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「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(下)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

  • 「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(下)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

 

 僕は忘れたくない。ル-ルに服従した周囲の人々の姿を。そしてそれを見た時の自分の驚きを。病人のみならず、健康な者の世話までする人々の疲れを知らぬ献身を。そして夕方になると窓辺で歌い、彼らに対する自らの支持を示していた者たちを。ここまでは忘れてしまう危険はない。簡単に思い出せるはずだ。もう今度の感染症流行にまつわる公式エピソ-ドとなっているから。

 でも僕は忘れたくない。最初の数週間に、初期の一連の控えめな対策に対して、人々が口々に「頭は大丈夫か」と嘲(あざけ)り笑ったことを。長年にわたるあらゆる権威の剥奪(はくだつ)により、さまざまな分野の専門家に対する脊髄(せきずい)反射的な不信が広まり、それがとうとうあの、「頭は大丈夫か」という短い言葉として顕現したのだった。不信は遅れを呼んだ。そして遅れは犠牲をもたらした。

 僕は忘れたくない。結局ぎりぎりになっても僕が飛行機のチケットを1枚、キャンセルしなかったことを。どう考えてもその便には乗れないと明らかになっても、とにかく出発したい、その思いだけが理由であきらめられなかった、この自己中心的で愚鈍な自分を。僕は忘れたくない。頼りなくて、支離滅裂で、センセ-ショナルで、感情的で、いい加減な情報が、今回の流行の初期にやたらと伝播されていたことを。もしかすると、これこそ何よりも明らかな失敗と言えるかもしれない。それはけっして取るに足らぬ話ではない。感染症流行時は、明確な情報ほど重要な予防手段などないのだから。

 僕は忘れたくない。政治家たちのおしゃべりが突如、静まり返った時のことを。まるで、結局乗らなかったあの飛行機を僕が降りたら、耳が両方とも急にもげてしまったみたいなあの体験を。いつだって聞こえていたあの耳障りで、常に自己主張をやめなかった政治家たちの声が―少し先を見据えた言葉と考察が本気で意見を言うことをことごとく妨げてきたあの横柄な声たちが―ぱったりと途絶えた時のことを。

 僕は忘れたくない。今回の緊急事態があっという間に、自分たちが、望みも、抱えている問題もそれぞれ異なる個人の混成集団であることを僕らに忘れさせたことを。みんなに語りかける必要に迫られた僕たちが大概、まるで相手がイタリア語を理解し、コンピュ-タ-を持っていて、しかもそれを使いこなせる市民であるかのようにふるまったことを。(移民たちのことを一切考慮せず、大切な知らせがイタリア語のみで伝達されていること、学級閉鎖にともない、いきなりオンライン授業が導入され、教育現場が混乱している状況などを指している)

 僕は忘れたくない。ヨ-ロッパが出遅れたことを。遅刻もいいところだった。そのうえ、感染状況を示す各国のグラフの横に、この災難下でも僕らは一体だとせめて象徴的に感じさせるために、もうひとつ、全ヨ-ロッパの平均値のグラフを並べることを誰ひとりとして思いつかなかったことを。僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。

 僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎(うと)かったことを。僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを。

 

 陽性患者数のグラフの曲線はやがてフラットになるだろう。かつての僕たちは存在すら知らなかったのに、今や運命を握られてしまっているあの曲線も。待望のピ-クが訪れ、下降が始まるだろう。これはそうあればよいのだがという話ではない。それが、僕らがこうして守っている規律と、現在、敷かれている一連の措置―効果と倫理的許容性を兼ね備えた唯一の選択―のダイレクトな結果だからだ。

 

 僕たちは今から覚悟しておくべきだ。下降は上昇よりもゆっくりとしたものになるかもしれず、新たな急上昇も一度ならずあるかもしれず、学校や職場の一時閉鎖も、新たな緊急事態も発生するかもしれず、一部の制限はしばらく解除されないだろう、と。もっとも可能性の高いシナリオは、条件付き日常と警戒が交互する日々だ。しかし、そんな暮らしもやがて終わりを迎える。そして復興が始まるだろう。

 支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩(やから)はにわかに団結し、チ-ムワ-クに目覚めるものだ。一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。

 もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。まずはめいめいが自分のために、そしていつかは一緒に考えてみよう。僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。

 家にいよう(レスティア-モ・イン・カ-サ)。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼(いた)み、弔(とむら)おう。でも、今のうちから、あとのことを想像しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないために(了)

 

 

 

 

(写真はロックダウン中の自宅の窓を開け放ち、大空に向かってトランペットを吹く少年。この子らの未来を奪ってはならない=3月中旬、ロ-マ市内で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

《追記-1》~コロナの時代の新たな日常

 

 安倍晋三首相は4日、緊急事態宣言を5月いっぱいまで延長することを発表した際の記者会見で、「有効な治療法やワクチンが確立するまで、感染防止の取り組みに終わりはない。それまである程度の長期戦を覚悟する必要がある」と述べ、さらに「『コロナの時代の新たな日常』を一日も早く作り上げなければならない」と続け、新型コロナウイルスを前提にした社会のあり方を模索する考えを示した。「新しい生活様式」とか「行動変容」などというのは上から与えられるものではなく、パオロが言うように自らが創り上げるものでなければならない。

 

 

《追記ー2》~アクセス数が100万件を突破、ご支援に感謝!

 

 2010年、花巻市議に初当選した際「公人」の端くれとしての議員活動の報告の場として開設したHP(ブログ)へのアクセス数がこどもの日の5日、累計で100万件の大台を超えました。この10年間、ブログのタイトルは「イーハトーブ通信」から「マコトノクサ通信」、そして現在の「ヒカリノミチ通信」へと変わりましたが、フォロワ-の皆さま方のご支援がなければ、おそらく途中で挫折していただろうと思います。心から感謝を申し上げます。コロナ禍のさ中の大台通過に何か不思議な気持ちにさせられます。死力を尽くしてこの「大災厄(パンデミック)」に目を凝らせ、というコロナ神からのご託宣なのでしょうか。先行きの短い人生…その総括を兼ねた、どうかすると遺書めいた書き付けになるかもしれませんが、体力と気力の許す限り、脈絡もなく頭内に去来する事どもを記していきたいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(中)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

  • 「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(中)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

 

 振り返ってみれば、あっという間に接近されたような気がする。「六次のへだたり」理論が本当かどうか、僕は知らない。知りあいのつてをたどっていくと、驚くほどわずかな人数を介しただけで世界の誰とでもつながってしまうという、あの話だ。でも今度のウイルスは、まるで網の目をたどる昆虫のように、そんなひとの縁(えん)の連鎖によじ登り、僕たちのもとにたどり着いた。中国にいたはずの感染症が次はイタリアに来て、僕らの町に来て、やがて誰か著名人に陽性反応が出て、僕らの友だちのひとりが感染して、僕らの住んでいるアパ-トの住民が入院した。

 

 その間、わずか30日。そうしたステップのひとつひとつを目撃するたび確率的には妥当で、ごく当たり前なはずの出来事なのに僕らは目をみはった。信じられなかったのだ。「まさかの事態」の領域で動き回ることこそ、始めから今度のウイルスの強みだった。僕らは「まさか」をこれでもかと繰り返した末に、自宅に閉じこめられ、買い物に行くために警察に見せる外出理由証明書をプリントアウトする羽目となった。義憤、遅れ、無駄な議論、よく考えもせずに付けたハッシュタグそのひとつひとつが、約17日後に、死者を生む原因となった。なぜなら感染症流行時は、躊躇(ちゅうちょ)をしたぶんだけ、その代価を犠牲者数で支払うものと相場が決まっているからだ。僕らがかつて味わったなかで、もっとも残酷な時間単価だ。

 イタリアの死者数は中国のそれを超えた。僕たちは一連の偶発的原因に怒って当然だし、怒るべきだが、問題の根本のところで必ず、自分たちが「まさかの事態」を受け入れるのが不得手な国民であるという事実に直面してしまうはずだ。これは近年、他の似たような感染症流行を経験済みだった国々と比較しての話だ。いずれにしてもここまでくると、僕らにしても、この「まさかの事態」の前進が、今日終わることもなければ、全国民の外出制限を指示した首相令の期限が切れる4月3日に終わることもないとわかっているはずだ(2020年4月5日現在、期限は4月13日まで延長されている)。それは自宅隔離の指示が解かれても終わらず、今回のパンデミック自体が終結しても終わらないだろう。「まさかの事態」はまだ始まったばかりで、ここには長く居座るつもりでいるはずだ。もしかするとそれは、僕らの前に開かれようとしている新たな時代の特徴となるのかもしれない。

 戦争という言葉の濫用について書いているうちに、マルグリット・デュラスの言葉をひとつ思い出した。逆説的なその言葉はこうだ。「平和の様相はすでに現れてきている。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある」(『苦悩』田中倫郎訳 河出書房新社)。戦争が終わると、誰もが一切を急いで忘れようとするが、病気にも似たようなことが起きる。

 

 苦しみは僕たちを普段であればぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させ、現在という時間が本来の大きさを取り戻した、そんな印象さえ与えるのに、病気が治ったとたん、そうした天啓はたちまち煙と化してしまうものだ。僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。真実の数々が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。

 だから、緊急事態に苦しみながらも僕らはそれだけでも、数字に証言、ツイ-トに法令、とてつもない恐怖で、十分に頭がいっぱいだが今までとは違った思考をしてみるための空間を確保しなくてはいけない。30日前であったならば、そのあまりの素朴さに僕らも苦笑していたであろう、壮大な問いの数々を今、あえてするために。たとえばこんな問いだ。すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。

 僕らはCVID-19の目には見えない伝染経路を探している。しかし、それに輪をかけてつかみどころのない伝染経路が何本も存在する。世界でも、イタリアでも、状況をここまで悪化させた原因の経路だ。そちらの経路も探さなくてはいけない。だから僕は今、忘れたくない物事のリストをひとつ作っている。リストは毎日、少しずつ伸びていく。誰もがそれぞれのリストを作るべきだと思う。そして平穏な時が帰ってきたら、互いのリストを取り出して見比べ、そこに共通の項目があるかどうか、そのために何かできることはないか考えてみるのがいい。

 

 

 

(写真は全土がロックダウン(都市封鎖)されたイタリア。マンションに閉じ込められた夫婦は不安気に外を眺めていた=3月中旬、ロ-マ市内で。インタ-ネット上に公開の写真から)

 

 

 

 

《追記-1》~「コロナ戦争」への異議!?フランス人哲学者、クレ-ル・マランからのメッセ-ジ

 

 「私の感覚では、戦争ではありません。敵がいないのですから。私たちが直面しているのは生命の掟に刻まれている現象であり、それは創造と破壊両方のプロセスを通じて現れてくるものなのです。病気というのは、退化や死と同様、生物学的な意味で生命の一部です。人間的な知能や害を加えるという意志がない場合、敵は存在しません。病気を戦争のモデルによって考えることは流行っていますが、生命の本質を見誤っています。コロナウイルスをイメ-ジしたりその作用を理解したりするために、戦争のように考えることが役に立つとは思いません。いま大切なのは対峙することではなく、むしろパンチを返さない俊敏なボクサ-のように回避することが重要なのですから、なおさらです」(「ク-リエ・ジャポン」4月8日号)

 

 

《追記―2》~「リスクとの共生」…思想家、内田樹さんからのメッセ-ジ

 

 「もう勝てないと分かったら、『負け幅』をどうやって小さく収めるかを考える。プランAが破綻したら、すかさず次善の策であるプランBに切り替える。たぶん英語圏にはそういう文化があり、日本にはない。日本政府は『水際作戦』の成功と東京五輪の成功を夢見て、『最悪の事態』に備えることをしなかった。これを無能・無策と謗(そし)る人が多いが、統治者一人の責任に帰すのは気の毒だと思う。日本人というのは総じて『そういう人たち』だからである。ウイルス相手に人間の側に『勝ち』はない。できるのは、『負け幅』を減らすことだけである。でも、わが国には『負け幅を減らす』ための知恵や工夫を評価する文化がない。それを認めるところからしか『次』は始まらない」(『週刊金曜日』5月1日&8日合併号)

 

 

 

 

 

 

 

「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(上)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

  • 「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」(上)…パオロ・ジョルダ-ノからのメッセ-ジ

 

 コロナ禍のイタリアから発信された若手作家のメッセ-ジが全世界を駆けめぐっている。処女作の『素数たちの孤独』(2008年)がいきなり、最高の文学賞「スト-ガ-賞」を受賞して彗星のように現れたパオロ・ジョルダ-ノ(37)。アメリカに次いで2番目に多いコロナ死を記録した非常時の現場からの報告は27編を収録した『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介訳、早川書房)にまとめられ、いま世界27カ国で緊急刊行中だという。「パラドックス」という一編にこんな文章がある。

 

 「つまり感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって?僕たちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ」―。日本語の翻訳本には表題に掲げたイタリア紙「コリエ-レ・デッラ・セ-ラ」(3月20日付)への寄稿文も添えられている。私は子世代の若者からの言葉のひとつひとつをまさに粛然たる気持ちで受け止めた。たとえば、「非常時」の日常化の恐ろしさとか…。日本は本日(29日)から非常事態宣言下の大型連休に入った。この「隔離の時間」を有効に過ごすために、寄稿文を3回に分けて転載する。

 

 「何を考えろって?」…パオロは「何を守り、何を捨て、僕らはどう生きていくべきか」―を自問自答しているようである。「非常の時 人安きをすてて人を救ふは難いかな。非常の時 人危きを冒して人を護るは貴いかな」―。花巻空襲の際、当地に疎開していた詩人の高村光太郎が看護婦たちの献身的な働きをたたえて創ったとされる詩「非常の時」…。その一節をカ-ドに添えた手作りマスクが評判になっているという地元紙の記事に接した。このことの意味を含めて、「パオロ」メッセ-ジの行間に目を凝らしてみたいと思う。ズバリ言うと、非常時の“献身”の尊さと、安直な”ヒューマニズム”の危うさについて―

 

 「スペイン風邪」パンデミックから100年―。ほとんどの現人類にとっての”初体験”である今回のコロナ禍を前に、いまはただ頭(こうべ)を垂れるしかあるまい。

 

 

 

 

 コロナウイルスの「過ぎたあと」、そのうち復興が始まるだろう。だから僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないのかを。

 このところ、「戦争」という言葉がますます頻繁に用いられるようになってきた。フランスのマクロン大統領が全国民に対する声明で使い、政治家にジャ-ナリスト、コメンテイタ-が繰り返し使い、医師まで用いるようになっている。「これは戦争だ」「戦時のようなものだ」「戦いに備えよう」といった具合に。だがそれは違う。僕らは戦争をしているわけではない。僕らは公衆衛生上の緊急事態のまっただなかにいる。まもなく社会・経済的な緊急事態も訪れるだろう。今度の緊急事態は戦争と同じくらい劇的だが、戦争とは本質的に異なっており、あくまで別物として対処すべき危機だ。

 今、戦争を語るのは、言ってみれば恣意的な言葉選びを利用した詐欺だ。少なくとも僕らにとっては完全に新しい事態を、そう言われれば、こちらもよく知っているような気になってしまうほかのもののせいして誤魔化そうとする詐欺の、新たな手口なのだ。

 だが僕たちは今度のCOVID-19流行の最初から、そんな風に「まさかの事態」を受け入れようとせず、もっと見慣れたカテゴリ-に無理矢理押しこめるという過ちを飽きもせず繰り返してきた。たとえば急性呼吸疾患の原因ともなりうる今回のウイルスを季節性インフルエンザと勘違いして語る者も多かった。感染症流行時は、もっと慎重で、厳しいくらいの言葉選びが必要不可欠だ。なぜなら言葉は人々の行動を条件付け、不正確な言葉は行動を歪めてしまう危険があるからだ。それはなぜか。どんな言葉であれ、それぞれの亡霊を背負っているためだ。たとえば「戦争」は独裁政治を連想させ、基本的人権の停止や暴力を思わせる。どれもとりわけ今のような時には手を触れずにおきたい魔物ばかりだ。

 「まさかの事態」が僕たちの生活に侵入を果たしてから、ひと月になる。肺のもっとも細い気管支にまで達するウイルスのように油断のならぬそれは、もはや僕らの日常のあらゆる場面に現れるようになった。ただのゴミ出しに弁解が必要になる日が来ようとは、誰も想像したことがなかったはずだ。まさか、市民保護局が毎日行う感染状況発表の内容に合わせて自分たちの暮らしを調整する羽目になるなんて。まさかよりによってここで、それも僕たちが愛する者に看取(みと)ってももらえず、寂しく死ぬことになるかもしれないなんて。しかもその葬儀は音ひとつせず、立ち会う者ひとりいないかもしれないなんて(訳注:2020年4月5日現在、感染拡大防止のため冠婚葬祭を含む一切の集会が認められていないため)、誰が想像していたろう?にもかかわらず。

 2月21日付の『コリエ-レ・デッラ・セ-ラ』紙(訳注:イタリアを代表する日刊紙のひとつ)は、コンテ首相とレンツィ元首相がふたりきりで会談したというニュ-スを一面トップに置いた。ふたりきりで何を話した?誓って言うが、僕は覚えていない。コド-ニョ(ロンバルディア州ロ-ディ県の町)で最初の「綿棒(タンポ-ニ)」陽性患者が出たというニュ-スが同紙の編集部に届いたのは前夜の1時過ぎと遅かったため、その知らせは最終版一面の右端の段にぎりぎりで押しこまれた。僕らの多くはコド-ニョという地名を聞くのも初めてなら、ウイルステストの通称としてタンポ-ニという言葉が使われるのを聞くのも初めてだった。翌朝、コロナウイルスは、一面トップのタイトルという栄光の地位を獲得した。そして二度とその場を譲ろうとはしなかった。

 

 

 

(写真はその発信力が注目されているパオロ・ジョルダ-ノ=インターネット上に公開の写真より)

 

「コロナ」黙示録(その2)…パンデミックと万有引力の法則

  • 「コロナ」黙示録(その2)…パンデミックと万有引力の法則

 

 「共生への道」というサブタイトルに引かれ、『感染症と文明』(岩波新書)を取り寄せた。著者は長崎大学熱帯医学研究所教授の山本太郎さん。ペ-ジをめくる前にまず、あとがきの記述に目を奪われた。本書の初版発行日は東日本大震災の約3ケ月後の2011年6月21日。「3・11」のその日、山本さんは本書の編集担当者との打ち合わせを終え、東京・神田の古本屋に立ち寄った。足元が大きく揺れて書棚から本が音を立てて崩れ落ちた。世界各地で感染症の現場に立ち続けてきた山本さんは震災直後から被災地に入った。ある晴れた日、地震と津波が残した残骸の上にはあくまでも青い空が広がり、目の前の海には渡り鳥が羽を休めていた。

 

 「心地よくない妥協の産物だとしても、共生なくして、私たち人類の未来はないと信じている。地球環境に対しても、ヒト以外の生物の所作である感染症に対しても。その上で、人類社会の未来を構想したいと、その時海を眺めながら改めて思った」(あとがき)―。まるで現下のコロナ禍を予知するような洞察力と想像力、そして軸足のぶれない思考に思わず、居ずまいを正した。「文明は感染症の『ゆりかご』であった」というテ-マに引き込まれながら、読み進むうちに「パンデミックこそが想像と創造のゆりかごではないか」という思いを強くした。山本さんはさりげない形でこんなエピソ-ドを紹介している。

 

 「この時期(17世紀ロンドンのペスト)、ケンブリッジのトリニティ・カレッジを卒(お)えたばかりの一人の青年がいた。ペストの流行によって、青年の通っていた大学も何度かの休校を繰り返した。休校中、大学を離れて故郷の街ウ-ルスソ-プに帰った青年は、ぼんやりと日を過ごすうちに微積分法や万有引力の基礎的概念を発見した。青年の名前はアイザック・ニュ-トンといった」―。のちに、この期間は「創造的休暇」とか「已むを得ざる休暇」とか呼ばれたという。ニュートンが「リンゴが木から落ちる」瞬間を目撃したのは、ペスト禍による休校がもたらした”偶然”だったというのである。

 

 コロナ禍の中でいま、世界中が同じような休暇を余儀なくされている。“巣ごもり”生活のノウハウが垂れ流されるそんなある日、「ホットケ-キにのって空をとぶ」と題した8歳の少女の新聞投書が目にとまった。「新がたコロナウイルスのせいで学校がお休みです。そこでわたしは、新しいあそびを考えました。頭の中でお話を作ることです。この間は『やかまし村』シリ-ズのリ-サ-になりました。ホットケ-キにのってスウェ-デンの空をとんでみました。ただ一つざんねんなのは、このあそびをしていると、家ぞくには私がぼ-っとしているように見えることです。この前も楽しくあそんでいたのにお母さんに『ぐあいでもわるいの?』と言われてしまいました」(4月26日付「朝日新聞」要旨)―。私は嬉しくなって、膝を打った。これこそが「創造的休暇」ではないか―

 

 「人類は、自らの健康や病気に大きな影響を与える環境を、自らの手で改変する能力を手に入れた。それは開けるべきでない『パンドラの箱』だったのだろうか。多くの災厄が詰まっていたパンドラの箱には、最後に『エルピス』と書かれた一欠片(ひとかけら)が残されていたという。古代ギリシャ語でエルピスは『期待』とも『希望』とも訳される。パンドラの箱を巡る解釈は二つある。パンドラの箱は多くの災厄を世界にばら撒いたが、最後には希望が残されたとする説と、希望あるいは期待が残されたために人間は絶望することもできず、希望と共に永遠に苦痛を抱いて生きていかなくてはならなくなったとする説である。パンドラの箱の物語は多分に寓意的であるが、暗示的でもある」―

 

 山本さんが10年前に記したこの呪文のような世界を私たちはいま、生きているのかもしれない。中世のペスト禍がルネサンスのゆりかごであったという逆説のように、そして、未来に向かって生きる少女に対して夢の物語を紡ぐよう促しているように、私自身も「コロナ」という来訪神の前でのたうち回るしかない今日この頃である。齢(よわい)80歳にして、このパンデミックに遭遇したのは果たして幸だったのか、そうではなかったのか……

 

 

 

 

(写真はペストの脅威を描いた16世紀の絵画。ペストに模された骸骨が鎌を手に人間の命を刈り取っている光景=インタ-ネット上に公開の資料から)

 

 

「コロナ」黙示録(その1)…大都会に出没した野生動物たち

  • 「コロナ」黙示録(その1)…大都会に出没した野生動物たち

 

大地よ/重たかったか/痛かったか

 

あなたについて/もっと深く気づいて、敬って

 

その重さや痛みを/知る術(すべ)を/持つべきであった

 

多くの民が/あなたの重さや痛みとともに/波に消えて/そして大地にかえっていった

 

その痛みに今 私たち残された多くの民が/しっかりと気づき/畏敬の念をもって

 

手をあわす

 

 

 路上に寝ころぶアシカの群れ、市街地をかっ歩するピュ‐マ、かと思えば、スモッグにくすんでいた山容やビル群の突然の出現…。コロナ禍の影響で110カ国・地域の地球人口の半分以上に及ぶ約45億人の人影が消えた結果、「コロナ」黙示録とでも呼びたくなるような光景が世界のあちこちで見られるようになった。人間によって、その生息域を奪われた野生動物の“逆襲”!?…などとコロナ疲れの頭で考えていたその時、冒頭に掲げた詩文が突然、記憶の底から目を覚ました。旧知のアイヌ詩人で古布絵作家の宇梶静江さん(87)が東日本大震災の8日後に記した「大地よ」と題する詩である。

 

 「それがねぇ、アイヌは震災で命を亡くした人よりも先に大地の方に気持ちが行ってしまうんだね。ある日本人からそう言われたことがあった。何か皮肉を言われているような感じがして…」―。数年前、ふと漏らした言葉を現下のコロナ禍の中で思い出したのである。実は私自身、全世界がコロナ禍と「闘っている」さ中の4月5日付当ブログに「コロナ神との対話」という一文を掲載した。“共生”の大切さを訴えるつもりだったが、撃退すべき相手を「神」呼ばわりすることに対する周囲の目を気にしなかったと言えばやはり、ウソになる。そんな折、宇梶さんの詩に共鳴した哲学者(フランス文学・思想)の鵜飼哲さん(65)の近著に接する機会を得た。たとえば、こんな一節…

 

 「この詩は、災害そのものとどう向き合うのかという根本のところで、今の列島社会で自明視されているある種のヒュ-マニズムの枠を超過しています。アイヌ民族の自然観には、自然現象もすべて『カムイ』(神)であり、ある意味で人間と相互に交渉可能なものだという考え方があります」(『まつろわぬ者たちの祭り―日本型祝賀資本主義批判』)。そう言えば、宇梶さんは詩作の動機について、同書の中でこう語っている。「カムイモシリですね。神様の培われている大地、カムイモシリよ、重たかったか、痛かったかという言葉が出たんです」

 

 鵜飼本の発行日と私のブログ掲載日は同じ4月5日。単なる偶然とはとても思えない不思議な感覚である。私はアイヌ民族の世界観に言及しながら、ブログにこう書きつけている。「地球規模の環境破壊によって、野生生物の生態系が破壊された結果、行き場を失ったウイルスが『宿主』(しゅくしゅ=寄生先)を人間に求めるようになった。地球せましと徘徊するこの神の神出鬼没ぶりを見ていると、それはまさに『コロナカムイ』と呼ぶにふさわしいとさえ思えてくる」―。アイヌ民族にとっての最高神であるクマは「キムンカムイ」(山の神)と呼ばれる。その霊をカムイモシリに送り返す「イオマンテ」(熊送り)の儀式の中にこそ、自然との「共生・共死」の思想が凝縮されている。

 

 南アフリカのクル-ガ-国立公園はロックダウン(都市封鎖)の一貫として、25日から閉鎖が続いている。自然保護官のリチャ-ド・ソウリ-さんは巡回中に昼寝しているライオンの群れに遭遇した。ツイッタ-でその写真を投稿したリチャ‐ドさんは「ほとんどのライオンはぐっすり眠っているようで、携帯電話で写真を撮っている間、気にする様子はなかった」と話している。安心しきったように路上に寝そべるライオンたちの姿に見入りながら、不意に思った。「この光景こそがコロナ後を黙示しているのではないか」―と。皮肉なことに、放射能禍に見舞われた福島の避難指示区域がいま、サルやタヌキ、イノシシなど20種以上の野生動物の”楽園”になり、当のその動物たちが放射能まみれになっていることを私たちはとうに忘れている。

 

 コロナ禍以前に書かれた鵜飼本の帯には「私たちは『未来の残酷さ』のただなかにいる」という悪夢を予感させるような言葉も刻まれている。私たち人類はどっちの道を歩もうとしているのだろうか……。人間とはしょせん、己の都合しか考えない存在なのかもしれない。「コロナ」はそのことを教えているのではないのか。

 

 

 

(写真はリチャ-ドさんが撮影したライオンの群れ=南ア・クル-ガ-国立公園内で=インタ-ネット上に公開の写真から)