著書に『どこまでも遠い場所にいる君へ』『また君と出会う未来のために』『パラ・スター(Side宝良)』『金環日蝕』『カラフル』などがある。

 

 法務局に勤める野宮薫子は、溺愛していた弟が急死して悲嘆にくれていた。弟が遺した遺言書から弟の元恋人・小野寺せつなに会い、やがて彼女が勤める家事代行サービス会社「カフネ」の活動を手伝うことに。弟を亡くした薫子と弟の元恋人せつな。食べることを通じて、二人の距離は次第に縮まっていく…。『カフネ』はこんな展開で進んでいく(ORICON NEWS)から)

 

 阿部さんは受賞の喜びをこんな表現で語った。「すごい賞をいただいてまだ実感がわかない。自分がお茶わんだとすると、器からはみ出そうなくらいのご飯を盛られたような感じ」(9日付「東京新聞」電子版)。その一方で、第1回本屋大賞受賞作の小川洋子さんの『博士の愛した数式』を大学に入学した2004年に読んだことに触れ、「すごく心を打たれて、このような物語を死ぬまでに書けるようになりたいと強く思いました。長い時間がたって、今ここに自分が立たせてもらっていることを、本当に光栄に思います」(NHK)と話した。

 

 「今日は本当はつなぎの服を着てごついブーツを履いて、髪をお団子にして来ようと思っていたんですが、担当さんと家族に“やめておけ!”と言われたので(笑)」―。受賞式ではこんな一幕もあり、会場は笑いに包まれた。思わず、当市出身の童話作家の柏葉幸子さん、そして宮沢賢治と重なるような感性を阿部さんに感じてしまった。その柏葉さんは2022年、『帰命寺横丁の夏』で英語に翻訳され、米国で出版された最も優れた児童書に贈られる「米バチェルダー賞」を受賞している。同書はドイツ、韓国、ロシア、そしてインドネシアでも翻訳出版され今、世界中の注目を集めている。

 

 この5年余り、「イーハトーブはなまき」は「図書館抜き」の“立地”論争に明け暮れてきた。その結果、およそ文学的な議論をわきに置いたまま、新図書館の駅前立地が決まった。「図書館とは何ぞや」という本格的な議論は基本計画の策定に向けたこれからが本番となる。

 

 そんな折しも、阿部さんはこれ以上ないようなタイミングで『カフネ』という人間愛に満ち溢れた物語を私たちにプレゼントしてくれた。さらに、柏葉さんは今年2月、インドネシア語に翻訳された自著のトークイベントに招かれるなど「イーハトーブ」からの発信に忙しい日々を送っている。手をこまねいているわけにはいかない。早急に”図書館”王道論に向けた議論を始めなければならない。

 

 

 

(写真は「本屋大賞」を受賞した阿部さん=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記ー1》~行政トップの「図書館」像というか「賢治」観とは!!??


 

 阿部さんの「本屋大賞」受賞というビッグニュースが飛び込んだと同じこの日、上田東一市長が3月定例記者会見の質疑でこう述べていた。「花巻は賢治のまちであるから、賢治にゆかりのある場所に建設するべきという強い意見をお持ちの方々もいらっしゃいます。でもそれについては、市民会議の中でも図書館の場所と宮沢賢治ゆかりの場所であることは必ずしも結びつかないんじゃないかという意見の方もたくさんいらっしゃいました」(市HP)

 

 一体全体、「賢治ゆかりの地」とはどこを指すのか。そもそも「賢治ゆかり」とは何を意味するのか―さっぱり、伝わってこない。これって、“東大論法”というのだろうか。あるいはまた、単なる文学“音痴”なのか。阿部さんの登場が余りにも鮮烈すぎたせいか、「駅前図書館」のイメージがますます貧相に見えてきた。当の阿部さんはある雑誌のインタビューでこう語っている。「宮沢賢治が生まれた岩手県花巻市で育ちました。周りに自然が多いので、昔話を聞いていても普通にそのへんで起こりそうだなと感じていました。小さい頃からわりと、空想力が強めだったようです」(「WEB本の雑誌」)

 

 

 

《追記―2》~「魚は頭から腐る」、いや「鰯の頭も信心から」!!??

 

 

 13日付の市HP上に上田東一市長のこんなコメントが掲載された。「この件について、現時点では報道されている情報しか把握できていない状況です。今後、事案の詳細を確認した後、市としての対応を検討してまいります。誠に遺憾であり、市民の皆さまに深くお詫び申し上げます」

 

 この件とは「令和7年4月12日(土曜)、午後4時30分頃、岩手県北上市の商業施設で、当市職員(49歳)が約1,000円相当の商品を盗んだ疑いがもたれ、店からの通報を受けて駆け付けた警察官により、同日午後5時30分頃に現行犯逮捕されたもの」(同HPより)―。「魚は頭から腐る」という一方で、「鰯(いわし)の頭も信心から」とも。「イーハトーブはなまきは」は頭から爪先まで内部崩壊の危機に。市長が口癖の「コンプライアンス」(法令遵守)も「ガバナンス」(内部規律)も木っ端みじんにぶっ飛んじゃった。「The End」

 

 

 

 

「鶴陰」精神が泣いている…新図書館整備基本計画(案)の理念の倒錯ぶりがここにも!!??

  • 「鶴陰」精神が泣いている…新図書館整備基本計画(案)の理念の倒錯ぶりがここにも!!??

 

 「郷土の歴史と独自性を大切にし、豊かな市民文化を創造する図書館」(基本計画(案)説明書)―。新花巻図書館はその基本方針について、冒頭でこう高らかに謳っている。そして、その理念は「鶴陰碑」(かくいんひ)の中に凝縮されているとして、こんな注釈をつけている。

 

 「花巻に住む武士の間では剣道・弓道・馬術などの武芸が盛んで、その道の奥義を極めた武芸者が数多く現れ、また中国の儒学や史書に深い知識を持った学者、優れた和歌・俳句を作った詩人達も活躍した。明治時代になると、こうした先人を顕彰する動きが見られ1891(明治24年)10月に花巻城三の丸に『鶴陰碑』と呼ばれる記念碑が建てられ、この碑には安永年間(1772~81)から明治時代初めにかけての110年間に武芸・学問・書 画・和歌などで活躍した先人194名の名前と建設の趣旨が刻まれている」

 

 この中に「上田弥四郎」(1768―1840年)という名前がある。上田東一市長の遠い血筋に当たる人物で、説明資料には「花巻城の大改修工事(文化6年)の際に指揮を取り、『造作文士』とも呼ばれた。儒者としても知られる」と記されている。かつて、鶴陰碑が建っていた旧三の丸は「東公園」の愛称で呼ばれ、人々が集う桜の名所としても知られた。いまその面影は消え失せ、瓦礫(がれき)がうず高く積み上げられ城跡一体は「新興跡地」(旧新興製作所跡地)と呼ばれるのが通例となっている。

 

 いまからちょうど10年前、就任直後の上田市長が直面したのが新興跡地の売却問題だった。当該地は「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)によって、市側に優先取得権が認められていたが、上田市長は「利用目的のはっきりしない土地の取得はすべきでない」と拒否。その後、所有者の不動産業者が破産した結果、この土地はいまでは所有者のいない「無主地」となり、最悪の場合は荒れ放題のまま、その無惨な姿をまちのど真ん中にさらし続けることになりかねない状態になっている。

 

 先祖の業績を踏みにじるような上田市長の「不決断」こそが責められなければなるまい。ところが、この人にとってはまるでどこ吹く風…逡巡(しゅんじゅん)する気持ちが一向に感じられないのである。それどころか、「鶴陰」精神が宿る城跡を荒れるに任せる一方で、その精神を新図書館の基本方針の筆頭に掲げようというのだから、こっちの神経の方が参ってしまう。「見晴るかす/高き城跡」…。春の選抜高校野球大会で快進撃を続けた花巻東高校の校歌にも誇り高く、謳われているではないか。だったら尚更のこと、先祖の名誉を取り戻すためにも「廃墟」の改修こそが先決ではないのか。

 

 私事で恐縮だが、碑文の揮毫(きごう)の主は小原東籬(忠次郎)(1852―1903年)で、私の曽祖父に当たる人物である。花巻市史などによると、明治時代の筆札(ひっさつ=教師)のかたわら、書家の大家としても活躍し、53歳で没するまでこの地方の小学校で教師生活を続けた。その一方で公共事業にも足跡を残し、花巻市立図書館の前身である「豊水社」を創設したほか、花巻リンゴ会社、花き栽培奨励のための花巻農政社なども立ち上げた。図書館事始めについてはこんな記述もある。

 

 「この名の起こりは、花巻の町を流れる豊沢川の水の様に、新しい知識を次々に求め得ようという意味で、町内の有力者52人で発足している。毎月10銭を拠出して書籍を購入し、ひろく町民に読書を普及させるもので、この豊水社の伝統が明治41年、花城小学校に『豊水図書館』を設立するきっかけとなった」(私家本『心田を耕し続けて―小原忠次郎の歩んだ53年』)―

 

 「この碑にはわたしの先祖の名前も刻まれている。城に対する思いは誰にも負けない」―。新興跡地の売却問題の渦中にあった10年前、上田市長は議会答弁でその胸中をこう漏らしたことがあった。その鶴陰碑にはこう刻まれている。「…生年月日、卒年月日、年令の長短、血筋の詳細、職位等はすべて辞去した。そういうものが碑文にあっても何の役に立つものではない」(現代語訳)。これこそが「鶴陰」精神そのものではないか。碑文の主は漢学者として知られ、後に衆議院議員を務めた名須川他山である。

 

 私の曽祖父が花巻城の大改修の陣頭に立った上田市長の先祖の名前を鶴陰碑に刻み、その子孫に当たる市長自身が今度は1世紀以上の時を経て、同じ曽祖父が設立した初代図書館「豊水社」の伝統を引き継ぐ「新花巻図書館」を担う立場に立たされている。めくるめくような「縁」(えにし)の不思議に圧倒されながら、ふと芭蕉の名句が口元に浮かんだ。「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」―

 

 鶴陰碑が建っていた新興跡地(花巻城址旧三の丸)の改修をすみやかに進め、その上で「鶴陰」精神を新花巻図書館の理念として、きちんと位置付けるべきであろう。それこそが自身の先祖であり、194人の郷土の先達のひとりでもある「上田弥四郎」の意志に報いることではないのか。今からでも、遅くはない。「仏作って、魂入れず」―になってはならない。


 

 

 

 

(写真は雑草におおわれ、がれきが放置されたままの新興跡地(旧三の丸)。兵どもの夢の跡をいまに伝える=花巻市御田屋町で)

 

 

 

 

 

「IHATOV・LIBRARY」の実現を目指して…私論「図書館」“幻想”、そして図書館基本計画(案)へのパブコメ(意見表明)!!??

  • 「IHATOV・LIBRARY」の実現を目指して…私論「図書館」“幻想”、そして図書館基本計画(案)へのパブコメ(意見表明)!!??

 

 宮沢賢治の作品のひとつに『図書館幻想』と題する何となく不気味な掌編があり、「ダルゲは振り向いて冷やかにわらった」という文章で結ばれている。研究者によると「ダルゲ」とは盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)時代の無二の親友だった「保阪嘉内」を指しているらしい。互いの生き方の違いから、1921(大正10)年7月18日、ある図書館の一室で二人は訣別を告げた。以降の賢治は生前唯一の詩集となった『春と修羅』など後世に残る創作活動に憑(つ)かれたように没頭したという。


 ところで、新花巻図書館の「駅前立地」に舵を切った市側は賢治関連について、こう記している。「宮沢賢治に関する資料については、市民から、宮沢賢治の出身地にふさわしい図書館としてほしいなどの意見が多いことから、今後出版される図書資料はもちろん、未所蔵で購入可能な資料は古本も含め積極的に収集し、地域(郷土)資料スペースにおいて配架する予定ですが、宮沢賢治専用のスペースを設けることも検討します」(「新花巻図書館整備基本計画(案)」説明資料)


 それにしても「市民から要望があったから…」という言い草は随分と上から目線というか、主体性がなさ過ぎではないか。「賢治まちづくり課」を擁する市側こそが率先して、賢治生誕地ならではの斬新な発想を示すべきではなかったのか。これを裏返せば「それがなかった」ということであろう。この辺りにもいかにも貧困な図書館像が透けて見えてくる。私自身は一貫して「病院跡地」への立地を求めてきたひとりであるが、その図書館像は建設場所によって変わるはずはなく、むしろ時代を継いで進化されるべきものであろう。以下のパブリックコメント(意見書)は賢治に導かれるようにして思い描いた私なりの図書館“幻想”である。なお、賢治と嘉内が訣別した場所は国立国会図書館の前身の「帝国図書館」で、現在は「国際こども図書館」として、開放されている。パブコメの全文を以下に掲載する。


 

 

 

「新花巻図書館整備基本計画(案)に関するパブリックコメント」

 

花巻市桜町3-57-11
増子 義久
電話:090-5356-7968

 

 

《宮澤賢治コーナ―の充実と「まちづくり」について》

 

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。賢治は自らを“現象”と位置づけているから、言ってみれば永遠に不滅の存在である。そんな賢治の全体像を具現する空間としての「宮沢賢治コーナー」をぜひ、設置してほしい。それを実践するためのいわば“処方箋”を以下に素描する。賢治関連本や資料などを蒐集し、単に閲覧に供するだけではいかにも浅慮と言わざるを得ない。このコーナーを図書館の内分館と見立て「IHATOV・LIBRARY」と命名することも合わせて要望する。ある意味、新花巻図書館の誕生は「イーハトーブ・ルネサンス」(文明開化)の幕開けといった趣(おもむき)も兼ね備えていると思うからである。

 

 

●「賢治の森」コ―ナ―の設置

 

 賢治を「師」と仰いだ人材はキラ星のように存在する。例えば、原子物理学者の故高木仁三郎さんが反原発運動の拠点である「原子力資料情報室」を立ち上げたのは賢治の「羅須地人協会」の精神に学んだのがきっかけだった。また、アフガニスタンでテロの銃弾に倒れた医師の中村哲さんの愛読書は『セロ弾きのゴーシュ』で、絶筆となった自著のタイトルはずばり『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』だった。さらには、シンガーソングライターの宇多田ヒカルのヒット曲「テイク5」は『銀河鉄道の夜』をイメ-ジした曲として知られる。
 

 一方、戦後最大の思想家と言われた故吉本隆明さんに至っては「雨ニモマケズ」を天井に張り付けて暗唱していたというから、「賢治」という存在がまるで“エイリアン”のようにさえ思えてくる。吉本さんを含めた宮澤賢治賞とイーハトーブ賞(いずれも奨励賞を含む)の受賞者はこれまでに144の個人・団体に上っている。こうしたほとばしるような“人脈図”がひと目で分かるようなコ―ナ―を設置し、賢治という巨木がどのように枝分かれしていったのか。なぜ、賢治がその人たちの人生の分岐点に立ち現れたのか―その全体像を森に見立てて「見える化」する。さらに、定期的に受賞者を招き「私と賢治」をテーマにした講演会を開催する。

 

 

●「図書館」を軸としたまちづくり

 

 「図書館は屋根のある公園である」―。「みんなの森/ぎふメディアコスモス」の総合プロデューサーを務めた吉成信夫さんはこんなキャッチフレーズを掲げながら、こう述べている。「図書館というのは、今までのように閉鎖形で全部そこの中で完結しているというふうに考えるのではなくて、むしろ図書館の考え方が街の中に染み出していく。そして、街づくりというか、街の考えが図書館の中にも染み込んでくる、その両方が浸透しあうような造り方というのが、たぶん、これからいろいろな形で出てくるだろうと思っています」(開館1年後の記念講演)
 

 メデイアコスモスの中核施設である岐阜市立図書館館長を2015年の開館から5年間、務めた吉成さんは青壮年期に「石と賢治のミュージアム」や「森と風のがっこう」、「いわて子どもの森」(県立児童館)など岩手の地で賢治を“実践”した貴重な経験を持っている。その集大成は図書館の先進的な活動に贈られる最高賞「ライブラリーオブザイヤー」(2022年度)の受賞に結実した。
 

 「柳ヶ瀬商店街を活性化することに図書館がどうやって寄与できるのか」―。館長としての初仕事はかつて「柳ヶ瀬ブルース」に沸いた商店街の立て直しだった。そして、総合プロデューサー退任後の昨年9月、「無印良品柳ヶ瀬店」の店内の一角に本を陳列した無料の交流スペースがオープンした。名づけて「本のひみつ基地」。柳ヶ瀬商店街の歴史を展示した資料が並べられ、朗読会などにも利用される。仕掛け人のひとりである吉成さんは「足元の文化的な価値を見直し、今後のまちづくりに生かしたい」と抱負を語っている。まさに、“全身図書館”の本領発揮である。
 

 この「吉成流」に学び、図書館の来館者を駅前一極に限定せずに上町など中心市街地に呼び込むような新たな“人流”を形成する。「IHATOV・LIBRARY」で賢治を満喫した来館者を賢治の生家や一時期、教鞭を取った旧稗貫農学校(旧花巻病院跡地)、賢治の広場、花巻城址などのゆかりの地へと誘い、まち全体の賑わい創出につなげる。賢治の道案内でフィールドワークに出かけるという趣向である。

 

 

●「文化と観光」とのコラボミックス

 

 「科学だけでは冷たすぎる。宗教だけでは熱すぎる。その中間に宮沢賢治は芸術を置いたのではないか」(岩手ゆかりの作家で賢治関連の著作もある井上ひさし)―。兵庫県豊岡市で「演劇」によるまちおこしを実践している劇作家で演出家の平田オリザさんは自著『但馬日記―演劇は町を変えたか』の中で、井上のこの言葉を引き合いに出しながら、こう書いている。「賢治の思いが、100年の時を経たいまよみがえる。熱すぎない、冷たすぎない、その中間に芸術や文化を置いたまちづくりが求められている」。その活動拠点は芸術文化と観光をコラボした全国初の4年制大学―「兵庫県立芸術文化観光専門職大学」である。そういえば、詩人で彫刻家の高村光太郎は戦後の荒廃期、賢治童話を演じる子どもたちの姿に感激し、その児童劇団に「花巻賢治子供の会」の名称を献上したというエピソードも伝え残されている。
 

 さて、今度はその「オリザ流」に学びたい。著作や翻訳書、研究書、評論、映画やアニメ、漫画本、演劇、ドキュメンタリー、果てはアンチ賢治や地道な地元研究者の労作…こうした「多面体」としての賢治の一切合財を集めた「IHATOV・LIBRARY」が実現すれば、日本だけでなく、世界中から賢治ファンなどのインバウンド需要を喚起し、温泉観光地としての活性化も期待できる。また、賢治関連本は毎年、陸続と出版が続いており、まさに賢治“現象”には終わりがない。「世界で行きたい街」の第2位にノミネートされた盛岡に見習い、「世界で一番、行きたい図書館」を目指す。賢治の壮大な“実験場”としての「IHATOV・LIBRARY」こそが、未来を切り拓く「マコトノクサノタネ」(賢治作詞「花巻農学校精神歌」)を育(はぐく)む圃場である。

 

 

●「平和と連帯」メッセージの発信拠点に

 

 東日本大震災の際、米国の首都・ワシントン大聖堂で開かれた「日本のための祈り」やロンドン・ウエストミンスター寺院での犠牲者追悼会など世界各地で、英訳された「雨ニモマケズ」が朗読された。また、この詩に背中を押されるようにして、世界中からボランティアが被災地へ駆けつけた。そして、年明けの厳寒の元日に起きた能登半島地震。この時もこの詩に詠われた「行ッテ」精神がボランティアを奮い立たせた。さらに、「3・11」で甚大な被害を受けた岩手県大船渡市が未曽有の山林火災に見舞われた今回の災厄に際しても、賢治の寄り添い合いの精神が未来への光をともし続けている。
 

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)―。世界に目を向けると、いまもあちこちで戦火が絶えない。ウクライナやガザ…世界全体の悲しみの地にもこのメッセージを届けたい。「平和と連帯」を希求する賢治の心の叫びを積み込んだ「銀河鉄道号」…その始発駅は「IHATOV・LIBRARY」こそが一番、ふさわしい。

 

 

●将来のまちづくりに向けて

 

 「豊かな自然/安らぎと賑わい/みんなでつなぐ/イーハトーブ花巻」―。当市は「将来都市像」をこう描いている。いうまでもなく、「イーハトーブ」とは賢治が未来に思いを馳せた「夢の国」や「理想郷」を意味する言葉である。一方、図書館学の父とも呼ばれるインド人学者のランガナータンは「図書館は成長する有機体である」と述べている。「IHATOV・LIBRARY」が目指す”夢の図書”は世代を継いで成長し続ける永遠の有機体である。

 

 自らを「幽霊の複合体」(『春と修羅』序)と称してはばからない、この天才芸術家のその”お化け”の正体を暴いてみたいというのが偽らざる気持ちである。旧総合花巻病院の中庭に「Fantasia of Beethoven」と名づけられた花壇があった。設計者の賢治は「おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇設計』)と豪語した。「賢治とは一体、何者なのか」……

 

 等身大の“おらが賢治”を取り戻したい。そこには少子高齢化の困難な時代に立ち向かうためのヒントがびっしり、詰まっているはずである。時代を逆手に取った伝家の宝刀、つまり「イーハトーブはなまき」でしかなしえない「まちづくり」の妙手がここにある。「IHATOV・LIBRARY」が万巻の書で埋め尽くされたあかつきには旧花巻病院跡地(旧稗貫農学校跡地)へ独立館として新築・移設する。真の意味での賢治ゆかりの地―“桑っこ大学”の愛称で呼ばれたこの地に「マコトノクサノタネ」が芽吹く未来を信じたい。未来世代へのバトンタッチである。

 

 

 

 

(写真は不気味で謎めいた賢治の『図書館幻想』=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

 

《追記》~ある別れ…「ありがとう、図書館」


 

 東京都清瀬市の市民団体が、閉館する四つの市立図書館に感謝のメッセージを贈る集いを開いた。町の図書館に長く親しんだ人たちが別れを惜しんだ。この集いは、昨年度末に閉館した中央、下宿、野塩、竹丘の四つの市立図書館前で、最後の開館日となる3月30日に開かれた。主催したのは「住民投票で夢のある図書館を創るきよせの会」

 

 参加した人たちは、それぞれの思いを紙に書いて色紙に貼った。「静かな空間に座って本を読んだり、司書さんとあいさつすることが日々の楽しみでした」「子どもが初めて一人でおでかけしたのは図書館でした。首から図書館のカードを下げて『行ってくるねー!』と嬉(うれ)しそうに家を出て行く姿は、子育ての大切な思い出の一つです」「受験勉強を一緒に乗り越えた図書館。本当に感謝しています」……。 保育士の篠田千尋さんは、毎月2回、小学生の子2人を連れて図書館を訪れ、読み聞かせの絵本や児童書を借りてきた。「たくさんある中からページをめくってお気に入りの本を選ぶ楽しみを、子どもと一緒に味わってきました。生活の一部がなくなるようで残念です」という。

 

 色紙は、図書館への「感謝状」とともに職員に渡された。「きよせの会」の寺川健一さん(69)は「集いに参加した人の声を聞いて、改めて図書館がなくなるのは惜しいと思いました」と話した。 図書館の閉館に反対していた「きよせの会」は、閉館の是非を市民に問うための住民投票を市長に求めたが、その実施は2月に開かれた臨時議会で否決された(4月3日付「毎日新聞」電子版)