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「失われた10年」…上田市政と凡庸なる悪、そして忖度!!??

  • 「失われた10年」…上田市政と凡庸なる悪、そして忖度!!??

 

 

 最近、「上田市政」と一括(くく)りにすることに抵抗を覚えるようになった。『<悪の凡庸さ>を問い直す』(大月書店)と題する本を読んだせいかもしれない。人心を引き付けるこの魅惑的なキャッチフレーズの生みの親はドイツの哲学者、ハンナ・アーレント。先の大戦でユダヤ人の大量虐殺に関わったナチス親衛隊の高官、アイヒマンが「上からの命令に従っただけだ」と語ったことに関連し、アーレントはこう述べた。「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました」(『エルサレムのアイヒマン』)

 

 「悪の凡庸(ぼんよう)さ」はアーレントの意図とは別にある種の“免罪符”の装いを保ちつつ、今の世にもひょいと顔を出すことがある。例えば、自殺者まで出した「森友学園」問題で、当時の財務省理財局長は「私は組織の歯車のひとつに過ぎなかった」と自己保身の弁明を繰り返した。果たしてそうなのか。本書を乱暴に一括りするとこうなる。総統・ヒトラーひとりで、ナチスドイツを統括することは可能だったのか、否、実はアイヒマンのような取り巻き連中の確信犯的な“意志”(例えば、出世欲)がナチスという堅固な組織を底支えしたのではないか。単なる「歯車」論では片付けられないのではないか。そして、現代風に言えば「悪の凡庸さ」は「忖度(そんたく)」と表裏一体の関係にあるのではないのか…

 

 「失われた10年」とでも呼びたくなる「上田市政」の失政の数々は”上田東一”という一個人の責任にすべて帰してよいのだろうか。その周辺に現代の「アイヒマン」たちはいないのか…。本書を読みながら、ふと身近な行政の姿がそれに重なった。上田市長は地元の高校を卒業後、東大法学部を出て大手商社の三井物産に就職。その後10年ほど、アメリカの大手企業で法務関係の仕事に従事した後、家業の廃棄物処理会社を継ぐため、2005(平成17)年にふるさと花巻に戻った。市長に就任したのは約9年後の2014(平成26)年で、この空白の期間に行政経験を積んだという話は聞かない。

 

 今年3月、総合花巻病院の経営不安が表面化し、市側が約5億円の財政支援を決定した。実は上田市長が最初に手掛けたのがこの病院の移転・新築事業だった。一方いまなお迷走を続ける、もうひとつの大プロジェクトである新図書館の立地場所の選定を巡っては「中立的なファシリテーター」なる得体の知れない言葉が突然、ひとり歩きを始めている。

 

 金融畑を歩いてきた新市長とはいえ、地方自治の現場は初体験であり、足元の事情にも疎(うと)かったにちがいない。ここに登場するのが「総統の意を体して働く」というアイヒマン的な人物たちである。「他人の内心を推し量り、その意図を汲んで行動する、ある意味で主体的な行為」―という本書の解説を借用すれば、こんな構図が浮かんでくる。

 

 市長の「意を体する」形で用意されたメニューこそが病院や図書館ではなかったのか。補助金行政にどっぷりつかった「市長とその取り巻き」による市政運営はこうして、始まったのではなかったのか。あれから早や10年―。“やらせ要請”が取り沙汰された駅橋上化(東西自由通路)と利権が噂(うわさ)される新図書館建設を含め、「三大プロジェクト」と呼ばれるこれらの事業は一見、”上田案件”とも見えるが、その実は佞臣(ねいしん=和製アイヒマン)から市長への“上納品”(貢物)の色合いが強いのはそのせいである。“パワハラ”疑惑がささやかれる上田市長の個人的な“資質”が後押ししているにせよ、その背景に浮かび上がるのは見事なまでの「忖度」の構図である。そこにはもはや「市民への目線」のひとかけらも存在しない。

 

 アイヒマンを扱ったドキュメンタリー映画「スペシャリストー自覚なき殺戮者」(2000年公開)について、当時の朝日新聞「天声人語」(同年3月5日付)はこう書いている。「服従は、個人にとって常に不本意であるとは限らない。他人の言うなりにやり過ごす日常は、一面で気楽であり、時には甘美ですらある。何も考えないですむし、いっさいの責任から逃れられるようにも思えるから…」

 

 

 

 

 

(写真は旧料亭「まん福」跡地。「ヒルズエリア」と名づけられた跡地には電気やガス、水道はもとより専用トイレや駐車場もない。こんな“無用の長物”(上田失政)の爪痕は市内のあちこちに=花巻市吹張町で)

 

 

<註>~佞臣(ねいしん)とは!?

 

 新渡戸稲造は代表作『武士道』』の中でこう語っている。「おのれの良心を主君の気まぐれや酔狂、思いつきなどの犠牲(いけにえ)にするものに対しては、武士道の評価はきわめて厳しかった。そのような者は『佞臣』すなわち無節操なへつらいをもって、主君の機嫌をとる者、あるいは『寵臣』(ちょうしん)すなわち奴隷のごとき追従の手段を弄して、主君の意を迎えようとする者として軽蔑された」(奈良本辰也・訳解説)

 

 上田市長は初当選した直後の2014年3月定例会で私の質問に対し、尊敬する人物のひとりに新渡戸の名前を挙げていた。

 

ついに、プッツンか…主客転倒の図書館”迷走劇”~目に余るメディアの翼賛化、あぁ断末魔!!??

  • ついに、プッツンか…主客転倒の図書館”迷走劇”~目に余るメディアの翼賛化、あぁ断末魔!!??

 

 「ギブアップしたんではないか。余りにも無責任だ」、「もう、住民投票でもして、決着つけるしかないんじゃないか」―。ふだんはほとんど「シャンシャン」で終わる新花巻図書館整備基本計画試案検討会議だが、14日開催の会場は大荒れに荒れた。この日、市側は立地場所の意見集約の方法について、第三者に委託する「公募型プロポーザル」方式を提案。6月定例市議会に約1,000万円の予算を計上する考えを示した。語気鋭い発言が飛び交ったのはこの直後だった(この日の会議資料などは5月17日付のHP上に掲載)

 

 元市職員で図書館関連の勤務経験のある委員は吐き捨てるように言った。「職員としての誇りはどこに行ったのか。第三者に丸投げするとは責任放棄もはなはだしい。撤回せよ」。別の委員が引き取る形で続けた。「(二つの立地候補地の)比較調査の結果が出る10月中旬にイエスかノーか二者択一の選択を市民に求めたらどうか。多数決が究極の民主主義だ」―。菅野圭生涯学習部長と市川清志前部長がマイクを交換しながら、弁明を繰り返すのを聞きながら、私は「そもそも、駅前立地を第1候補にしたのは市側ではなかったのか」と“迷走劇”の筋書きをなぞっていた。

 

 この日の会議ではその有意性が疑われる「高校生アンケート」(4月16日付と5月10日付当ブログに詳細)ついて、実施主体の「HANAMAKI Book Marks」の照井春風代表が「集計方法にミスがあったが、駅前立地を誘導するためのアンケート調査ではないことだけは理解してほしい」と発言した。また、鼻白む思いがした。「そもそも、高校生など若者世代が駅前立地を希望している」とうそぶいていたのは市側ではなかったのか。一方で、高校生が実際に希望しているのは「駅前」図書館ではなく、それに付随する勉強スペースやカフェなどの“空間”だということが今回のアンケート調査で明らかになったのではなかったのか。その意味では、照井さんは高校生の”本音”を引き出してくれた陰の功労者と言ってもいいのではないか…

 

 「ニワトリが先か、タマゴが先か」―。新花巻図書館の“迷走劇”の幕開けは4年前にさかのぼる。2020年1月29日、まだ正月気分が覚めやらないこの日、住宅付き図書館の駅前立地という“青天の霹靂(へきれき)”が天から降ってきた。このトップダウン構想はその年の11月、あえなく潰(つい)えたが、それに代わって登場したのが若者世代の「駅前立地」待望論だった。“住宅付き”から、今度は”カフェ付き“へー。まるで、図書館はおまけの付録みたいなふざけた「図書館」論議のツケが今、目の前に現出しつつある。この日の「プロポーザル」なる提案によって、この“迷走劇”の終幕も近いような気がする。冒頭の「ブチ切れ」発言がそのことを如実に物語っている。あぁ、それなのに…。ここに至ってもなお「駅前」にこだわる、その面妖(めんよう)たるや、あな恐ろしや!!??

 

 

 市の関係職員よ、まだ遅くはない。正気を取り戻せ。そして、「駅前」立地の”真実”を市民の前に明らかにせよ。なぜ、駅前なのかと!!「まなび学園周辺」(平成28年の花巻市立地適正化計画)→「候補地を数箇所選定」(平成29年の新花巻図書館整備基本構想)→「JR花巻駅前を第1候補に」(令和4年9月定例市議会)…この迷走劇の舞台裏を!!!

 

 

 

 

(写真は激高した雰囲気になった試案検討会議。後方は傍聴席=5月14日午後、花巻市の「まなび学園」で)

 

 

 

<註>~みんなで「市民参画条例」をおさらいしましょう!

 

 花巻市市民参画条例(令和5年12月7日制定)には市民参画の手法として、以下の方法を定めている。なのに、まだ第三者の手を借りようとしているのか?

 

第6条 市民参画の方法は、次の各号に掲げるものとし、対象となる計画又は条例等に応じて2以上の方法により行うものとします。

(1) 意向調査の実施

(2) パブリックコメントの実施

(3) 意見交換会の開催

(4) ワークショップの実施

(5) 審議会その他の附属機関における委員の公募

(6) 前各号に掲げるもののほか適切と判断される方法

 

 

 

 

《追記ー1》~臭(くさ)いものに蓋(ふた)!!??

 

 「再建に向けた議論が未成熟な状態で、当該情報が公にされた場合は、誤解や憶測に基づき、混乱を生じさせるなど総合花巻病院の再建に悪影響を与えることが懸念された」―。同病院の財政支援に関わる行政文書の「非開示と不存在」の理由を問うた公開質問状(4月19日付、詳細は同日付当ブログ参照)に対し、冒頭のような回答(主旨)が5月10日付で寄せられた。

 

 えっ、逆ではないのかと思った。こうした“秘密主義”こそが、納税者である市民の「誤解や憶測」を膨らませる結果になっているのではないか。現に私の周辺では「市民病院を標榜(ひょうぼう)するのなら、もっと透明であるべき。なにか表に出せないことでもあるのではないか」といった不信感が渦巻いている。さらには、病院運営にあってはならない職場環境の悪化や給与関係のずさんさなど“内部告発”めいた訴えも届いている。そうした“闇の構図”については随時、報告したい。

 

 

 

《追記ー2》~”二人羽織”とは言い得て妙!?

 

 「文化陥没自治体花巻」を名乗る市民から、文中の新旧生涯学習部長の振る舞いについて、「いわゆる”二人羽織(ににんばおり)”ですね」というコメントが届いた。二人でひとりの振りをする余興のことで、そういえば図書館”迷走劇”の陰の主役はこの二人だと合点がいった。

 

 

 

《追記―3》~狛江市議会、図書館条例を否決

 

 

 東京都の狛江市議会は15日の臨時会で、新図書館整備計画の賛否を問う住民投票条例案について、反対16、賛成5の反対多数で否決した。条例制定を直接請求した市民団体のメンバーは「結果は残念だが、より良い街を目指す市民の熱意を感じた。今後も市民運動に取り組みたい」と話した。

 

 市中央図書館は1977年開館の狛江市民センター内にある。市は約300メートル南東の市有地に新図書館を建設し、市民センターを改修した上で子ども向け図書コーナーを残すことを計画。条例案は中央図書館を「分割・移転」するか、「現在地で拡充」するかを住民投票で選ぶ内容で、採決では自民、公明両会派の議員らが反対し、共産会派の議員らが賛成した。

 

 市民団体「こまえ図書館住民投票の会」は4月、4060筆の有効署名を添えて松原俊雄市長に条例制定を直接請求。松原市長は「『現在地で拡充』は多額の財政負担が生じることなどから実現が難しく、住民投票に意義を見いだし難い」との反対意見を付けて条例案を提出していた(16日付「東京新聞」電子版)

 

 

《追記―4》~“大政翼賛”新聞!!!???

 

 「(新図書館の)建設場所を巡っては、各種団体や高校生を中心にJR花巻駅前のスポーツ用品店敷地を推す意見が多い一方、もう一つの候補地である総合花巻病院跡地を希望する意見もある」―。耳だこになっている当局答弁をそのまま、口(耳?)移ししたような文章が5月16日付の地元紙「岩手日日新聞」の一面に躍っていた。メディアの翼賛化〈体制順応=いわゆる「御用新聞」化〉が進んでいるとは知っていたが、ここまで酷いとは!!4月16日付と5月10日付の当ブログをもう一度、お読みいただきたい。

 

 

 

《追記―5》~頭隠して、尻隠さず…図書館計画室の大チョンボ~「他意」は大あり!!??

 

 上掲の「試案検討会議」の委員数は現在20人で、「イーハトーブ図書館をつくる会」と「HANAMAKI Book Marks」の2団体は前回に引き続き、「設置要綱」(第6条第3項)の規定により、いわゆる「オブザーバー」として参加した。前者の団体は発足した昨年以降、正式な委員登録を要求してきたが、市図書館計画室側は「そのためには条例上、議会の議決が必要。3月議会まで待ってほしい」と主張してきたが、今回も委員の資格はないまま。担当者は「とにかく参加して、意見をいただくことを優先した。結果的に議会手続きを怠ったのは事実だが、他意はない」と弁明に大わらわ。超鈍行の「新花巻図書館」号は迷走の末に脱線寸前。

 

 

 

 

 

有意性が疑われる「図書館アンケート」…若者世代の「駅前」待望論が破綻!!??

  • 有意性が疑われる「図書館アンケート」…若者世代の「駅前」待望論が破綻!!??

 

 「新花巻図書館の建設場所については、市民の意見の集約ができていない中で、アンケートなどによる多数決で決めるのではなく、話し合いによる意見の集約に努めていく必要がある」―。市川清志生涯学習部長(当時)は令和5年3月定例会で、羽山るみ子議員(はなまき市民クラブ)の質問に対し、こう答弁した。そうした中、若者グループが高校生を対象に行った「図書館アンケート」が今月14日開催の「新花巻図書館整備基本計画試案検討会議」の場に討議資料として提出されることが分かった。当局側のこの発言との整合性は一体、どこに…

 

 一方、このアンケート調査自体(4月16日付当ブログ参照)が統計学上の原則を逸脱した恣意的な内容になっており、公正性が担保されるべき数値からはほど遠い結果になっていることも明らかになった。通常、この種の統計調査を実施する場合、集団の全員を対象にする「全数調査」とその一部を対象とする「標本調査」とがある。いわゆる“くじ引き”といわれる「無作為抽出法」などの後者が一般的な手法として知られている。今回の「図書館アンケート」は市内の全6校を対象にして行われたが、集計が可能な範囲内で得られた回答は4校の924人に止まり、残り2校は結果的に調査対象から除外された形になった。つまり、「全数」と「標本」という二大原則のどちらも踏まえない、単なる“ご意見箱”のレベルだったことになる。

 

 調査はQRコードからの選択や記述式で回答を求める手法になっており、例えば希望する立地場所については「花巻駅前」が694人(75・1%)で、「まなび学園周辺(病院跡地を含む)」の68人(7・4%)を大きく上回った。しかし、回答者のうち電車通学している実数把握が抜けているほか、図書館本体への関心度合いを問う設問ではなく、「飲食、勉強、おしゃべり」などその機能への期待を引き出すような問いかけになっていることからもその恣意性がうかがわれる。これでは主客がまるで逆さまである。

 

 「駅前か病院跡地か」―。市民を二分する形の“立地論争”が高まる中、新図書館の建設計画について「知っている」と回答したのはわずか254人(27・5%)にとどまり、7割以上の670人(72・5%)がその計画自体を「知らない」と答えた。このことから、今回のアンケート調査はそもそも「図書館とは何か」という本質論に踏み込む内容にはなっていなかったことが分かる。逆に言えば、高校生が抱く“図書館像”が初めて、正直な本音として吐露されたとみるべきかもしれない。

 

 「駅前」立地を強力に進める市側はこれまで、高校生など若者世代の「駅前」待望論を“錦の御旗”みたいに掲げてきただけに今回の当事者からの想定外の“反応”をどう受けとめるのか…。調査を実施した若者グループ「HANAMAKI Book Marks」は統計集計上の不備を認めているが、その一方で図らずも今を生きる生身の“若者像”を浮き彫りにしてくれたという点ではその労を多としたい。「試案検討会議」での議論の行方が注目される。

 
 
 
 
(写真は高校生アンケートの集計数字の一部)
 
 

 

ナシのつぶての公開質問状…地元紙が市の“秘密主義”を痛烈に批判!!??

  • ナシのつぶての公開質問状…地元紙が市の“秘密主義”を痛烈に批判!!??

 

 総合花巻病院に対する5億円にのぼる財政支援について、その不透明性を問いただすための「公開質問状」を4月19日付で市側に提出していたが、回答を求めた同月30日を1週間すぎた5月7日現在(閉庁時間午後5時15分)、何の連絡もない。たまたま、この日の地元紙「岩手日報」の一面トップに「今秋の再生計画焦点/市が果たす責任重く」という大見出しが躍り、市民不在の市側の対応に手厳しい批判を浴びせた(コメント欄に記事の全文を転載)

 

 以下に私の公開質問状の趣旨を再掲し、辛抱強く市側の出方を見守りたい。なお、4月4日付で別途、財政支援にかかる協定書などの文書開示請求をしていたが、これについては開示決定の期限を45日間延長し、5月31日とする旨の文書通知がこの日、郵送で届いた。

 

 

 今般、公益財団法人「総合花巻病院」に対する5億円の財政支援が行われたが、その際の議員説明会(3月22日開催)が「非公開」とされた。このため、納税者に対して当然保証されるべき「支援の経緯」を知る機会を一方的に奪われた。この件に関し3月29日付で、①議員説明会に提出された資料の開示、②議員説明会の会議録と「公開―非公開」の基準の根拠を示す文書の開示を求めたが、4月12日付「通知」によって、①は非開示、②は不存在との回答が寄せられた。よって、以下の諸点についての見解を伺う。回答は文書でもって、2024年4月30日までとする(4月19日付当ブログ参照)

 

 

 

 

(写真は語気を強めた市政批判を一面トップに掲載した岩手日報)

 

 

私論「まるごと賢治」…「美代子、あれは詩人だ。石を投げなさい」

  • 私論「まるごと賢治」…「美代子、あれは詩人だ。石を投げなさい」

 

 「(宮沢賢治ばやりを批判し、朗読会ブームについて)詩にとって、朗読は自殺行為だ。共感・理解されるだけの方が気持ち悪いかもしれない。『読みたくなかった』と思われるくらいの何かを残したい」(2月21日付「朝日新聞」)―。多様な芸術領域に足跡を残した詩人、大岡信をたたえる「大岡信賞」の第5回受賞者に決まった現代詩作家、荒川洋治さん(74)が激越な賢治批判者だと知った。”賢治教”の信者ではないが、人並みの愛好者にとってはすわっ、一大事。さっそく、その原典の詩集を古書店に求めた。若干、旧聞に属すが、連休中の話題づくりにどうぞ…

 

 『坑夫トッチルは電気をつけた』(1994年10月刊)―。風変わりなタイトルの詩集の「美代子、石を投げなさい」という一編にその批判の一端が載っていた。「宮沢賢治論が/ばかに多い/腐るほど多い/研究には都合がいい/それだけのことだ…」―。いきなりのパンチにちょっと、引けた。「社会と歴史と現在を文学で独自につなぐ試み」と受賞理由にある。その難解な詩風に圧倒されながら、やっと巻末にたどり着くと、そこに一人の名前を発見した。「1995年3月17日、池袋にて。中里友豪」という書き込みがあった。念のため、インターネットで来歴を調べてみた。

 

 地元の「琉球新報」に中里さんの記事を見つけた。自分の不明を恥じた。「沖縄の琉球大学を卒業後、教師生活を経て、演劇集団『創造』の結成に参加。1998年、詩集『遠い風』で沖縄を代表する第21回山之口獏賞、2000年には戯曲『越境者』で第4回沖縄市戯曲大賞。2021年、84歳で病没」―。中里さんは「美代子、あれは詩人だ。石を投げなさい」という激しい言葉で結ばれるこの詩の何か所かに赤いボールペンで棒線を引いていた。たとえば、こんな個所に…

 

 「宮澤賢治よ/知っているか/石ひとつ投げられない/偽善の牙の人々が/きみのことを/書いている/読んでいる/窓の光を締め出し 相談さえしている/きみに石ひとつ投げられない人々が/きれいな顔をして きみを語るのだ…」―。この棒線の部分にこそ、中里さんの共感の意思表示が込められているのだと思った。基地問題などに揺れる「沖縄の苦悩」と向き合い続けた詩人にとっての「賢治の違和」は私にも分かるような気がした。

 

 「賢治の強さ、やさしさ伝えよう」というテーマを掲げた第15回「雨ニモマケズ」朗読全国大会が今年1月13日、花巻市内で開かれた。先の大戦の際は国威高揚のために利用され、戦後になると今度は耐乏生活を強いるためのスローガンに採用された。そんな「雨ニモマケズ」を朗々と謳いあげる、その光景に私は何となく「不穏」な空気を感じてしまうのである。海の向うではいま、ウクライナとガザの悲劇が極限に近づきつつある。「弾ニモマケズ」といった無神経なギャグが私の身辺でささやかれたのは記憶に新しい。「賢治」という両刃の剣…

 

 それにしても「流転の妙」ということをつい、考えてしまう。約30年前、東京・池袋の書店で、この詩集を購入した中里さんが何かの事情で古書店に手放し、それをいま私が手にしている。かなりの年月を経て、表紙は破けたり、印刷がぼやけたりしている。それがまた,渺々(びょうびょう)たる流転の旅にピッタリで、楽しくなる。帯に「宮沢賢治賛美を痛烈に批判し、論議を呼んだ」の文字がかすかに読み取れる。さっそく、私論「まるごと賢治」の中の必読書に搭載することにした。

 

 そういえば、賢治が生前、法華経の布教に歩いた際、「この気ちがい」と近隣の住人たちから実際に石を投げつけられたというエピソードを聞いたことがある。

 

 

 

 

 

(写真は回りまわって、私の元にやってきた荒川さんの詩集)