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足元に忍び寄る「悪の凡庸」…ガザからイーハトーブまで~「上田」翼賛体制、ここに極まれり!!??

  • 足元に忍び寄る「悪の凡庸」…ガザからイーハトーブまで~「上田」翼賛体制、ここに極まれり!!??

 

 「悪の凡庸(ぼんよう)」―。イスラエル軍によるパレスチナ自治区「ガザ」への攻撃から早くも半年。終わりの見えない戦禍の中でふと、思い出したのがドイツの哲学者、ハンナ・アーレントの冒頭の言葉である。第2次世界大戦中、ユダヤ人の大量虐殺に関わったナチス親衛隊の高官、アイヒマンは「上からの命令に従っただけだ」と語った。これに関連して、アーレントはこう述べた。「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました」(『エルサレムのアイヒマン』)

 

 かつて、ナチスドイツがユダヤ人に向けた刃(やいば)が今度はそのユダヤ人からパレスチナ人に向けられている。この逆転の構図の中に「悪の凡庸」を見ようとするのは早計であろうか。この根底に横たわっているのは「人間の拒絶」だという気がしてならないのである。なぜ、唐突にこんな例を持ち出したのかと言えば、足元で起きたある出来事がきっかけである。比較すること自体が土台無理、牽強付会(けんきょうふかい)ではないかという向きもあろうが、私にはその根っこの部分で何かが通底し合うのを感じるのである。4月5日付の市HP上にこんな記事が載った。

 

 「『花巻ならでは・独自性・図書館のあるべき姿』や基本理念の議論が不十分のまま、”図書館を愛する”方々の『建設地論争』による意見の分断が、(図書館にあまり関心がない)大部分の市民を置きざりにして整備事業を長引かせています」―。ある市民グループが作成した「花巻図書館50周年記念誌」を紹介する記事の中の一節である。現在、当市では新図書館の建設をめぐって「駅前か病院跡地か」という“立地”論争が続いている。当該記事は記念誌作成の中心人物が書いたもので、図書館についての自説を述べた内容になっている。

 

 駅前立地を強行しようとする市当局に対し、私自身は花巻病院跡地への立地を希望する立場である。そのための「図書館」論議や勉強会を重ね、仲間たちと全国展開の署名運動も続けている。こうした(”図書館を愛する”)活動が「意見の分断」につながるというのであれば、これはもう「言論の自由」(憲法第21条)の侵害と言わざるを得ない。「(病院跡地を希望しているのは)一部の(意見の強い)市民だ」という「上田」(東一市長)流儀の話法とも瓜二つである。もっと言えば、このご本人は駅前立地に軸足を置いているらしいから、語るに落ちるという“オチ”まで付いている。かつては、当局側にきちんと異議申し立てをしていた人物だと思っていたが、いつの間にか逆に籠絡(ろうらく)されていたというお粗末の一席。

 

 しかし、ここで問題にしたいのは、公平性が担保されなければならない市HP上になぜ、当局寄りとも受け止められかねない一個人の言い分が無防備に掲載されたかという、その判断基準である(必読;当ブログ3月14日付「危うい”人道”感覚…ガザへの支援に否定的」)

 

 「悪の凡庸」は現代風に言えば、いわゆる“忖度”(そんたく)である。この言葉が流行した背景について、新明解国語辞典は「特に立場が上の人の意向を推測し、盲目的にそれに沿うように行動することの意で用いられる」と解説している。足元の一見、ささいな「HP」騒動が「上からの命令に従っただけだ」というアイヒマン流の思考にひょいと重なってしまったことに逆にこっちがびっくりした。たまたま、先の大戦の「翼賛(よくさん)」体制に体を張って抵抗した「憲政の神様」―尾崎行雄に関する記事を読んだせいもあるのかもしれない。

 

 「批判的精神は自己を尊重する心、我は奴隷(れい)にあらず、我こそ己(おの)れ自身の主人公なりとの自覚がなければ生(うま)れて来ない。(略)日本人の責任回避の習性は、上からの命令や指令をうのみにした結果、養成せられたのではあるまいか」(『民主政治読本』、1947年)―

 

 「醜態の見本市のごとき日本政治に鬱々(うつうつ)としていた」ー高橋純子記者は尾崎のこの言葉を引き合いに出しながら、「(派)閥族政治の奴隷になるのか」(4月6日付「朝日新聞」多事奏論)と喝破していた。足元のご当地・イーハトーブでも過日、総合花巻病院への財政支援という重要案件について、本来なら議員を通じて市民に情報提供がなされるべき「議員説明会」がその理由もあきらかにされないまま、「非公開」になるという暴挙があった。議員と当局との間でどんな議論が交わされたのか…取材陣も締め出されるという前代未聞の出来事の前に市民の「知る権利」は一方的に奪われてしまった。(議会側もその軍門に下ったという意味では)「上田」翼賛体制は止まるところを知らない勢いである。息絶えるどころか「悪の凡庸」はまるで、“亡霊”のように世界中のいたるところでうごめいているようである。

 

 

<註>~「まきまき花巻」

 

 図書館に関する上記の引用記事は”市民ライタ―”による「まきまき花巻」というWEB上のサイトに掲載されている。当該記事がHPにリンクされた直後、「長引かせています」が「長引かせてはいないでしょうか」などと表現を和らげるように変更された。まったく、往生際が悪い。なお、9日付で差し替えられた記事を読んでみたらまるで、広告代理店みたいな内容だった。”公器”であるはずの市のHPが利害の伴う広告塔に成り果てるとは!?

 

 

 

 

(写真はプロモーションサイト「まきまき花巻」に掲載された図書館記念誌の紹介記事。=花巻市のHPより)

 

 

 

《追記ー1》~「鬱々(うつうつ)」気分が真っ只中での朗報!?

 

 

 北上市出身で、米国の名門バークリー音楽大3年の長屋凜さん(21)は、国際的な作曲コンクール「ジョン・レノン・ソングライティングコンテスト」のワールド部門でグランプリに輝いた。アイヌの言語や文化を現代音楽にアレンジした楽曲で、曲名は「Forgotten People(忘れられた人達)」。最高賞を励みに、夢のグラミー賞を追い求める。中学時代に2年間コーラス隊に在籍した以外に音楽経験はなかったが、独学で英語や音楽を勉強して同大に進学。主に楽曲製作を学んでおり、2023年12月、プロアマ問わず2万曲以上のエントリーがあるという同コンテストに初めて応募した(4月9日付「岩手日日新聞」電子版)

 

 

 

《追記―2》~「一部の意見の強い市民」(上田市長)VS.「サイレント・マジョリティ」(岸元首相)

 

 

 60年安保闘争の時、当時の岸信介首相は安保改定に反対するデモ隊をめぐって、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園はいつもの通りである。私には“声なき声”が聞こえる」と述べ、新安保条約を強行採決した。いわゆる、「サイレント・マジョリティ」(物言わぬ多数派)発言である。上田市長にとってのそれはさしずめ「高校生を含む若者世代派」ということになろうか。

 

 なお、岸元首相の外孫に当たる安倍晋三元首相は2017年7月、東京都議選の応援演説の際、ヤジを飛ばした群衆に向かい「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と応じた。「一部の意見の強い市民」=「こんな人たち」(つまりは、意に沿わない人間集団)は…権力を握る人間にとっては、いつの時代でも”排除”の対象である。

 

 

 

 
 

「ずっと、ずっと帰りを待っていました」…「記憶」の“郵便配達”

  • 「ずっと、ずっと帰りを待っていました」…「記憶」の“郵便配達”

 

 『ずっと、ずっと帰りを待っていました』(新潮社)―。朝日新聞「読書欄」(3月16日付)に掲載された書評のタイトルに目を奪われた。副題に「『沖縄戦』指揮官と遺族の往復書簡」とあった。「浜田哲二・浜田律子」…著者名にまた、びっくりした。「あの、浜ちゃんではないか」。さっそく、本を取り寄せた。朝日新聞のカメラマンだった「浜ちゃん」は2010年に社を早期退職し、元読売新聞記者の妻律子さんとともに20年以上、沖縄で戦没者の遺骨収集と遺留品や遺族への手紙の返還運動をしていることを初めて知った。本書はその集大成とも言える感動の物語だった。 

 

 太平洋戦争末期の激戦地・沖縄で、陸軍第24師団歩兵第32連隊を率いたのは大隊長の伊東孝一(2020年2月没、享年99歳)だった。当時24歳の伊東は約千人の部下のうちその9割を失った。生還した伊東は戦後、戦死した部下たちの遺家族に沖縄の土を同封した600通の“詫び状”を送り、356通の返書を受け取った。約8年前、ある偶然の出会いをきっかけに、伊東さんからこの返書の束を託されることになった浜田夫妻はNPO「みらいを紡ぐボランティア」を立ち上げ、学生たちとともに気の遠くなるような「留守家族」探しの旅に出る。 

 

 「姿は見えなくとも、夫は生きている。私の心の中に」、「軍人として死に場所を得た事、限りなき名誉と存じます」、「肉一切れも残さず飛び散ってしまったのですか」、「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」、「白木の箱を開けると、石ころが一個。それだけだったのよ」…。本書にはわが子や夫の死を悲しむ肉親の返書が25通収められている。敗戦後70年以上の時空を隔てる旅は難航を極めた。消息を尋ねる電話が「振り込め詐欺」に間違われたり、警察官さながらの“地取り”調査をやったり…

 

 北海道出身の多原春雄伍長(享年25歳=推定)は敗戦の1945年(日付は不明)に糸満市内で戦死した。「母として、確報を受けないうちは、若しやと思い…」―。母親のサヨさんが伊東さん宛てに返書をしたためたのは敗戦翌年の6月。そして80年近い歳月を経て、この返書を受け取ったのが春雄さんの甥(故人)の妻である良子さんだった。また、えっと思った。アイヌ民族の血を引く多原良子さん(71)が卑劣なヘイトスピーチを繰り返す女性国会議員を相手に、人権救済の申し立てをしたことは記憶に新しかった。北海道の記者時代、アイヌ民族の復権運動の先頭に立っていた多原さんの姿を懐かしく、思い出した。縁(えにし)の不思議に興奮しながら、私は机の引き出しから変色した葉書の束を取り出した。

 

 太平洋戦争の敗色が濃厚になった1944年夏、私の父は旧満州(中国東北部)に応召された。4歳になったばかりの私に父の記憶はない。敗戦後、ソ連軍の捕虜となり、シベリアの大地に没した。享年37歳の若さだった。葉書は戦地から送られてきた軍事郵便である。「記憶」の“郵便配達”役を見事に果たしてくれた浜田夫妻に感謝しながら、私は「父さんはどんなところで死んだのかねぇ」と繰り返し口にしていた、いまは亡き母親の言葉を反芻(はんすう)していた。

 

 何十年振りかで「浜ちゃん」に連絡を取った。デブの浜ちゃんは61歳になっていた。実は夫妻の本拠地は世界遺産の白神山地がある青森県深浦町である。「みらいを紡ぐボランティア」には多くの学生たちも参加。沖縄戦の戦没者の遺骨収集だけではなく、白神の森と生き物たちやその文化を記録する活動も続けている。

 

 返書を朗読する若い学生ボランティアとそれを受け取る遺家族たち…。双方の目には涙が。この光景に何度ももらい泣きした。世代をまたぐ「記憶」がバトンタッチされる、その瞬間に感動する涙だったのかもしれない。それにしても一体、このエネルギーはどうやったら生まれるのだろうか。齢(よわい)84の老いぼれは浜田夫妻からドスンと背中を押された気持ちになった。

 

 

 

 

(写真は「死者は生者の中に生きる」(保坂正康氏)、「人間は信頼できる存在なのである」(佐藤優氏)などの激賞を受けている本書)

 

どうなる?「いのちと健康」(下)…“計画倒れ”に終わった「立地適正化」計画~「ウソから出たマコト」~あぁ、“城跡エレジー”!!??

  • どうなる?「いのちと健康」(下)…“計画倒れ”に終わった「立地適正化」計画~「ウソから出たマコト」~あぁ、“城跡エレジー”!!??

 

 「現時点で作成・公表に至った自治体は大阪府箕面市と熊本市の2団体のみです。 花巻市は6月1日に公表を予定しており、全国で3番目、東北では初めての立地適正化計画となります」(2016年5月27日開催の記者会見)―。1番になれなかった悔しさをにじませながらも、上田東一市長の顔は紅潮しているようだった。以降、「全国で3番目」が上田市政を貫く枕言葉になっていくのだが… 

 

 上田市長が初当選(2014年1月)した半年後、「改正都市再生特別措置法」(8月1日)が施行され、立地適正化計画に基づいた「コンパクト(+ネットワーク)シティ」構想が提唱された。国の優遇措置を受けられるとあって、全国の自治体の間で“先陣”争いが起きた。この法律との運命的ともいえる“遭遇”がその後の上田市政の方向性を決定づけることになる。2年後に策定された「花巻市立地適正化計画」(2016年6月1日)には現在まで続く三大プロジェクト(病院移転×新図書館×駅橋上化)がそろい踏みしていた。そのトップバッターに位置づけられたのが、総合花巻病院の「移転・新築」事業だった。 

 

 「本移転事業は国が創設した『立地適正化計画制度』に基づき、花巻市が策定した『都市機能誘導区域』への移転事業であります」―。立地適正化計画が策定された半年後、病院側の「移転新築整備基本計画」(2016年12月2日)にはこの事業が行政主導の事業であることが明記されていた。当時、現職の市議だった私もこの点を追及した。前哨戦としての「病院立地」論争にこんなやり取りがある(2015年12月定例会の会議録=要旨)

 

増子:立地適正化計画は平成28年3月に策定期限が迫っているということがあるわけでしょう。その辺をはっきり言ってください。だから、慎重にやりたいけれども一方で、制度資金を活用するために急がなければだめなのだと。

佐々木忍(健康福祉部長):立地適正化計画でございますけれども、来年度からの採択事業の実施に向けて、いま一生懸命進めている状況でございます。有利な財源を使うということについては、議員もお分かりのことと思います。

 

 「まずは、立地ありき」―。「ハコモノ」行政に付き物のこの手法は上田市政の目玉政策だった三大プロジェクトにも共通している。立地適正化計画の成功例第1号として、広く喧伝(けんでん)されてきた「総合花巻病院」問題の顛末については(上)と(中)でその経緯を明らかにした。さらに、10年以上も前に船出したはずの「新図書館」構想はいまなお、荒波に翻弄(ほんろう)される難破船そのものである。その一方で、これらのプロジェクトの陰で闇に葬られようとしている“負の遺産”を忘れてはなるまい。実は上田市政が誕生して真っ先に直面したのは未だに未解決の「新興跡地」問題だった。

 

 「由緒あるこの土地をふたたび、市民の手に」―。当時、市民の関心事はまちの中心部に位置する旧新興製作所跡地(花巻城址)の行方だった。「新しい風」を標榜して、さっそうと登場した新市長に多くの市民は年来の悲願を託した。法律も味方してくれそうだった。適用法の「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)にはこう規定されていた。「公有地の拡大の計画的な推進を図り、もって地域の秩序ある整備と公共の福祉の増進に資することを目的とする」―。まちづくりを推進するため、当該自治体に土地の優先取得権を与えていたのである。

 

 「多額の費用がかかるため、当市がただちに当該土地全部を取得するのは無理。利用目的がはっきりしない案件に貴重な税金を投入することはできない」―。その年のクリスマスイブ、市民はこんな縁起でもないプレゼントに腰を抜かした。当時の譲渡価格はわずか百万円だったが、建物の解体費用に莫大な費用が見積もられていた。当該跡地が立地適正化計画(都市機能誘導区域)の適用外で、国の優遇措置を受けられないというのが取得断念の真相だったことが後で分かった。あれから早や10年、まちのど真ん中にはいまも瓦礫(がれき)の荒野と化した廃墟が無惨な姿をさらし続けている。

 

 「絵に描いた餅を示すことはしない」―。上田市長は「駅橋上化(東西自由通路)」事業に際し、その将来ビジョンを示すことをかたくなに拒み続けた。「国の有利な融資制度を利用して、いま出来ることをやるのが首長に課せられた使命だ。評価は将来世代に委ねるべきだ」という論理は一面、その通りであろう。しかし、私には病院の移転新築に当たって、例えば「交流人口80万人」などという“大風呂敷”(つまりは「絵に描いた餅」)を広げ過ぎたことに懲(こ)りたからだろうと勝手に推測している。そもそも、グランドデザイン(青写真)の伴わない公共事業には”眉唾もの”が多いことは過去の事例が教えている。

 

 “城跡エレジー”(花巻城哀歌)にむせび泣いているうちにふと、こんな気持ちにさせられた。「私たち市民は結局、上田“迷走劇”という自作自演に踊らされてきただけではなかったのか」―。ひと言でいうと、その「詐術」(ウソ)にだまされたということである。

 

 

 

 

 

(写真は構造物の一部が放置されたままの新興跡地。この一角に一時期、猛毒のPCBが不法に保管されていた=花巻市御田屋町で)

 

 

 

 

<「詐術」の事例研究…新図書館立地の“ウソ”>

 

 

●「(町なか=中心拠点を維持・存続していくために)生涯学園都市会館(まなび学園)周辺への図書館(複合)の移転・整備事業」(花巻市立地適正化計画、2016年6月)

●「(立地)候補地を数箇所選定した上で、基本計画において場所を定める」(新花巻図書館整備基本構想、2017年8月)

●「JR花巻駅前のスポーツ用品店用地(JR所有)に50年間の定期借地権を設定した『賃貸住宅付き図書館』構想が突然、公表」(「新花巻図書館複合施設整備事業構想」、2020年1月。同年11月に賃貸住宅付きの部分は撤回)

●「JR花巻駅前のスポーツ用品店用地を第1候補とし、土地取得交渉に入る」(市長行政報告、2022年9月)

 

 新図書館の立地場所が当初の「まなび学園周辺(病院跡地を含む)」から一転、「JR花巻駅前」に変更された経緯について、当局側からの説明は一切ない。この闇の部分にこそ、上田流「詐術」(ウソ)が隠されている。

 

 そのウソを読み解くヒント~①花巻駅橋上化と新図書館の駅前立地に要する総事業費は合わせてざっと、100億円と見積もられている。だから当然、”利権”が群がる。この二つの事業を受注できるのはJR側が指名する市内の有力企業11社に限定されており、勢い「利害」関係が先行する、②さらに、この二つの事業は表向きは「別物(の事業)」と言われてきたが、実際は秘密裏に「ワンセット」事業として、構想されてきた。駅前の「賑わい」創出を旗印に掲げる上田市政にとっては、そのどちらが欠けてもそれが達成できないことは目に見えているからである。

 

 同上ブログで言及したように、上田市長自らが駅橋上化についての将来ビジョンを示すことを拒んでいる。というより、出来ないのである。両輪がなければ、車は前に進めない。両翼がなければ、飛行機は墜落するー。つまり、図書館とセットでなければ、二つの事業の相乗効果による「賑わい」創出が水泡に帰すことは自身が一番、分かっているはずである。それゆえに今度は「若い世代は駅前を希望している」などという”世論誘導”をしながら、駅前立地を強行しようというハラのように見える。

 

 8年前、「花巻市立地適正化計画」で新図書館の立地場所として明記された「まなび学園周辺」には広大な敷地を有する旧総合花巻病院跡地がある。病棟群が撤去された跡地こそが「文教地区」にふさわしいという市民の声がわき起こったのは当然である。さらに、この年度末に当該跡地は正式に「市有地」として登録された。

 

 それなのになぜ、「駅前立地」にこだわり続けるのか。答えは簡単。つまりは最初から、JR主導型の”出来レース”だったというのが、上田流「詐術」のからくりである。「駅前活性化」(表)と「利権」(裏)…表裏をなすコインはかくして、素知らぬ顔で市中に出回ることになる。「ウソから出たマコト」にだまされてはならない。(詳細な経緯については、当ブログの関係記事を参照)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「非公開」議員説明会にメディアからも厳しい批判…「二元代表制」を危ぶむ声も~市民の「知る権利」はどこに!!??

  • 「非公開」議員説明会にメディアからも厳しい批判…「二元代表制」を危ぶむ声も~市民の「知る権利」はどこに!!??

 

 今月22日の花巻市議会臨時議会に先立つ議員説明会が「非公開」になったことについては26日付当ブログ(追記)で触れたが、その内容がひとりの議員の議会報告「てる省の市政ニュース」で明らかにされた。当局側の”秘密主義”に抵抗する形で、市民に対して情報公開してくれたことをありがたく思う。社民クラブ(社民党系=3人)に所属する照井省三議員で、案件となった総合花巻病院に対する財政支援の資料や質疑などが詳しく掲載されている(コメント欄に裏面)

 

 これを見ると、病院側の経営状況が予想以上に悪化していることが分かる。このため、当局側が市民感情に配慮して「非公開」にしたものと思われる。しかし、市政運営はあくまで、市民に開かれたものでなければならない。とりわけ、予算(税金)をめぐる審議にはその”負の部分”を含めた透明性こそが求められる。取材陣も締め出すという異常事態に上田「強権」支配―ここに極まれりといった感がある。

 

 ところで、照井議員は上田東一市長の後援会事務局長の肩書も持っている。「あら不思議」と思ったのは、その肩書の所以(ゆえん)である。もしかして、ご乱心の殿に対する”反旗”!?とりあえず、密室政治の一端を垣間見せてくれたことには謝々。とはいえ、市民参画を声高に叫ぶ議会側が「非公開」の軍門に下ったとすれば……市民に背を向けたという意味でことは重大である。非公開の「是非」論争につながることを願いたい。

 

 

 

 

《追記ー1》~「記者の目」の鋭い視点

 

 

  今回の総合花巻病院への財政支援について、岩手日報花巻支局の山本直樹記者がコラム「記者の目」(3月29日付)で、当局側の議会無視の姿勢を厳しく批判した。ということは「無視された」議会側のあり方にも一石を投じたということである。つまり、「二元代表制」の危機に対する警告でもある。以下にその部分を転載させていただく。

 

 「…急転直下の臨時議会前、内容が告知されないまま開かれた市議会議員説明会は非公開。密室で議論がほぼ尽くされたのか、その後の議会は、淡々とした説明になった。24年度は、長年懸案とされてきた新図書館建設候補地の選考について重要局面を迎える。今回の市当局の対応は、市政課題への姿勢に疑問を残した。財源を生かした大胆な政策は必要だが、市民への説明責任を怠ってはならない」

 

 

《追記―2》~議員説明会の文書開示を請求

 

 

  本日(29日)付で、総合花巻病院に対する財政支援に関わる議員説明会(3月22日開催)に提出された説明資料と会議録の写し。「非公開」という理由で文書開示ができないという場合は、その「非公開」の理由と「公開ー非公開」の基準の根拠の明示を求める―という内容の行政文書開示請求を当局側に提出した。

 

 

 

《追記―3》~花巻市議会基本条例(平成22年6月制定)をおさらいしよう

 

 

(議会の活動原則=第4条)

1、議会は、市政の監視及び評価並びに政策立案及び政策提言を行う機能が十分発揮 できるよう、円滑かつ効率的な運営に努めなければならない。

2 、議会は、公正性及び透明性を確保し、市民に開かれた運営に努めなければならない。

3、 議会は、市民の多様な意見を的確に把握し、市政に反映させるための運営に努めなければならない。

 

(議員の活動原則=第5条)

1、議員は、議会が言論の場であること及び合議制の機関であることを認識し、議員相互間の自由な討議を尊重しなければならない。

2、 議員は、市政全般についての課題及び市民の意見、要望等を的確に把握するとともに、 自己の能力を高める不断の研さんに努め、市民の代表としての自覚を持って活動をしなければならない。

3、 議員は、議会の構成員として、市民全体の福祉の向上を目指して活動しなければなら ない。

 

 

 

《追記―4》~花巻市議会議員政治倫理要綱(平成26年3月告示)をおさらいしよう

 

 

(政治倫理基準=第3条)

議員は、次に掲げる政治倫理基準を遵守しなければならない。

 

(1) 市民の代表者として、その品位と名誉を損なう一切の行為を慎み、その職務に関し不正の疑惑をもたれるおそれのある行為をしないこと。

(2) 市民の代表者として、常にその人格と倫理の向上に努め、その権限又は地位を利用して、不正に影響力を行使し、又は金品を授受しないこと。

 

2 議員は、政治倫理基準に反する事実があるとの疑惑をもたれたときは、自ら誠実な態度をもって疑惑の解明に当たるとともに、その責任を明らかにしなければならない

 

 

 

 

 

 

 

 

どうなる?「いのちと健康」(中)…強引な行政主導と泡沫(うたかた)の夢!!??

  • どうなる?「いのちと健康」(中)…強引な行政主導と泡沫(うたかた)の夢!!??

 

 「総合花巻病院の移転整備に向けた検討が始まっています」(平成27年11月15日発行)―。足掛け10年ほども前の「広報はなまき」の1面にこんな大見出しがおどった。「移転整備検討委員会」(13人)の筆頭には上田東一市長の名前も。次号(12月1日発行)には1面と2面のぶち抜きで、完成イメージ図付きの「移転整備基本構想(案)」(以下「旧構想案」)がでかでかと載った。寝耳に水の市民や議員の間には「病院移転の既成事実化がねらいではないのか」という批判が巻き起こった。上田“迷走劇”はこうして、始まった。

 

 旧構想案(平成27年11月策定)は「(病院側の)施設の老朽化が進んでいることから、厚生病院跡地への建て替えを検討している」とした上で、高らかにこう謳っていた。「新病院や高等看護専門学校、認可保育所などの複合的機能の展開により、移転地において年間80万人が行き交うにぎわいを創出。市中心部における地域活性化につなげていきます」―。総事業費は約99億円で、うち当市への補助金要請は約30億円。過去最大級のこの公金支出をめぐって、市民の意見は二分された。

 

 「病院側からの要請なのか、それとも行政主導なのか」―。このプロジェクトの是非をめぐる論争のさ中、旧構想案が公表された直後の議員説明会で病院側から突然、“爆弾発言”が飛び出した。「移転整備の打診は市側からあった。こうした打診がなかったら、現在地で医療業務を続ける予定だった。お膳立ては全部、行政側が用意した。病院としてそれに乗っただけだ」―

 

 取材を進めるうちに病院側ではすでに、病棟の耐震工事や地下水利用工事、電子カルテなど各種システム改善、非常用発電設備の設置などの長寿命化に備えた準備を進めていたことが分かつた。さらに、前市政時代の平成22年度には耐震化補助金として2,100万円を支出していた。こうした各種補助金の返還免除という“禁じ手”まで駆使した「移転・新築」構想は早くも1年余りで座礁に乗り上げた。資金繰りが追い付かなかったためである。 

 

 当初の旧構想案に変わって、登場したのが「移転新築整備基本構想」(平成28年12月策定=以下「新構想案」)である。「どうなる?(上)」で詳述したように、新構想案では総事業費が約86億9千万円に圧縮され、制度補助金の負担分を含めた市側の補助金も19億7500万円に減額された。その結果、「80万人」の交流人口の創出は泡沫の夢と消え、医療の生命線である診療科目も小児科や皮膚科、眼科などの開設が見送られた。さらに、呼び物だった多目的ホール(234席)やオーガニックレストランの設置も計画倒れに終わった。“助産所”事件と呼ばれる出来事があった。 

 

 「助産所は2階建て(延べ154平方メートル)で1日2人の利用者に対し、産婦人科医や助産師など5人が対応に当たる」―。旧構想案でこう明記されていた記述が新構想案ではそっくり削除され、こう書き替えられた。「将来的に産婦人科医師や助産師の体制が整った際には出産の受け入れを検討する。それまでは助産師外来を開設し、出産前後の妊婦指導を行えるようにし、同時に産後ケア施設の開設も検討する」―。新病院のオープンから丸4年。上記の“公約”はすべて反故(ほご)にされ、「出産」受難は解消されないまま、現在に至っている。

 

 「一方では医師の確保は大変、至難のわざでございます」(平成27年3月定例会会議録)―。病院の「移転・新築」問題に当初から携わった当時の佐々木忍健康福祉部長(のちに副市長、その後退職)は在任中、こう言い続けた。「仏作って、魂入れず:」…今回の財政支援の要因は元を正せば、「魂(医療本体)より仏(ハコモノ)」を優先させた上田市政の強引な政治手法に起因すると言わざるを得ない。22日開催の市議会臨時会で上田市長は今回の事態の責任をすべて、病院側に転嫁(てんか)する発言を繰り返した。果たして、そうなのか。胸に手を当てて考えてほしいと思う。思い当たるフシがあるのではないか。

 

 

 

(写真は総合花巻病院の受付ロビー。財政支援のニュースに不安を訴える人も=花巻市御田屋町で)

 

 

 

《追記》~議員説明会が非公開に!?

 

 総合花巻病院に対する財政支援を審議する臨時会に先立ち、22日午前9時から議員説明会が開催されたことが25日付市HPで告知された。「本説明会は非公開のため、説明資料及び会議録は掲載しません」とあった。よほど、市民に知られたくないことでもあるのか。それにしても、選挙を通じて市民の負託を受けたはずの市議会側に“かん口令”を敷くとは。こんな”秘密主義”に抗議をしない議会も議会。あるベテラン議員がポロリともらした。「まるで、”ガス抜き”みたいな雰囲気だった」。2024年3月22日ー相互に監視し合うという「二元代表制」はここに死した。自らの使命を放棄したという意味では、ともに「自死」である。