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数字が物語る「上田失政」の計量的な分析…隣市・北上との差が歴然!!??

  • 数字が物語る「上田失政」の計量的な分析…隣市・北上との差が歴然!!??

 

 「東芝(現キオクシア)などの企業進出で北上市は、工業都市としての発展がほぼ約束されたと思う。しかし、せっかく文学的な風土があるにもかかわらず、その象徴になるものがない。“工業砂漠”だけにはしたくない」(昭和59年1月25日付「岩手日報」)―。当時、北上市長だった斎藤五郎さん(故人)が40年以上も前に語ったこの言葉が最近、つとに脳裏によみがえる。迷走を続ける新花巻図書館問題との気の遠くなるような乖離がその要因である。

 

 詩歌に特化した全国唯一の図書館である「日本現代詩歌文学館」は斎藤市長のこんな熱い思いが実って、平成2(1990)年5月20日、市制施行30周年事業として正式にオ-プンした。4年後には黒沢尻工業高校の移転に伴い、その跡地に自然美豊かな「詩歌の森公園」が誕生した。10数年の歳月と総工費約26億円をかけた大事業だった。「駅前か病院跡地か」―ある種、不毛な立地論争に揺れる上田市政と「工業砂漠」に文化の拠点を築き上げた斎藤市政。「哲学不在の行政は行政にあらず」…ふと、隣り合わせの行政の実態を数字を使って、読み解いてみたいと思った。

 

 私の手元に「岩手県市町村民経済計算年報」(令和6年5月、県ふるさと振興部)という統計資料がある。自治体ごとの総生産量や所得分配、人口動態などの指標をまとめたもので、期間は平成23年度から令和3年度までの10年間。そのうち、上田東一市長が初当選した平成26(2014)年の以降8年間の統計を比較してみた。「数字はウソをつかない」―。目をショボショボさせながらにらめっこするうちに、その目が点になった。花巻・北上両市の指標の比較は―

 

▼385,000円(令和3年度時点の所得格差)~市民一人当たりの年間所得額は当市が総額で2、519千円、北上市が2,904千円。ちなみに、上田市長の就任時に比べても80千円少なくなっている。また、この8年間、所得額が北上市を上回ったことは一度もない。

 

▼14・4(令和3年度時点の所得指数の比較)~県平均の指数を100として、当市が94,北上市が108・4。当市が100を上回ったことは一度もないのに対し、北上市は常時上回った指数を維持している。

 

▼990人(令和3年時点の人口動態比)~令和2年度までは当市が人口比で北上市を上回っていたが、令和3年度は北上市が93,249人となり、当市の92,259人を逆転、県内の第4位へ。その後も当市の人口は減り続け、市長就任時に98,456人を数えた人口は令和6年12月31日現在で89,656人と8,800人もの激減。上田市政下ではざっと、年間千人弱の減り幅になっている。

 

▼1、155人(令和4年時点での人口の自然減)~一方、県保健福祉年報(人口動態編)によると、出生数から死亡数を引いた人口の「自然減」は北上市が633人だったのに対し、当市は2倍近い1,155人。さらに令和4年時点の当市の死亡者数は1,609人で、北上市の1,133人に比べて476人も多かった。不気味な数値である。急激な人口減の背景にはこうした自然減が大きく作用しているのは明らかだが、周産期医療に対する多額な財政支援や総合花巻病院に対する巨額な赤字補てんなどが人口減に歯止めをかけるに至っていないことも逆に裏付けている。

 

 

▲9,060,330,000円(令和5年度の当市のふるさと納税の寄付額)

 

 上田市政は財政健全化の証として、事あるごとに「ふるさと納税」(イーハトーブ花巻応援寄付金)の好調さを挙げてきた。そして、令和5年度には全国市町村(1,735団体)の中で堂々の第13位にのし上がった。上田市長が留飲を下げたくなる気持ちは分からなくもないが、この巨額な寄付金は一体、どこへ。移住定住や子育て世代への支援を手厚くしているという割には人口減少への歯止め効果は見られず、市民生活の向上にはほとんど資していないということを上記の数値は如実に物語っている。

 

  いまは亡き斎藤・元北上市長が詩歌文学館の計画を議員全員協議会に提案した際、議場は割れるような拍手に包まれ、「市長、やり遂げろよ」という檄(げき)が飛び交ったという。新花巻図書館の立地場所を最終的に決める市議会3月定例会は2月26日に開会する。市民は固唾(かたず)を飲んで、その成り行きを見守っている。

 

 

 

 

(写真は県平均との所得格差を示す花巻・北上両市の棒グラフ)

 

 


《追記》~豪華絢爛にして百花繚乱!?

 

 「市民の暮らしを守る/多彩な支援策で/安心のまちづくり」―を旗印に掲げた令和7年度一般会計当初予算(案)が公表された。総額581億7,862万円で、前年度比5・5%の増。重点施策として「子ども・子育て応援プロジェクト」(88億3,152万円)と「花巻で暮らそうプロジェクト」(24億8,601万円)の実現を掲げ、人口減対策に重点を置いた内容になっている。大盤振る舞いは良しとするが、その実効性のほどは…。上記ブログのもうひとつの「数字」を重ね合わせると、ため息も。詳しくは以下から。

 

令和7年度一般会計予算等について_説明資料 (PDF 2.9MB)新しいウィンドウで開きます

 

 

 

「降格処分は無効」…花巻病院「訴訟」で、原告側が勝訴~司法が病院側の様々な不法行為を断罪!!??

  • 「降格処分は無効」…花巻病院「訴訟」で、原告側が勝訴~司法が病院側の様々な不法行為を断罪!!??

 

 公益財団法人「総合花巻病院」(大島俊克理事長)を相手取り、降格処分の無効などを求めていた民事訴訟について、盛岡地方裁判所花巻支部の平古場郁弥裁判長は7日、原告の訴えを認める判決を言い渡した。訴えていたのは同病院に勤務する臨床工学技士の吉田雅博さん(46)。訴状によると、吉田さんは2020(令和2)年2月1日付で、移転・新築前の同病院に臨床工学室技士長として採用されたが、2023(令和5)年2月1日付で、技士長から「主任級」の技士に降格された。提訴は同年5月30日付で、精神的な苦痛などに対する慰謝料を含め、総額1,160万円の賠償を求めていた。

 

 この日の判決で平古場裁判長は「技士長であることを確認する」として、降格処分の無効を言い渡した。さらに降格処分に伴い、管理職手当が月額3万円から1万円に減額されたことについては「減額分に年3%を加算して、支払うよう」―被告の病院側に命じた。慰謝料請求については減額になったが、名誉回復という点では完全勝訴と言える。判決後、吉田さんはこう語った。「孤独な戦いだったが、挫けないでここまで来れたのは、提訴を知った市民の皆さんやそっと、励ましの言葉を寄せてくれた同僚のおかげだったと感謝したい。『一隅を照らす』という言葉が好きだ。今回のささやかな戦いの成果が病院全体を照らしてほしい」―

 

 吉田さんは裁判に踏み切った当時の気持ちをこう語っていた。「解雇もほのめかされた。なかば“監禁状態”の中で無理やり、(懲戒処分の)同意書を書かされた。その時は恐怖心にかられたが、いのちに関わる医療の実態を闇に葬ってはならないと思い、裁判を決意した」―。ある時、「患者さんに安全で質の高い医療を提供するためには、医師と看護師との有効なコミュニケーションが必要だ」という趣旨の提言書を医療安全担当者の会議に提出した。病院側の態度が急変したのはこの直後だったという。

 

 証人尋問を傍聴した際、私は被告側の口裏を合わせたような、吉田さんに対する“人格攻撃”に唖然としたのを覚えている。いのちと健康を守るべきはずの医療現場で、モラルハザード(倫理崩壊)が蔓延している実態を目の当たりにしたからである。証人席に立つ吉田さんの後姿を見ながら、私はこの孤高の裁判を支えたもうひとつの“秘密”を思い出していた。ある時、吉田さんは独り言のようにつぶやいた。「孤独に耐えられなくなりそうな時は『夜と霧』を何回も読み返しました」。第2次世界大戦中、ナチスの強制収容所に収監された人たちの拘禁心理を描いたヴィクトール・フランクルの代表作(1946年)である。

 

 総合花巻病院は2020(令和2)年3月2日、現在地〈市内御田屋町〉に移転・新築した。総工費86億9千万円のうち、市側の補助金は19億7500万円で、病院側の自己資金はわずかに1億円だった。こんな綱渡りの経営が続いた結果、オープンからわずか4年余りで倒産の危機に見舞われ、昨年3月に市側から5億円、金融団側から6億円の計11億円の財政支援を受けた。その後、経営刷新やガバナンス(内部統制)の強化などを盛り込んだ「改定事業再生計画」を策定し、年度内をめどに「公益社団法人」への移行や人事の刷新などを行うことにしている。今回の訴訟によって、病院側の”医療崩壊”の一端が明らかになった。市や金融団など支援する側の監視強化が一層、求められることになる。

 

 病院側が判決を不服として、控訴するかどうかはまだ、わからない。しかし、倒産の土壇場まで追い詰められた病院側にいま求められるのは…「愛は人を癒(いや)し、誠(まこと)は病を治す」―という創設時の病訓の原点に立ち戻ることであろう。

 


 

 

(写真はオープンを前にした病院の全景。華やかな門出だったはずが…=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記》~驚くべき”人権侵害”の実態~判決文を入手!!??

 

 上記「吉田裁判」の判決文を13日に入手した。「改定事業再生計画」が大詰めを迎える中、まるで底なし沼のような病院内部の退廃ぶりに市民の中にはその先行きを不安視する声も出ている。

 

 判決理由の中で平古場郁弥裁判長は原告側の訴えの核心部分をほぼ認めたうえで、「本件降格処分は違法無効である」と断罪。さらに、原告側がけん責処分を受けた際、その旨を院内に掲示したことについては「本件けん責処分は違法無効であり、不法行為に該当する」としたうえで、「原告の社会的評価を低下させたものといえる。そのため本件掲示は原告の名誉を毀損(きそん)したものとして、不法行為に該当する」と明言している。

 

図書館立地の意見集約…「災害リスク」への不安の声が~建設場所の決定に影響か!!??

  • 図書館立地の意見集約…「災害リスク」への不安の声が~建設場所の決定に影響か!!??

 

 「駅前か病院跡地か」―。新花巻図書館の立地場所を話し合う対話型「市民会議」(75人で構成)の2回目までの中間報告がまとまった。「活性化」「文化歴史」「周辺環境」「アクセス」「防災」「安全」など11項目のキーワードごとに判定する手法で、双方のメリット・デメリットを比較検討した。第4回目となる2月15日の会議の結果を受けて、市側が最終的な立地場所を決定することになる。中間報告によると、双方の判定結果の上位3は以下の通りになっている(かっこ内の数字は発言件数)

 

<メリット>
 

・花巻駅前~①アクセス(73件)②周辺環境(32件)③活性化(21件)
・病院跡地~①周辺環境(41件)②連携(16件)、土地(16件)③駐車場(11)、費用(11)

 

<デメリット>
 

・花巻駅前~①周辺環境(33件)②土地(14件)③駐車場(9件)、費用(9件)
・病院跡地~①アクセス(53件)②安全(18件)③周辺環境(9件)

 

 

 「これって、商業施設かエンタメ施設を立地するためのアンケート調査ではないのか」―。この数値を見た瞬間、そう思った。たとえば、立地判定の決め手になっているキーワードのひとつが「アクセス」(駅近VS駅遠)。「駅前」立地のメリットの場合、そのアクセスの利便性を生かした「賑わい創出(活性化)」という発言が目立っている。一方、病院跡地のデメリットの筆頭もそのアクセスで、市民会議の参加者の判定基準が「足の便の良し悪し」に軸足が置かれていることが浮き彫りになった。

 

 総じて「図書館」立地とはかけ離れた論議に終始し、「(図書館は)人の集まるところに立地するのではなく、人を呼び寄せる立地空間こそが図書館である」―。こんな持論を持つ私にとっては何かハシゴを外されたような気分である。さらに、市民会議に実際に出席したのは第1回目が65人、第2回目が64人、第3回目はわずか57人に止まった。構成定数(75人)を大幅に下回る人数での判定が真に民意を反映するものだと、当局側は本気で思っているのだろうか。仮に“アリバイ作り”だとしても余りにも稚拙ではないか。さらにその一方では…

 

 「災害区域が近いので怖い」、「土砂(災害)の危険は本当にないのか」、「地盤沈下が不安」…。病院跡地のデメリットとして、その「安全性」に不安を訴える発言が18件に上ったことが分かった。きっかけは、当該図書館用地が急傾斜崩壊危険区域や土砂災害警戒区域などにすっぽり囲まれていることが比較調査報告書で明らかになったことだった。立地に伴う「メリット×デメリット」という次元以前の立地そのものの是非にもかかわりかねない“災害リスク”の表面化に市民は大きな戸惑いを見せている。なぜ、このタイミングなのか…

 

 この地には100年間の長きにわたって、市民のいのちと健康を守るための総合花巻病院の病棟群が建ち並んでいた。市側は「立地の安全性は担保されている」と言うが、市民の不安を払拭するためにも安全性を証明する科学的な根拠と病院経営が可能だったこれまでの経緯について、きちんと説明すべきである。そうでなくても、一部の議員が病院跡地へのネガティブキャンペーンの片棒を担ぐなど”世論誘導”の陰もちらつき始めている。「100年の計」とも言われる「知のインフラ」(公共図書館)の行く末の選択を誤ってはならない。

 

 上田東一市長肝いりの住宅付き図書館の「駅前」立地構想が降ってわいたのは、ちょうど5年前。定住促進と家賃収入を当てにした“儲かる図書館”が旗印だった。その同じ場所がいままた、立地論争の渦中にある。図書館に一家言を持つフランス文学者で思想家の内田樹さんのある講演録から、その一部を以下に引用する。

 

 「図書館の社会的有用性は来館者数とか貸出図書冊数とか、そういう数値によって考量されるべきだというのは、いかにも市場原理主義者が考えそうな話です。図書館はふつうの『店舗』とは異質な空間です。だから、来館者数が何倍増えたことは図書館の社会的有意性が何倍になったことであるというような推論をして怪しまないようなシンプルマインデット(単細胞的)な人たちには正直言って、図書館についてあれこれ言って欲しくない」―。まるで、上田市長を名指しした発言みたいに聞こえてくる。

 

 

 

 

(写真は立地場所のメリット・デメリットを話し合う若者世代=花巻市のまなび学園で。HP上に公開のニュースレターより)

 

 

 

《追記ー1》~新興跡地が「無主地」へ。最悪の場合、永遠の“塩漬け”状態に…さて、病院跡地の行く末は!!??

 

 

 5日付の市HP上に「旧新興製作所跡地」について、「所有者のメノアース株式会社の破産手続きが終了した」―という旨の告示が掲載された。ひと口で言えば、がれきが放置されたままになっている「新興跡地」が所有者のいない「無主地」となったということである。最悪の場合、かつて花巻城があった当該跡地は荒れ放題のまま、その無惨な姿をまちのど真ん中にさらし続けることになりかねない。

 

 当該跡地は「公有地の拡大の推進に関する法律」(公拡法)によって、市側には優先取得権が認められていたが、就任直後の上田東一市長は「利用目的のはっきりしない土地の取得はすべきでない」と拒否。この時の「不決断」が今回の結末を招いたと言っても過言ではない。一方で3億円以上の対価を払って取得した「病院跡地」の利活用については未だに明言していない。それどころが、新図書館の建設場所に関しては、市有地の病院跡地を差し置いて、「駅前」立地を第一候補に挙げている。上田市政の政策矛盾はこんな形で顕在化しつつある。詳しくは以下から。

 

旧新興製作所跡地の所有者であるメノアース株式会社の破産手続きが終了しました

 

 

 

《追記ー2》~「森友」公文書改ざん問題で、上告断念へ。当市も”黒塗り”解禁を!!??

 

 

 石破茂首相は6日、加藤勝信財務相、鈴木馨祐法相らと首相官邸で会談し、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省の公文書改ざん問題を巡り、文書不開示とした国の決定を取り消した大阪高裁判決を受け入れ、上告を断念するよう指示した。加藤氏が会談後、記者団に明らかにした。

 

 加藤氏は記者団に「誠心誠意職務に精励されていた方が亡くなられたことを考えれば、上告をせず判決を真摯(しんし)に受け入れるべきだと首相から指示があった」と語った。そのうえで「首相からの指示を踏まえ、判決の結論を受け入れることとする」と述べ、高裁判決を受け入れる考えを示した(6日付「毎日新聞」電子版)

 

 

 

 

 

日報“論壇”という偽善…ボツ2本にみるメディアの翼賛化!!??

  • 日報“論壇”という偽善…ボツ2本にみるメディアの翼賛化!!??

 

 「議論をたたかわせるために設けられた論争の場所」―。広辞苑などは「論壇」について、こう定義している。地元紙「岩手日報」にもそんな論争の場が設けられているが、新花巻図書館の立地問題に関する限り、採否の基準が一方に偏しているのではないかと危惧を抱いている。「駅前か病院跡地」という意見集約が大詰めを迎える中、今月5日付で私見を投稿したが、一応のタイムリミットである26日までに掲載されなかったので、不採用と判断した。

 

 さらに、2年以上も前の2022年10月10日付で新図書館問題に関する投稿をした際も結局、日の目を見ないまま現在に至っている。上掲の写真は当方の投稿を尻目に2023年3月31日付で掲載された論壇原稿で、「駅前」立地に賛同する内容になっている。議論をたたかわせることに背を向けたとたん、そこに待ち受けるのはメディアの死…翼賛化である。以下にボツ原稿を2本採録する。読者諸賢のご判断を仰ぎたい。

 

 

●2025年1月5日付投稿原稿

 

 

 「JR花巻駅前か旧総合花巻病院跡地か」―。新花巻図書館の立地場所をめぐって、10年越しの論争が続いているが、現在、計画が進められているJR花巻駅の橋上化(東西自由通路)と図書館とは実は通路でつながった「ワンセット」構想だったことが開示請求した行政文書から明らかになった。その二拓の意見集約をするための「対話型市民会議」がいま、大詰めを迎えている。開示文書は市側が「駅前」立地を早い時期に既成事実化していたことを示しており、意見集約の結果に注目が集まっている。

 

 開示文書によると、いまから8年前の平成29(2017)年「花巻市まちづくり勉強会」と「花巻駅周辺整備調査定例会」という非公開の組織が相次いで立ち上げられた。駅前再開発を話し合うためのJR側との合議体で、図書館を所管する生涯学習部と橋上化を担当する建設部とが同席していた。例えば新図書館については、平成30(2018)年1月17日に開催された「整備調査定例会」で、市側は「図書館は2階か3階建てのイメージ。自由通路につなぎ、2階でレベル合う案も検討する。市側が通路を図書館につないだレイアウトを作成する」と発言している。

 

 その2年後の令和2(2020)年1月、市側は新たに「賃貸住宅付き図書館」を駅前に立地するという構想を議会や市民の頭越しに公表にした。駅前のJR所有地を50年間、定期借地するというこの構想に対し、多くの市民から「50年過ぎた段階で取り壊しが決まっている公共施設など聞いたことがない。市有地の病院跡地に建てるべきだ」との反対論が噴出。市側はその年の11月、住宅との併設案と定期借地の件を撤回し、いまに至っている。

 

 あの騒動から丸5年が経過した。この間市側は市民の意見を取り入れるためのワークショップや市民説明会、各種団体との意見交換、さらに二つの候補地ごとの事業費比較などを実施し、対話型市民会議でそれぞれのメリットとデメリットを出し合うという手順を踏んできた。3回にわたったこの会議は1月26日に最終回を迎える。市側は「その結果を最大限、尊重した上で最終建設地を決定したい」としている。しかし開示文書を見る限り、市側が病院跡地への立地を検討した形跡はみじんもない。就任後の平成28年、まちなか活性化のため、病院跡地への図書館建設を提唱したのは当の上田東一市長だった。180度の政策変更の背景には何があったのだろうか。

 

 

●2022年10月10日付投稿原稿

 

 

 目の前にこつ然と現れた広大な“空間”に身を置きながら、「図書館の立地はここしかないな」と直感した。花巻市は10月11日から27日まで市内17か所で新図書館の建設場所をめぐって、意見集約のための市民説明会を開催した。その第1候補に挙げられているのがJR花巻駅前のスポ-ツ店用地で、当局側はその取得に前向きな姿勢を見せている。

 

 こんな折しもかつて、花巻城跡に隣接した旧総合花巻病院の移転・新築に伴って、24棟を数えた病棟が解体された結果、私たちは約100年ぶりに由緒ある遺跡など城跡のおもかげに接するという幸運に恵まれた。晴れた日には高台の城跡から霊峰・早池峰など北上山地の雄大な姿を望むができる。当該地は郷土の詩人で童話作家、宮沢賢治の作品にも数多く登場し、たとえば『四又(よまた)の百合』に出てくる“ハ-ムキャの城”とはすぐに、花巻城跡と察しがつく。
 

 さらに、賢治が学んだ現花巻小学校と自らが教壇に立ち、“桑っこ大学”とも呼ばれた旧稗貫農学校に挟まれたロケ-ションはまさに「文教地区」にふさわしい立地条件と言える。現在「まなび学園」(生涯学習都市会館)として、市民に学びの場を提供している場所もこの地に隣接し、かつては賢治の妹トシが学んだ花巻高等女学校(県立花巻南高校の前身)の建物だった。これもまた、歴史の奇縁かもしれない。
 

 実は「図書館法」(昭和25年4月)の生みの親が当地ゆかりの「山室民子」だということは地元でも余り、知られていない。慈善団体「救世軍」の創設者・山室軍平の妻で、花巻の素封家に生まれた旧姓・佐藤機恵子が民子の母である。民子は図書館法を起案するに当たって、生涯教育の大切さを訴えた。
 

 1世紀という時空間をへて、今よみがえった「百年の記憶」と未来を見すえた「百年の計」と―。解体工事で全貌を現した「濁り堀」について、専門家グル-プは「一級品の貴重な遺構。現状保存が望ましい」と答申した。将来は原形を維持したまま、“歴史公園”として利活用できるのではないか。夢は広がるばかりである。いまこそ、山室民子の“遺訓”を生かすべき時ではないかと思う。花巻小学校とシニアが集う「まなび学園」の間にポッカリと浮かんだ空間。まさに、天啓(てんけい)とでも呼びたくなる、“生涯学習”の場にふさわしい環境ではないか。

 

 「天啓」とは「天(神)の啓示」を意味する言葉である。「魂の癒しの場」―。世界最古の図書館といわれるアレキサンドリア図書館(エジプト)のドアにはこう記されているという。

 

 

 

(写真は2023年3月31日付の岩手日報と同日付の「日報論壇」)

 

 

 

《追記》~市も日報も大阪高裁判決に謙虚に学ぶべき!!??

 

 

 森友学園に関する財務省の決裁文書の改ざんに関与させられ自殺した近畿財務局の職員、赤木俊夫さん(当時54)の妻の雅子さんが国に関連文書の開示を求めた裁判で30日、2審の大阪高等裁判所は1審とは逆に国が文書の存否も明らかにせず不開示とした決定は違法だとして取り消す判決を言い渡した。

 

 「『黒塗り公文書』の闇を暴く」シリーズ(全3回)で明らかにしたように新花巻図書館に関する開示文書も核心の部分は黒塗りの、いわゆる“のり弁”だった。さらに、日報論壇の不掲載もある意味で公文書の「不開示」と通じるものがある。双方は今回の高裁判決の精神を謙虚に受け止め、開かれた「行政&メディア」を目指してほしい。
 

 

 

 

対話型「市民会議」が終了へ…果たして、公正・中立性は担保されたのか~最終結論は来月へ先延ばし!!??

  • 対話型「市民会議」が終了へ…果たして、公正・中立性は担保されたのか~最終結論は来月へ先延ばし!!??

 

 「駅前か病院跡地か」―。新花巻図書館の立地場所を話し合うための対話型「市民会議」(75人で構成)が26日、3回にわたった会議の最終回を迎える。双方のメリット・デメリットを総括したうえで、市側が建設地を決定する段取りになっている。折しも、タレントの女性スキャンダルをめぐって、その実態と経緯を調査するための「第三者委員会」のあり方が問われている。当事者のフジテレビ側は当初、会社寄りの委員会を設立して切り抜けようとしたが、広告主などからの批判が殺到。結局、独立性の高い日弁連の(日本弁護士連合会)のガイドラインに沿った委員会を設け、その「公正・中立性」を担保することになった。この騒動を横目で見ながら、足元は大丈夫かなとふと思った。

 

 建設地の決定に関わる重要な判断材料のひとつが「建設候補地」の比較調査で、この業務を受託したのは大手コンサルタント会社の「大日本ダイヤコンサルタント」(本社・東京)。同社は地質や地層の調査・分析に実績があり、今回も“災害リスク”を強調する調査内容になっているのが目につく。この点に関してはこれまでの議会質疑でも「当該跡地では100年もの長い間、病院経営が続けられ、病棟群が建ち並んでいた。突然、リスクを突きつけられ、市民も戸惑っている」とその真意に首をかしげるやり取りがあった。

 

 さらに、今回の業務委託の指名入札に当たって、上田東一市長は「図書館など公共施設の基本計画の策定業務に豊富な実績を持つ業者を選定したい」(令和5年12月20日の定例記者会見)としていた。ところが、同社を含め入札に参加した業者11社はすべて、JR各社と請負関係にある独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(JRTT鉄道・運輸機構)の有資格業者だということが判明。「どの業者が落札しても、結局はJR寄りの業者に落ち着く仕組みになっていたのでは…」とその公平性や中立性に疑義を呈する声も高まっていた。

 

 一方、市民会議の進行役を務めるファシリテータ―については当初、「公募型」プロポーザル方式で広く人材を求めることにしていたが、結局応募したのは1社だけ。この業者も評価点に達しなかったため、昨年8月に不調に終わった。本来なら、再公募するべきなのに市側はこの事業の予算(約1000万円)をそのまま“流用”する形で、「公募」どころか連携関係にある慶応義塾大学SFC研究所に助言と協力を求めた。関連予算の再上程もなし、”禁じ手”などどこ吹く風…議会無視の強行突破だった。

 

 その結果、同大学大学院特任教授で「LOCAL&DESIGN」(株)の代表取締役である山口覚さんにファシリテーターを依頼し、いまに至っている。SFC研究所と当市は、2018年7月に「地域おこしに関する研究開発の連携協力に係る覚書」を締結しているが、ファシリテータ―業務が「地域おこし」とどう連動するのか―不透明な部分を残した“見切り発車”のまま、終着駅に到達した感はぬぐえない。いずれにせよ、10年越しの新図書館の着地点の行方に市民の注目が集まっている。なお、市民会議は予備日として、2月15日の開催も予定されている。

 

 

 

 

《追記ー1》~市民会議、最終結論は来月に先延ばし

 

 

 対話型「市民会議」は26日、3回目の話し合いを持ち、建設候補地(駅前と病院跡地)のメリット×デメリットを出し合った。それぞれの主張が多方面にわたったため、予備日にしていた2月15日に最後の会議を持ち、論点を整理することになった。この日の会議の冒頭、メインファシリテーターの山口覚・慶応義塾大学大学院特任教授は「私は故意にしません」と意味深長な発言を口にした。

 

 

 

《追記―2》~”大山鳴動”したあげく、幕を開けて見れば…失速した対話型「市民会議」の意見集約とは!!??

 

 

 「駅前か病院跡地か」―。新花巻図書館の建設場所の意見集約をするための対話型「市民会議」は当初予定された3回の会議が終わり、来月15日に予備会議を開催することになったが、鳴り物入りで設定された割にはその低調ぶりが目立った。その端的な例が会議出席者の定数割れ。市側によると、無作為抽出で選ばれた15歳以上の市民3,500人を対象に参加希望者を募り、応募した75人の市民でスタートする手はずになっていた。

 

 構成の内訳は若年層(10代~30代)が35人、中高年層(40代~60代)が34人に対し、高齢者層(70代以上)はわずか6人。しかし、実際に会議に出席したのは第1回目(昨年11月17日)が65人、第2回目(同12月21日)が64人と連続して定数を下回り、3回目(今年1月26日)に至っては18人も少ない57人に止まった。「75人」という構成自体、人口比89,862人(令和6年12月31日現在)に比べても到底、民意を反映する数値とは言えない。それをさらに下回ったということは「市民会議」自体の有意義性が問われても致し方あるまい。

 

 

 

 

 

(写真は市民会議の経緯を知らせる「ニュースレター」第2号。市HPから)