旧新宿コマ界隈は今、、、
相変わらず引きも切らない客引きに辟易しながら、何度か入場した新宿コマスタジアムを思い出していた。
多分昭和30年代に開館した新宿コマは、終わりごろは演歌歌手の牙城となっており、私も細川たかし、坂本冬美、北島三郎などのショウを見せて貰った。先輩がそれらの楽団に在席していたからだ。
何故コマなのか?といえば、それは三重の回り舞台がコマのようにクルクル回るからで、もう一つ大阪にも梅田コマというのがあったが、それも今はない。
楽屋での思い出なども懐かしく、故淡島千景先生や北島三郎夫人などをお見送りしたり、ちょっと芸能界の空気を吸わせて貰った場所なのだ。
その頃はまだグランドキャバレー
やダンスホールも僅かながら残っており、ハイツ、ムーランドール、ステレオホールなど楽屋口から現場をチョロチョロ見せて頂いた。
その後東京を離れたために、力尽き倒れていくそれら大箱の最期を見届けることは出来なかったが、また新しいビルや店で埋まっていく歌舞伎町は、まだまだ魅力的な街なのかもしれない。
写真はコマスタジアム後に出来たTOHOシネマズ
青春プレイバック
中川さんは早稲田大学のロッククライミングという音楽サークルの出身である。そのためこの会は先輩である日本のブールス王、吾妻光良師によって仕切られ、本人はギター、唄、ピアノ、司会と八面六臂の活躍だった。
メンバーの中にはブールス界の大御所小出斉や小安田憲司、VOW WOWのヴォーカル人見げんき、達郎のツアーコーラスの国分友里恵など有名無名合わせて総勢40名が入り乱れてのセッションである。
このメンバーを見ても中川さんの人柄が偲ばれるというもので、末席に入らせて頂いている自分が嬉しい気持ちで一杯だった。
私は何かの加減でクレジットされていなかったが、吾妻師のご厚意により、3セットに出していただいた。
久々のセッションは、はっきり云えば、とても楽しいモノだった\(^o^)/
私が東京で作った三つ目のバンド『楽団・魅惑の羽衣』再結成の話もあり、久々に東京に通う日が近いかもしれない。
写真は吾妻師と人見氏のセッション。
会津に行ってみよう!その4
本当は天鏡閣とかに行ってみたかったのだが、今回は残念ながらスルー。有栖川・高松宮別邸ということで、有栖川詐称事件を思い出してしまうのは、正直如何なものか。
まあ」そんなことはどうでもいいので、猪苗代から喜多方へ移動。
昼間はカフェ飯だったので小腹がすいたということで喜多方ラーメンいっちゃおうつうことになった。
そこで、この時間帯だったらあの有名店も大丈夫かな?ということで坂内食堂に向かう。
残念ながらお盆休みということで、臨時休業。
ラーメンマップを見ると流石に火曜日五時夕刻にやってる店は少ない。
途方に暮れていると、どこからか老人がやって来た。
「ラーメン屋さがしったながい?」
「はい」
「じゃあ、ちょっと待ってろ。あいてる店さがしてやっから」
といって、自宅に戻り自転車に乗ってここで待ってろよ、ということでどこかに行ってしまった。
五分ほど待っていると、「あったぞー」と戻って来た。
「近くによ、伊藤さんっうどころあっからよ。俺さついでこい!」
伊藤食堂は坂内食堂から歩いて三分ほど。
正直言ってきれいとは言い難い店だが、随分長くやってるところのようだ。
これから夜の部ということで、まだお湯が沸いていなかったのかラーメンが出るまで、15分ほどかかった。
それは、ニボシの味が強い今までに食べたことのない美味しいラーメンだった。
私たちが待っている間、その爺さんは次々とラーメン難民を伊藤食堂に連れてきた。
北海道から来た人、新潟から来た人、伊藤食堂の親父は云った。
「あの爺さん、こんなことしたの初めてだ」
爺さんをこのような行動に駆り立てたのは何だったのか?クールな伊藤食堂の主人は
「嘘ばっかりいってる爺さんなんだがなぁ、毎日こうしてくれると助かるけど。」
その後もラーメン屋の前を自転車で行ったり来たりする爺さんであった。
会津に行ってみよう!その3
五色沼というのは個人の所有だと聞いたことがある。裏磐梯でも人気のスポットだし、お土産屋やボート屋もあるので相当の売り上げがあると思われる。それはそれで、問題は自然がよく整備されていると思う。
何を言いたいのかと言えば、ハイヒールで来ても何とか自然の中を歩けるように整備されてtるのだ。
多分主にデートスポットになる条件として、ハイヒールで来ても無理なく楽しめることがあげられる。
とにかくその辺が五色沼は上手く出来ていると思った。
さて、ボートが終わって野口英世記念館に行く前に、近くのtaro cafeに立ち寄った。
会津屈指の人気カフェらしく、何人かから是非と聞いていた。平日とはいえ店内は混んでおり、外で20分ほどウエイティング。
外側のよしず張りのテラスのようなところに案内された。猪苗代湖の湖面がよく見え、落ち着く空間だ。珈琲はポットに3杯分(カップが小さいのもあるが)、ワッフルもフルーツがきれいに盛り付けてあるオサレカフェであった。
さてそこから改装間もない野口英世記念館へ。こちらも多くの人が訪れていて、相変わらずの人気だ。
私が子供の頃来た時は、それほど人はいなくて結構シーンとした空間だったように思うのだが。
英世ロボットがいたりして、胸像だけでも6個ぐらいあるらしい。久しぶりに手を怪我した家の囲炉裏を覗いたが、未だに農家独特の匂いがした。藁が中心の匂いだと思うが、何とも言えず親父の実家に入った時の匂いと同じだなと思った。
それから向かいにあるガラス館などを見学して一路喜多方へと向かう。
そこには意外な出会いがあった。
会津に行ってみよう!その2
泊ったペンションの御主人に伺ったのだが、裏磐梯には約80軒ほどのペンションがあるらしい。
そのくらいの規模が成り立つのだから、やっぱり会津は観光産業が盛んなのだろう。
宿は、セブンイレブンや郵便局などがある中心地からすぐのとても便利なところだった。
どうやって宿を決めるか?ご主人に伺ったのだが、昔からのお得意様は電話での御予約もあるが、今はほとんどネットサイトからの予約だそうだ。観光地に強いじゃらんが4割、楽天が3割、yahooその他が残りだそうだ。
私が住所を書くと、ご主人が実は私も米沢市民だと話し始めた。
というのは、スキーが好きで天元台のペンションを購入して営業していたのだが、スキー人口の激減と共に天元台での営業だけでは成り立たなくなり、現在やっている「ペンション楓」を購入。一時は奥さまとバイトで手分けして、二か所を廻していたが現在はこちらだけにしたとのことであった。商工会議所やコンビニの店長など共通の友人も多く、万事適当にネットで検索した偶然を楽しんだ。
お楽しみの夕食は米沢牛ビーフシチュー食べ放題だったのだが、その前のいろいろなお料理が肉中心で豪華でそれだけで腹が一杯になってしまった。
もう少し朝昼を少なくすればよかったのだが、旅じゃそれは無理なこと。
おふろにゆっくりつかって、夜は漆黒の闇。
ゆっくりと疲れをいやした一日目であった。