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忙中閑―映画「アイヌモシリ」とデボとコロナ神と…

  • 忙中閑―映画「アイヌモシリ」とデボとコロナ神と…

 

 アイヌ流儀で言えば、「人間の力の及ばない」―いわゆる“森羅万象”(しんらばんしょう)はすべてが「カムイ」(神)であり、いま世界中を震撼させている「新型コロナウイルス」もその例外ではない。私がこのパンデミック以来、「コロナ神」と呼びならわしてきたのは、この所以(ゆえん)である。しかし、この精神の大切さを教えてくれたのは、アイヌ青年の「デボ」だった。上映中の映画「アイヌモシリ」(福永壮志監督・脚本、2020年10月公開)のスクリ-ン上で、数十年ぶりにデボと相まみえた。

 

 タイトルの由来は「アイヌ」=「人間」、「モシリ」=「静かな大地」。北海道はかつて、アイヌの人々によって「人間の静かな大地」と呼ばれた。映画の舞台は阿寒湖畔のアイヌコタン(集落)。アイヌの血を引く14歳の少年カントが「イオマンテ」(熊の霊送り)の儀式を通して、次第に目覚めていく。熊の命を奪う代わりに、その霊を心を込めて熊の世界に送り返す。その最高神に君臨するのが「キムンカムイ」(熊)であり、カムイとのこうした往還こそが、アイヌ精神の真髄である。今年、還暦を迎えたデボはまさに「アイヌ」(人間)としての円熟味を増し、その迫真の演技に圧倒された。

 

 本名「秋辺日出男」に最初に出会ったのは、デボがまだ30代の初めころだった。熊の木彫りなどを並べるコタンの店の前は竹製のオリで囲まれ、「むやみに餌を与えないでください」という張り紙が張ってあった。のぞき込むと、デボそっくりの父親の今吉さん(故人)が「ケッケッ」とからかい笑いをして、オリをどけてくれた。アイヌ民族の融通無碍(ゆうずうむげ)なユ-モアとトンチを目の当たりにした思いがした。デボも負けてはいなかった。一緒に日本そば屋に入ったことがある。日本人離れした風貌のデボが「ヘ~イ、私ハシ、使えない。フォ-クをください」―。店員のキョトンとした表情が忘れられない。そんなデボが深刻な面持ちでこう語ったことがあった。

 

 「(アイヌという)この言葉がマスコミなどによって増幅される結果、今でもまるで自然と一体となって暮らしているかのような美化されたアイヌ像が一人歩きしている。それが重荷になり、『アイヌ』から逃げ出してしまったり、逆にアイヌ自身がその言葉に酔ってしまう。普通にメシを食べ、時には酒を飲んで寝るという日常生活全体が、私にとってのアイヌ文化だ。この日常の中からアイヌの伝統的な精神を少しずつ、身につけたいと思っている」―。物見遊山でコタンを訪れる日本人に向かって、デボはこう言うのを忘れなかった。「ところでお客さん、チョンマゲと刀はどうしたんですか」

 

 奥深い森の中で、秘かに「イオマンテ」の生贄(いけにえ)に供するための小熊を飼育するデボ。最初はその残虐性についていけないカントも無意識のうちにアイヌの精神世界へと導かれていく。止めを刺すための矢を射る瞬間、デボの表情に何か「祈り」にも通じる“啓示”みたいなものを感じた。この映画は第19回「トライベッカ映画祭」(ニュ-ヨ-ク)で、国際コンペティション部門「審査員特別賞」を受賞した。クリント・イ-ストウッド監督・主演の映画「許されざる者」(1992年)のリメイク版(李相日監督、2013年)で、デボはアイヌの青年役を演じている。「おめでとう」を伝えると、電話口でこんなことを口にした。

 

 「オレも実はコロナ禍とこの映画の上映が重なったことに不思議な巡り合わせを感じている。コロナを追い出すのではなく、あんまり人間を怖がらせないで、早く神の国へお帰りください。毎日、こう祈っているんだよ」―。アイヌ語のこんなフレーズが映画のシ-ンの中で目に飛び込んだ。「カント/オロワ/ヤク/サク/ノ/アランケプ/シネプ/カ/イサム」…「天から役目なしに降ろされた物はひとつもない」という意味だという。ちなみに、今回のコロナウイルスのような”疫病”のことをアイヌ語では「パヨカカムイ」(徘徊する神)と呼ぶ。「病気の神にもちゃんと役目があるのさ」―。こう教えてくれたのはデボの父親である故今吉エカシ(長老)だった。自慢のヒゲをさすりながら、ニヤニヤしていたエカシの表情がまだ、まぶたに残っている。読んで字のごとく、この神は今日も世界中をまたにかけて休むことを知らない。

 

《注》~映画の中には実際の殺傷の場面はない。

 

 

 

(写真はトリカブトの毒を塗った矢を放ち、最後の止めを刺す「デボ」。神々らしさすら感じた=映画「アイヌモシリ」のシ-ンから)

 

 

 

《追記》~講演会「図書館と私」(11月12日付当ブログ掲載)へどうぞ(Zoom受信のご案内)

 

【参加方法】
xinhuajuantushuguanm@gmail.com宛に、
表題:「講演会参加」
本文:①氏名②居住地域(例:花巻市本館)③年齢・性別 (③は任意)
を記入したメールを送信してください。
12月2日以降に折り返し招待メールをお送りします。メール記載のURLをクリックすればご参加になれます。

 

 

 

 

 

号外―”ウエダパンデミック”、ついに暴走…議会主催の会議内容をHPに公表、しかも一部に“改ざん”疑惑も!?

  • 号外―”ウエダパンデミック”、ついに暴走…議会主催の会議内容をHPに公表、しかも一部に“改ざん”疑惑も!?

 

 「『議会の議員』と『市長』を市民が直接選挙で選ぶ制度のことで、どちらも市民の代表であることから、議会と市長は対等の機関として、お互いに抑制、協力することで緊張感を保ちながら自治体の運営に取り組む制度のことです」(「花巻市議会基本条例=平成22年6月;逐条解説」)―。当市の議会基本条例は自治体運営の原点とも言われる「二元代表制」について、こう定めている。ところが、わがふるさと「イ-ハト-ブ」ではいま、この精神を踏みにじるような事態が起きている。“ウエダパンデミック”はついに暴走化の気配を見せ、それに歯止めをかけることができない議会側の弱体化の狭間(はざま)の中で、市民は寄る辺のない荒野に投げ出されたような心持ちになっている。

 

 「令和2年11月12日に開催された、市議会新花巻図書館整備特別委員会において市が行った発言を委員からの質問要旨とともにお知らせします」―。こんな長ったらしいタイトルの記事が25日付の市HPに掲載された。「議会にしては随分と手際が良いではないか」と一瞬、思った。読み進むうちに頭に血が上った。こう記されていた。「午後1時30分から3時22分まで開催された、市議会新花巻図書館整備特別委員会の質疑応答において、市が行った発言を委員からの質問要旨とともに、次の通りお知らせいたします。なお、委員の質問についてはその要旨のみを掲載しております。また、この質疑応答要旨は正式な議事録ではありません」―

 

 議会事務局側に経緯を問いただすと、こんな返事が返ってきた。「当局側から市HPに掲載したい旨の申し出があり、議長の了解を得た上で許可した。市議会のHPには本会議や予算・決算委員会の会議録は掲載されるが、特別委員会についてはこれまでも掲載した例はない」。質問者の氏名は匿名とされ、その内容はほんの要旨のみ。HP上には上田市長や当局側の答弁が延々と15ペ-ジにわたって掲載されていた。当局側の都合のいい部分のオンパレ-ドで、「住宅付き図書館」構想の撤回めぐるこの時の会議の全貌は市民の目に触れることがないまま、闇に葬られることになりかねない。さらに読み進むうちに今度は目が点になった。

 

 私はこの時の「撤回」発言に関連して、11月20日付の当ブログに以下のような記事をアップした。「(新図書館の整備委託で)大変、お世話になった岡崎さん(紫波町の『オガ-ル・プロジェクト』の岡崎正信社長)に対し、議会側や一部の市民の間で、個人攻撃があったと聞いている。この場を借りて、岡崎さんに謝罪したい」―。私はまじまじと上田市長の顔を見つめ直した。岡崎さんは新花巻図書館構想の土台となった「住宅付き」図書館(いわゆる“上田私案”)について、市民や議会側の頭越しにいきなり、首相直属の「まち・ひと・しごと創生会議」で公表するという“越権行為”を犯し、私も議会側もそのことの非をただしたのだった。この“信義”違反を黙認した上田市長が頭を下げるべきはまず、市民や議会側に対してではなかったのか」――

 

 今回の市HPの文面にはこうあった。「岡崎さんには大変迷惑をかけた。岡崎さんに対する個人的な攻撃もあったように聞いていますけれども、そういうことも含めて、岡崎さんには大変迷惑をかけたということについては陳謝申し上げたと」―。「おやっ」と思い、議会事務局側に録音デ-タの確認を求めた。「議会の中で、岡崎さんに対する個人的な攻撃もあったように聞いていますけれども、議会か市民か知りませんが、けれども…」という部分がそっくり削除され、肝心の「議会」と「市民」という2文字が消えてしまっていることが判明した。己に都合の悪い記述はなかったことにする。結果として、私のブログ記事もねつ造だとデッチ上げようという底意も見え隠れする。とにかく、この人は質(たち)が悪るすぎる。

 

 これを称して、永田町界隈(かいわい)で流行(はや)った“公文書の改ざん”というのだろう。自治体の最高規範である「二元代表制」を足蹴(あしげ)にするような双方のあり方に、市民たちの絶望も極限に達しつつある。この際、議会側には質疑応答を含めた、改ざん前の会議録全文を市議会HPに掲載することを要求。その結果、近く掲載の方向で調整に入ったことが明らかになった。

 

 

 

(写真は26日開催の臨時会で答弁する上田市長=インターネット上の中継画面から、花巻市議会議場で)

 

 

《追記ー1》~ナゾだらけの”契約関係”

 

 花巻市と「オガール」との委託関係について、文書開示請求をした結果、”特命随意契約”になっていることがわかった。この件については以前、「流石(さすが)、パワハラ・強権・議会軽視・市民無視の”裸の王様”」と上田市長を痛烈に批判した差出人不明の”怪文書”が私の元に届けられた。内容に正当性があると判断し、今年3月9日付の当ブログに「上田流『謎の随意契約』の真実は」と題して掲載した。こちらも参考にしていただければと思う。

 

 

 

《追記ー2》~講演会「図書館と私」(11月12日付当ブログ掲載)へどうぞ(Zoom受信のご案内)

 

【参加方法】
xinhuajuantushuguanm@gmail.com宛に、
表題:「講演会参加」
本文:①氏名②居住地域(例:花巻市本館)③年齢・性別 (③は任意)
を記入したメールを送信してください。
12月2日以降に折り返し招待メールをお送りします。メール記載のURLをクリックすればご参加になれます。

 

号外―「JR用地」今昔物語と疫病禍…そこは元々、篤志家が寄贈した私有地だった!?

  • 号外―「JR用地」今昔物語と疫病禍…そこは元々、篤志家が寄贈した私有地だった!?

 

 「50年間の土地の賃貸借などもってのほか。この場所が最適地だとするなら、JRと交渉して、市有地として取得すべきだ」―。新花巻図書館の立地をめぐって、過去の歴史をないがしろにした不毛な議論が延々と続いている。今年1月末、JRが所有する花巻駅前のスポ-ツ店跡地に「住宅付き」図書館を建設するという、いわゆる“上田(東一市長)私案”が降ってわいた。市民の猛反対に合い、今月に入って「住宅」部分は撤回することを表明したが、今度は「用地」論争のテンヤワンヤである。そこには「歴史の記憶」がすっぽりと抜け落ちた皮相なやり取りしかない。

 

 130年前の1890(明治23)年、現在のJR東北本線「花巻駅」が開業した。中世ヨ-ロッパのペスト禍がルネサンス(文明開化)を産み落とすきっかけになったように、「文明は感染症のゆりかご」(山本太郎著『感染症と文明』)などとも言われる。いきなり、少し突飛な文脈だが、実は花巻駅の開業に当たっても、“疫病”騒動というひと悶着があった。『花巻市制施行記念 花巻町政史稿』(八木英三著、花巻郷土史研究会)と題する論考の中に、こんなくだりがある。ちなみに著者の八木は宮沢賢治が尋常小学校3年の時の担任で、その作品に大きな影響を与えたことで知られる。

 

 「その頃、汽車は病気やばい菌を載(の)せて来るという迷信があり、停車場を忌避(きひ)する風が盛んであつた。これは独りこの地方だけの迷信ではなかつたので、今日そのために日詰駅や八戸駅が大変な不便を感じていることを考へれば、思半ばに過ぎるものがあろう。花巻の有志達も略(ほぼ)同様の思想で誰も土地を提供し様とする者がない。この時、伊藤儀兵衛は進んで自分の所有地の中から今日の花巻駅を提供し、駅前の通路を無料で寄附したのである。彼はこの様な迷信を一笑に附したのみならず、文明開化の発達のためには先づ交通通信の機関の完備を見なければならないことを主張した先覚者であつた」―

 

 文中の「伊藤儀兵衛」(1848~1923年)は貴族院議員も務めた豪商で、呉服商(屋号「笹屋」)を手広く経営。明治天皇の東北巡幸に際しては自宅を「行在所」(あんざいしょ)として提供するなど篤志家としても知られた。当時、伊藤の決断がなかったならば、現在の当市の発展はなかったはずである。さらに歴史を下ること95年後の1985年(昭和60)年、今度は「花巻百年の大計」を掲げ、1%の可能性にかけた住民運動によって、全国初の請願駅「新幹線新花巻駅」が誕生した。こうした「花巻駅」秘史を知る人はいまではほとんどいなくなった。

 

 そしていま全人類は皮肉にも、航空機という交通手段の飛躍的な発展(グロ-バリズム)に伴い、コロナ・パンデミックという地球規模の脅威にさらされている。その未知のウイルスは私たちの足元「イ-ハ-ト-ブ」にもじわじわと忍び寄りつつある。伊藤がいま、この時代に生きていたならば何を語ったであろうか。ふと、そんな感慨にとらわれる。伊藤が無償で提供したその由緒ある舞台の上では相変わらず、用地分捕り合戦にうつつを抜かす“茶番”が演じられている。「コロナによって、時代は大きく変わった。当然、文明のありようも変らなければならない」。100年以上も前に“文明開化”という言葉を口にした伊藤のことだから、きっとこんな風に語ったのではないのか―とそんな気持ちにさせられる。

 

 私たち市民有志はこのほど、「新花巻図書館―まるごと市民会議」(菊池賞・発起人代表)を結成した。発起人のひとりで、賢治研究家の鈴木守さんは伊藤の来歴を紹介しながら、こう語っている。「伊藤儀兵衛には利他的精神があり、しかもそのとおりに実践した。少なくともかつての花巻には伊藤のように己を犠牲にしても皆のためにという高邁で気概のある人物が少なからずいた。いまの行政は図書館を語るにこと欠いて、『コストパフォ-マンス』(費用対効果、つまり儲け)という言葉を口にしているらしい。いまこそ『歴史』から学ぶ必要があるのではないか」―

 

 「過去に目を閉ざすものは将来に向かっても目を閉ざす」―。「まるごと市民会議」はある高名な外国人指導者の言葉にことよせ、図書館のありようを根本から考え直そうと思っている。たとえば、伊藤流「パラダイムシフト」(価値の転換)にならって、「コロナ禍の中の図書館はどうあるべきなのか」などと……。そのウイルスの拡大は止まることを知らない勢いである。“儲かる”図書館というグロテスクでおぞましい発想に今さらながら、怖気(おじけ)づいてしまう。

 

 

 

(写真は明治時代に伊藤が土地を提供したJR花巻駅周辺。駅頭に降り立つとシルエットの賢治が出迎えてくれる=花巻市大通1丁目で)

 

 

 

 

号外―「まるごと市民会議」記念講演;「図書館と私」…コロナ禍でオンライン配信へ

  • 号外―「まるごと市民会議」記念講演;「図書館と私」…コロナ禍でオンライン配信へ

 

 「市民が一緒になって、図書館を考えよう」―。市主催の「としょかんワ-クショップ」の参加者ら市民有志が中心になって発足した「新花巻図書館―まるごと市民会議」(16日付当ブログ参照)の記念講演が12月6日(日)に行われることが正式に決まった。当市におけるコロナ感染者の発生で、今月26日から5回にわたって予定されていた新花巻図書館をめぐる市民との意見交換会は再開時期が未定のまま、延期されることが告知された。公共施設の利用制限は当面、今月いっぱいとなっているが、感染状況次第では来月以降も続くことも予想される。

 

 「まるごと市民会議」では「こうした感染症禍の中で図書館はどうあるべきか。そのことを考える意味でも逆に意義があるのではないか」と当初の予定通りに開催することにした。当日、会場が閉鎖の場合はZoomによる「オンライン講演」とし、開館の場合は「会場講演」に変更し、できればZoomによる同時配信も検討することにしている。最新情報はチラシ上のQRコ-ドから。発起人代表で講演者の菊池賞(ほまれ)さんは「市側の新図書館構想が迷走する中、当会はあくまでも図書館理念に忠実にあり続けたい」と話している。

 

 

 

 

(写真は「図書館と私」をテ-マにした講演会を知らせるチラシ)

 

 

 

《緊急追記》~講演会「図書館と私」はオンライン配信へ

 

 花巻市内で24日、新たに一人のコロナ感染の報告がありました。このため、当講演会の会場として予定していた花北新興センターの利用制限が12月いっぱい継続されることがHP上で告知されました。これを受け、上記の講演会「図書館と私」はオンライン配信一本で行うことになりました。受信の手順などついては改めて、お知らせします。

 

号外―コロナパニック…「イ-ハト-ブ」のてんやわんや

  • 号外―コロナパニック…「イ-ハト-ブ」のてんやわんや

 

 土砂降りの雨の中、スリップに気を付けながら、駆けつけた先の会議会場は照明が消され、真っ暗闇。「コロナで急きょ、延期になりました」と担当者。この日、午後2時から予定されていた社会教育委員会議では喫緊の課題である「新花巻図書館」問題が審議されることになっていたのだが…。市庁舎3階の議会事務局前のソファにへたり込んでいると、議会側の図書館特別委の伊藤盛幸委員長と佐藤峰樹副委員長の姿が。「あなた方も傍聴に」と声をかけると、苦笑いしながら首をタテに振った。コロナ陽性第1号の発生に伴い、当事者である委員本人への会議延期の通知は怠らなかったものの、議会側への連絡とHPへの掲載を失念したらしい。現場職員を責めるつもりは毛頭ないが、上田(東一)市政の様子が最近、とみに変なのだ。

 

 コロナ感染の第一報(18日)を受けた市当局の対応はすばやかった。翌19日には市長自らのビデオメッセ-ジを配信し、この日20日には市の関連施設の利用制限(21日から今月いっぱい)をHP上に公表するとともに、この日に上京予定だった「市長日程」の変更もいち早く告知した。肩透かしを食ったのは何も知らされずにノコノコ出かけた私たち傍聴者だったというわけである。つい1週間ほど前の今月12日、図書館特別委の冒頭、上田市長が深々と議員の前に頭を下げる一幕があった。初めて見る光景だった。しかし、陳謝した一件は介護保険の過大給付について、会計検査院から指摘されたことに対する「おわび」だった。それどころか、同じ場で上田市長はこんなことを口走った。

 

 「(新図書館の整備委託で)大変、お世話になった岡崎さん(紫波町の「オガ-ル・プロジェクト」の岡崎正信社長)に対し、議会側や一部の市民の間で、個人攻撃があったと聞いている。この場を借りて、岡崎さんに謝罪したい」―。私はまじまじと上田市長の顔を見つめ直した。岡崎さんは新花巻図書館構想の土台となった「住宅付き」図書館(いわゆる“上田私案”)について、市民や議会側の頭越しにいきなり、首相直属の「まち・ひと・しごと創生会議」で公表するという“越権行為”を犯し、私も議会側もそのことの非をただしたのだった。この“信義”違反を黙認した上田市長が頭を下げるべきはまず、市民や議会側に対してではなかったのか。

 

 今に始まったことではないが、上田市長のこうした「市民目線」の欠落を私は以前から、危惧してきた。岡崎さんに丸投げした「住宅付き」図書館構想そのものが市民の総スカンを食らって、撤回に追い込まれざるを得なかったという政治責任について、この人はどう考えているのだろうか。そんなことはあるまいと思うが、今回の“コロナパニック”がきっかけとなり、現場の第一線までもがこの「上から目線」―つまり”ウエダパンデミック”に巻き込まれないことを切に願いたい。ヘトヘトになって家に戻ったら、遅ればせながら会議の延期がHPにアップされていた。

 

 

 

 

(陳謝すべきは「新花巻図書館」問題の“不手際”に対してではないのか。普通の感覚ではそう考えると思うのだが…=11月12日、花巻市議会委員会室で)