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あれっ、「非公表」だったはずの人がガンバローコールだって…1年前の悪夢の再現~上田市長ら懲りない面々は今もなお!?そして、選挙の結果はアァ無情!!??

  • あれっ、「非公表」だったはずの人がガンバローコールだって…1年前の悪夢の再現~上田市長ら懲りない面々は今もなお!?そして、選挙の結果はアァ無情!!??

 

 「公表しない」―。今次の衆院選にかかる県内首長のアンケート調査で自身の立ち位置について、こう答えていた花巻市の上田東一市長が選挙区3区の藤原崇候補(自民前)の集会に出席。「ガンバローコール」を唱和している写真が現職県議のFBで公表された。公表しないどころか、必死の形相のこの“もろ顔出し”写真が激しさを増す選挙戦の中で、顰蹙(ひんしゅく)いや、失笑を買っている。

 

 藤原候補は前回の選挙で、小沢一郎候補(立憲前)を選挙区で初めて破った。しかし、今回は政治資金収支報告書の不記載問題で比例区での重複立候補が認められず、「背水の陣」の戦いを強いられている。だったら、なおさらのことコソコソと逃げ隠れたりしないで、堂々と「藤原」支持を打ち出せばいいのに…。この人って、どうも「陰の主役」が性(しょう)に合っているようである。

 

 この写真をつくづく眺めながら、1年前の光景がまな裏によみがえった。そう、花巻まつりの最終日、祭り半纏(ばんてん)に身を固めたその写真には上田市長のほか、藤原衆院議員(当時)や広瀬めぐみ参院議員(同)、応援団の市議会「明和会」のメンバーがそろい踏みしていた。あれから、1年余りの写真にあのエッフェル女子の姿はない。ご存じ、秘書給与をだまし取ったり、不倫騒動で議員辞職に追い込まれたためである。欠員を埋める参院補欠選挙は衆院選と同日の今月27日に行われる。この衆参の「因縁対決」劇場に全国の注目が集まっている。

 

 1年たっても何も変わっていない「イーハトーブはなまき」の姿を記憶に刻み込んでおくため、双方の写真を掲載する。ユネスコの「記憶遺産」に登録したいほどの貴重な永久保存版である。なお、撮影者はともに地元選挙区を束ねる川村伸浩県議(自民)である。1年前の写真はコメント欄からどうぞ。

 

 

 

 

(写真はこぶしを振り上げる壇上の上田市長(右から3人目)。赤いタスキがけが藤原候補=川村県議のFBから)

 

 

 

《追記ー1》~上田市長はきちんと、自己総括を!!??

 

 

 27日投開票された衆院と参院(補欠)の選挙の結果、前回、選挙区で藤原崇候補(自民前)に敗れた小沢一郎候補(立憲前)が勝利を奪還。比例区との重複立候補が認められなかった藤原候補の落選が決まった。また、広瀬めぐみ元議員(自民)の議員辞職に伴う参院補欠選挙では前回、同元議員に敗れた木戸口英司候補(立憲前)が雪辱を果たした。

 

 当ブログで言及したように花巻市の上田東一市長は藤原、広瀬両氏の選挙に際し、全面的な支援活動を展開してきた。思想・信条の自由は憲法に認められた権利であることを重々承知しつつも「二元代表制」の下、直接選挙で市民の負託を受けた首長の立ち位置は重い。政治家としてのきちんとした自己総括を求めたい。上田市長と足並みを揃えてきた市議会会派「明和会」の面々にも…

 

 

 

《追記ー2》~士道不覚悟(「武士道ファン」を名乗る人からのコメント)

 

 

 古来より旗幟(きし)を鮮明にするのが武士の習いの中で、武士を先祖に持つ御仁で、新渡戸稲造の「武士道」を愛読書としていることを公言している人がこんな写真に収まっているとはねえ。何だか、水戸黄門に出てくる悪代官みたいです。

 

  

 

ふるさと納税のダブルスタンダードと国保税のトリプルスタンダード~物価高と税金地獄の中で!!??

  • ふるさと納税のダブルスタンダードと国保税のトリプルスタンダード~物価高と税金地獄の中で!!??

 

 花巻市は国民健康保険税(国保税)の税率を引き上げる方針を固め、市議会12月定例会に提案することになった。21日開催の議員説明会よると、平成30年度に税率を引き下げて以来据え置きが続いていたが、このまま税率を据え置いた場合、令和11年度までに約16億2千万円の財源不足に陥る見込みだという。この不足分を補てんするため、一般会計から約4億4千万円を繰り入れする補正予算案も審議に付す。これにより、一人当たりの改正税額は令和7年度には77、300円となり、令和6年度比で4、900円の増加になるとしている。

 

 一方、花巻市市民参画条例(令和5年12月7日制定)はこの種の「市税の賦課徴収その他金銭の徴収に関する事」に関しては「市民参画を行わないことができるものとします」(第5条第2項)と定めている。しかし他方で「市民生活に重大な影響を及ぼす制度の導入、変更又は廃止」(同条第1項)に関わる案件については「市民参画」を義務付けている。国保税は市民生活に直結する税負担であることは明らか。議会側の対応が注目される

 

 こんな中、上田(東一)市政はふるさと納税の返礼品について、ダブルスタンダード(二枚舌)の手法を駆使して寄付金獲得に余念がない(8月17日付当ブログ「これって、“官製”詐欺ではないのか」など参照)。今回の一方的な国保引き上げについては「これって、二枚どころかトリプルスタンダード(三枚舌)ではないのか」という悲鳴にも似た声が納税者の間から出ている。国民皆保険の対象である国保税の引き上げは生活基盤そのものを直撃する税負担である。年間90億円(令和5年度)を超える巨額なふるさと納税の一部でもその救済に当てるつもりはないのだろうか(市HP上に公開中の「令和5年度決算」を参照)

 

 折しも、税金をかすめ取った「裏金」問題が大きな争点になっている国政選挙の真っ只中…27日の投開票日にはオメオメ、選択を誤らないように。

 

 

 

(写真は国保税の引き上げに抗議するイラスト=インターネット上に公開の写真から)

 

 

 

大山鳴動して、たったの「50人」、片や「病院跡地」への立地希望は9,7 45筆…注目の新図書館「市民劇場」、間もなく開幕~でも、傍聴は「チョットだけヨ」!!??

  • 大山鳴動して、たったの「50人」、片や「病院跡地」への立地希望は9,7 45筆…注目の新図書館「市民劇場」、間もなく開幕~でも、傍聴は「チョットだけヨ」!!??

 

 「当たった、当たった」―。宝くじにでも当たったのかと思ったら、新花巻図書館の立地場所の意見集約をするための「市民会議」への案内状が届いたというお話しである。市側の計画によると、無作為抽出した市民2500人へ案内状を郵送し、この中から50人の委員を選出。今月から年末にかけて4回前後の会議を開催し、「駅前か病院跡地か」―どちらかの立地場所に最終的に絞り込むことにしている。この際の討議資料となる事業費や駐車収容数、土地形状など立地環境を「比較検討」する委託調査もすでに終了しており、その内容も注目される。

 

  一方、病院跡地への立地を求める「花巻病院跡地に新図書館つくる署名実行委員会」(三つの市民団体で構成)は第1次と第2次とを合わせた累計9745筆(花巻市内6771筆、県内1638筆、県外1336筆)の署名をすでに市側に提出している(10月15日現在)。「図書館の空間は無限大」として昨年10月には全国署名に踏み切り、その年のクリスマスイブを皮切りに市内のスーパーなどでの街頭署名も始めた。この活動を担った多くは「雨ニモマケズ」精神を背負った後期高齢者の“老人パワー”だった。

 

 「50vs9745」―。市人口90,156人(令和6年9月末現在)と単純比較してみても、50人は全体比1・8%、9745人は同9・3%で、このどちらに数字上の有意性(統計学上の意義)があるかは一目瞭然である。しかも、無作為抽出(標本調査、いわゆる“くじ引き”)で選ばれた2500人の中から50人を選出する際の手法は明らかにされていない。そこに恣意(しい)が入りこむ余地はないのかー闇は深まるばかりである。

 

 「対象者以外の方は、会議の一部を傍聴することができます。詳細については後日お知らせします」―。10月10日付の市HPにこんな告示が載った。また、ぶったまげた。「公を共に」という「公共図書館」のしかも、その立地場所を協議するという「市民」会議の傍聴は「一部」に限られるというご託宣である。聞いたことがない。多額の予算を計上し、意見集約を外部のファシリテーター(進行役)に委ねるはずだった「公募プロポーザル方式」が不調に終わったのは記憶に新しい。そういえば、その選定を審査する委員会が突然非公開になり、市職員が築く“人垣”(関所)によって、入場を阻まれるという一幕もあった。何か見られたくないことや聞かれたくないことでもあるのだろうか。

 

 “利権”がらみが噂される中、新図書館の迷走劇は止まるところを知らない。最終幕の「新図書館『市民劇場』」は必見である。「(傍聴は)チョットだけヨ」(ザ・ドリフターズ「全員集合」のテーマ曲)と言われると、なおさら見たくなったり、聞きたくなったりするのが人間の性(さが)というものである。一刻も早く、公演日程をHP上に公開してほしい。

 

 

 

 

(写真は「今年のクリスマスプレゼントは図書館です」と署名を呼びかけるお年寄りたち=2023年12月24日、イトーヨーカド―花巻店で)

 

 

ふるさと納税の闇…上田市長へ公開質問状~賢治“利権”の実態、露わに!!??

  • ふるさと納税の闇…上田市長へ公開質問状~賢治“利権”の実態、露わに!!??

 

 「ダブルスタンダードは行政運営上、絶対に許されない禁じ手ではないのか」―。イーハトーブ花巻応援寄付金(ふるさと納税)の総額が90億円(令和5年度)を超え、全国自治体で第13位にランクされた当市で、見方によっては“虚偽宣伝”とも受け取られかねない事態が起きている。その実態については当ブログでその都度、明らかにしてきたが、肝心の行政サイドは見て見ぬふりの体(てい)である。そこで直接、上田東一市長にその胸の内を問いただすため、11日付で以下のような公開質問状を提出した。回答があり次第、公開する。

 

 

 花巻市長 上田 東一 様

2024年10月11日

花巻市桜町3-57-11

増子 義久

 

 

公 開 質 問 状

―ふるさとチョイスの宣伝広告について

 

 

 貴殿は市内御田屋町に現存する旧菊池捍邸が賢治寓話『黒ぶだう』の舞台だとする、いわゆる「モデル説」に関連し、令和5年3月の定例記者会見でこう述べています。「宮沢賢治の寓話『黒ぶだう』の舞台になったということを仰(おっしゃ)る方もいますが、それが正しいかどうか分かりません」。その一方で、イーハトーブ花巻応援寄付金(ふるさと納税)の返礼品のひとつである「花巻黒ぶだう牛」の宣伝広告には以下のように記されています。

 

 

●「花巻黒ぶだう牛」は、花巻が世界に誇る株式会社エーデルワインが製造するワインのぶどうの搾りかすを飼料として給与しており、さらりとした脂と豊かな風味が特徴です。花巻出身の詩人で童話作家の宮沢賢治の寓話(ぐうわ)「黒ぶだう」で仔牛がぶどうを食べる描写があることから名づけられた、花巻ならではの「ブランド牛」です。

 

●寓話「黒ぶだう」は、花巻市御田屋町の旧菊池捍邸が舞台とされ、赤狐に誘われた仔牛が、留守の人間の別荘に入り込み勝手に「黒ぶだう」を食べていたところに住人の公爵一行が帰宅し、逃げ遅れた仔牛は見つかってしまいますが、怒られもせず、逆に黄色いリボンを結んでもらうというものです。物語の中で、赤狐はぶだうの汁ばかり吸って他は全部吐き出しますが、仔牛は「うん、大へんおいしいよ」と種まで噛み砕いて食べてしまいます。賢治は当時すでに、ぶどうの搾りかす(皮と種)が家畜の餌として使えることに気づいていたのかもしれません(2024年10月11日現在の市HP「ふるさとチョイス」から)

 

 

 

 

 以上の観点から次の諸点について、見解を伺います。選挙をはさんだ多忙な時期に重なりますが、11月21日までに文書(メール可)での回答をお願いします。

 

1)モデル説に疑義を呈するようになった根拠はどこにあるのか。その一方で、返礼品の宣伝広告では逆にそのモデル説を強調しているのはなぜか。「ダブルスタンダード(二重基準)」は行政運営の基本原則に反する行為だと言われる。この間の経緯を納税者も納得できるように説明願いたい。

 

 

2)モデル説について、当方(増子)が提唱者に問いただしたところ、「賢治と旧菊池捍邸や本人を結び付ける接点は最後まで見つからなかった。モデル説だけがひとり歩きしてしまった」として事実上、自説を撤回した。ふるさと納税に財源の多くを依存している行政としても、提唱者本人に真意を確かめた上で、今後の対応を再考すべきではないか。

 

 

 

 

(写真は賢治ミックス(白金豚×黒ぶだう牛)の花巻ハンバーグ。返礼品の人気商品のひとつ=インタネット上に公開の「ふるさとチョイス」から)

 

 

 

《追記》~ノーベル平和賞と「イーハトーブ」

 

 今年のノーベル平和賞が日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に与えられるというビッグニュースをかたわらのテレビが伝えている。そして、目の前のブログには賢治“利権”というおどろおどろしい文字が躍っている。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」)―。「平和」のメッセージを発信し続けてきた「イーハトーブ」の創造主はいま、何を思うのだろうか…。賢治のこの理想郷の崩壊を食い止めるための、残された時間はもう「待ったなし」である。

 

 

 


 

 

 

 

賢治の「トリセツ」(取扱説明書)…“利権化”が進むイーハトーブ!!??~その受容と非受容のはざまにて

  • 賢治の「トリセツ」(取扱説明書)…“利権化”が進むイーハトーブ!!??~その受容と非受容のはざまにて

 

 「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)」(『春と修羅』序)―。自らを幽霊、すなわち“お化け”と称して憚(はばか)らない宮沢賢治につきまとわれて、早や2年が過ぎようとしている。そして最近、言い知れない不毛感に襲われるようになった。そのきっかけは「駅前か病院跡地か」という新花巻図書館の立地論争に起因するような気がする。ある意味で、図書館との親和性が一番強いはずの、賢治を軸にした「図書館」論議かほとんどなかったからである。その間隙をぬうようにして、表面化したのがいわゆる賢治をめぐる“利権”騒動だった。

 

 「実在する建物を賢治が気に入り、逆に建物に合わせて物語を創った例が見つかった」―。宮沢賢治学会の「イーハトーブセンタ―会報」(2007年9月30日発行、第35号)にこんな記述がある。「花巻・菊池捍邸と賢治寓話『黒ぶだう』」と題する論考の中の一節で、筆者は「黒ぶだう」モデル説の提唱者のひとりである。賢治研究の専門家は会報の中で「作品の推定執筆時期の再考を迫る事柄」と太鼓判を押し、この主張に“お墨付き”を与えた形になっている。37歳という「夭折」(ようせつ)はそれ故に時代の波に翻弄(ほんろう)される運命にあったのかもしれない。

 

 「玄米四合から三合へ」―。賢治の詩「雨ニモマケズ」が戦後の国定教科書で改ざんされた事件(10月1日付当ブログ参照)について、当時検定を担当した作家の石森延男(故人)は賢治の弟、清六さんの話として、こんな会話を書き残している。「かまいませんよ。兄はそんなことにこだわりませんし、笑っているでしょう」。旧菊池捍邸の『黒ぶだう』モデル説もある意味で、賢治学会という“権威”の後ろ盾によって生み出されたと言える。本来なら、その作品性を固守すべきはずの親族や賢治研究者が率先して、賢治“利権”の構築に加担。そのあげく、ふるさと納税獲得のための“広告塔”に利用されるに至っては、おらが賢治は余りにも哀れすぎないか。

 

 ”賢治教”ともいうべき神格化された賢治と「食わず嫌い」の賢治知らず…。“両刃の剣”という意味でこの郷土の偉人は「取扱注意」の人物である。だからこそ、不断から「トリセツ」をきちんと整えておかなければならない。時と所をかまわずにひょいと目の前に出現する、賢治のその神出鬼没ぶりが私は好きである。ある種の“憑依”(ひょうい)感覚と言ってもいいかもしれない。私は以前、新図書館の構想について、以下のような「私論」(一部抜粋)を書いた。登場人物たちの賢治との距離感に同じ感覚を抱いたからである。そんな人物たちが行き交う「IHATOV・LIBRARY」(「まるごと賢治」図書館)を私は夢想している。しかし、その図書館周辺にも”利権”疑惑が…

 

 

●賢治を「師」と仰いだ人材は世界各国にキラ星のように存在する。例えば、原子物理学者の故高木仁三郎さんが反原発運動の拠点である「原子力資料情報室」を立ち上げたのは賢治の「羅須地人協会」の精神に学んだのがきっかけだった。また、アフガンでテロに倒れた医師の中村哲さんの愛読書は『セロ弾きのゴーシュ』で、絶筆となった自著のタイトルはずばり『わたしは「セロ弾きのゴ-シュ」』だった」

 

●さらには、シンガーソングライターの宇多田ヒカルのヒット曲「テイク5」は『銀河鉄道の夜』をイメ-ジした曲として知られる。一方、戦後最大の思想家と言われた故吉本隆明さんに至っては「雨ニモマケズ」を天井に張り付けて暗唱していたというから、「賢治」という存在がまるで“エイリアン”のようにさえ思えてくる。こうしたほとばしるような“人脈図”がひと目で分かるようなコーナーを設置し、賢治という巨木がどのように枝分かれしていったのかーその思想の全体像を「見える化」したい。

 

 

 

 

(写真は賢治のイラスト。“お化け”は死なないので、「没後」90年以上たった今も賢治は生きている=インターネット上に公開のイラストから)

 

 

 

 

《追記ー1》~「無罪」という名の”死刑”!!??

 

 

 「無実の罪(えん罪)によって、袴田巌さん(88)の失われた58年間は実質的な”死刑”執行ではなかったのか」―。検察側の控訴断念によって、袴田さんの無罪が確定した「この日」(10月8日)のその姿をテレビで見ながら、法の残酷さを思い知らされた。その一方で、弟を支え続けた姉の秀子さん(91)は「(無罪を)信じていたので…」と満面の笑みを見せた。その表情が何とも神々(こうごう)しく輝いていた。この人は「神」ではないかと、心底そう思った。おらが賢治に降りかかった”えん罪”も晴らしてやらなければ…

 

 

 

《追記―2》~「高瀬露」のえん罪も晴らしたい!!??

 

 

 花巻市在住の賢治研究者である鈴木守さんは袴田巌さんの無罪確定を受けて、自らのブログ「みちのくの山野草」(10月8日付)に以下のような所感を掲載した。鈴木さんは賢治の恋人と言われた「高瀬露」さんが各種研究書などによって、“悪女”に仕立て上げられた経緯を実証的に検証。『本統の賢治と本当の露』などの著書で、その”悪女伝説”の実態を明らかにし続けている。

 

 

 私は、袴田巌さんおめでとうございますと、お姉さんのひで子さんには、お疲れ様でしたと言った。そして、そうか、やはり冤罪だったのかと私は安堵した。次に、己を鼓舞した。私も、高瀬露の濡れ衣を晴らすためにこれからも粘り強く取り組んでゆかねば、と。それは、巌さんもひで子さんも共に58年間闘って勝ち取ったわけだが、私がコツコツと取り組んできたのはまだ18年目なのだから、まだまだ頑張り続けねば。老い先短い私ではありますが……。
 

 それにしてもおぞましく思うのは、捜査機関が証拠を捏造したことだ。そして、高瀬露の場合もある出版社によってそのようなことが為されていたという蓋然性が頗る高いことだ。つきましては、このブログ等を通じて〈高瀬露悪女伝説〉は濡れ衣であり、謂わば冤罪ですよ、と今後も皆様に訴え続けてまいりますのでどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

《追記―3》~「当時の報道、おわびします」!!??

 

 

 「葬儀にも参列/顔色も変えず」「検察側の追及をふてぶてしい態度ではねつけてきたが、ついに自供した」―。袴田さんの無罪確定を受け、かつて在籍した朝日新聞は9日付一面で東京本社編集局長名の謝罪文を掲載した。「明らかに人権感覚を欠いてしました」という58年を経た末の詫び状に思わず、身を固くした。袴田さんが逮捕された1966年当時、私は26歳の新人記者として、初任地の西部本社(九州)管内で取材活動をしていた。

 

 遠い静岡の地で起きたこの凄惨な事件の記憶はいまも、頭の片隅にこびりついている。しかし当時、袴田さんに寄り添うような姿勢があったかと自問すればまったく、自信がない。むしろ逆だったのではないか…。ただ、その後の取材活動の軸足がたとえば、足元の被差別部落問題や北海道ではアイヌ民族の差別問題へと向かって行った軌跡をたどれば、あるいはこの「事件」の教訓をどこかで引きずっていたのかもしれないと思う。目の前では賢治が理想郷と呼んだ「イーハトーブ」の腐敗が止まるところを知らない。目を背けるわけにはいかない。